2歳の頃から酷いアトピーがあり

顔、首に湿疹があったので

髪の毛が首の湿疹に当たると

良くないからと言う理由で、

幼少期は髪の毛を結んでいましたが

幼稚園から小学校3年生までは

私の髪型は常にベリーショートでした。

初対面の人には、男の子と間違われる

こともありました。

それがショックで母に

「髪の毛を伸ばしたい」と

お願いしましたが、上記の理由で

私の意見は通ることはありませんでした。

 

こんな髪型だから

ピンクの服は自分には似合わない。

誰に言われた訳でもないのに

水色の服を選んでしまって後悔する。

自分で自分の可能性を狭めてしまう。

子供らしく好きなものを好き

と言えないような性格でした。

 

本当は長い髪の毛に憧れていて

家の中ではバスタオルを頭にかけて

自分の髪の毛のように二つに縛って

その時だけは可愛い女の子

になった気分を味わって

上機嫌で踊りながら遊んでいた

記憶がありますニコニコ

母から「変なことしないの!

なんでそんなことするの?」

と言われましたが、

こんな遊びをしている理由は

なぜか恥ずかしくて言えませんでした。

きっと母には何のために

バスタオルを頭にかけているのか

分からなっかったんだと思います。

 

 

当時のベリーショートの髪では

当然三つ編みをすることはできず、

バスタオルを割い編むことも

当然できないので

その代わりに幼稚園ではひもを使って

三つ編みを作る事が大好きでした。

三つ編み名人という称号も貰うくらい、

ひたすら三つ編みをしていると、

先生に言われていたそうです。

後から母に教えてもらいました。

 

小学生になり、そろそろいいかなと思い…

ダメ元で恐る恐る母に

髪の毛を伸ばしたいとお願いをしたら

まさかの事態が起きました。

一言返事で「いいよ」と許可が降りましたびっくり

大人になってから聞いた話ですが、

うちは貧乏な家だったので、

美容院へ行くお金もかからなくなるし、

まぁいいかと思ったそうです。

それが、小学4年生になる前の事です。

 

4年生から私の人生は

ガラっと色が変わるように

明るくなっていきました音譜

毎日がハッピーそのものというほど

幸せな気持ちが続いていて、

交友関係も華やかになっていき

学校へ行くことが楽しくなりましたおねがい

 

ベリーショートにしていた理由の

アトピーですが、相変わらずの状態でした。

小学1年生の頃は給食が食べられず

ずっとお弁当持参でした。

 

2年生から気持ちが不安定になり、

不登校気味になり、

3年生ではそれに輪をかけて

学校へ行く事が嫌になりました。

泣きながら1人でとぼとぼ歩いて

学校に行かされていた記憶が蘇ります。

やっぱり学校へ行きたくなくて

Uターンして家に戻ると

学校へ行かないなら家で働きなさい!!と

鬼のように怒られ、私が不服な顔をすると

おしりを何度も叩かれました。

とても痛くて泣き叫んでいた

記憶が鮮明に蘇ります。

 

 

遠足だけは行ってきなさいと、

父に車で連れて行かれた事があります。

遠足こそ1番行きたくありませんでした。

父にはなんでそれが分からないのか?

理解ができませんでした。

今思えば、父は純粋に学校には友達がいて、

遠足に行けば楽しいだろうと。

私のことを思ってくれての

行動だったんだと思います。

父の中では、学校へ行きたくない理由は

アトピーで体調が優れないだけなんだと

思っていたのかもしれません。

 

 

ひとつだけ、登校拒否の記憶の中で

今でも鮮明に覚えている

とても嬉しかった記憶が有ります。

 

いつものようにとぼとぼと

できる限り遅く歩き、

なるべく遅く学校へ着くように

という反抗心から、

小股でゆっくりゆっくり歩いて学校へ

向かっていると、

通りすがりの自転車に乗った

おばちゃんが、「どうしたの?」

と自転車から降りて

話しかけてくれました。

私は何も答えませんでした。

それでもずっと隣を歩いてくれて

一緒に学校まで着いていってあげるから

頑張っていこうよ!それとも家まで

帰りたかったら一緒に行ってお母さんに

話してあげるけど、どうしたい?

と聞いてくれました。

私は何も答えれませんでした。

帰ったら怒られるに決まってる。

行くしか選択肢はないんだと

分かっていたから。

何も言わずに歩く私に

何も言わずに学校まで着いてきてくれました。

靴箱の所まできて、ここからは

おばちゃん着いていけないから

見えなくなる所まで見ておくから

行ってらっしゃいと。

もう明日からは遅刻せずに行くんだよと、

最後に応援してくれました。

本当に最後まで見送ってくれました。

おばちゃんは応援してくれたけど、

私はあのおばちゃんにまた会いたくて

それから何度も

あの日と同じくらいの時間を狙って

あの時のようにとぼとぼ

出来る限りゆっくり歩いて学校へ

行きました。

次に会ったらお礼を言いたかったのと

これからは頑張って行くよって

言いたかったから。

だけど、二度と会うことはありませんでした。

 

それでも、あの時の記憶は

40歳になった今でも

忘れる事はありません。

 

あの時、私に寄り添ってくれた

あのおばちゃんがいたから

当時の私の心はとても温かくなって

嬉しくて忘れられない人になりました。

 

きっと、

あのおばちゃんが居なかったら

登校拒否から抜けられなかったかもしれません。

 

それに加え母からの

髪を伸ばしても「いいよ」

という許可を貰えた事で、

髪の毛を伸ばせることになれた私は

毎日がハッピーそのもの。

鏡を見るのが嬉しくて

何度も自分の伸びかけの髪の毛を

触っては幸せに浸っていました。


そんな風して

明るくなった私には

4年生になり新しい友達が4人も出来て

楽しい学校生活を送れるようになりました。

登校拒否の克服ですウインク

 

私の人生を救ってくれた

あのおばちゃんのように

 

人の心に寄り添える人になりたい。

 

素敵な思い出のひとつですおねがい