読書は…お好きですか?

 

数年、いや数ヶ月前の自分なら口を濁しながら『ま〜好きだよ?でもたまに読むぐらいかな〜?』と即答していたでしょう。尖る口、揺蕩う首、そして「シーッ」って音を立ててから発する『〜』を想像してください。

 

そうです。僕はイキリ高校生であり、今をときめくイキリ大学生なのです。

 

いや、皮肉っぽく自分を紹介している時点で自覚のあるイキリに昇格しているのかもしれない…どっちにしろ僕は読むことを避け、読書を嗜むべきだと漫画に対しとても失礼で滑稽な態度を示していたことに変わりはありません。小説には手を付けず漫画ばかり読み漁っていたのに。天邪鬼やなあ…笑。この格差に理由をつけるならばどうだろう、社会的偏見…?いやそんな大仰なものではないはず。経験による論理的趣向なのか…?いや論理的に判断するには天秤が漫画に偏りすぎている。なんなのだろう。きっと壮大たるナニカではあるだろう。ふむふむ…そうだ!この僕の中に存在している判断基準はあれだ!

 

✨✨✨拗らせ厨二病だ✨✨✨

 

いやでも、これは男子全員が皆通る道なのでは?あるあるなのでは?いち早く外面も内面も成長していく女子達に劣等感を抱く男子中高生が真っ先に縋るのは『大人』という概念だと思います。二十歳になれば大人という称号を簡易に得られるものの、自己を形成できてない中高生にはとってはこれがあまりにも不明瞭なのです。大学生になった僕でさえ自分にとっての大人像を現在進行形で模索していますし。

 

話を折るようで申し訳ないんですが、先ほどタイプした大人像という造語がどうしてもジョジョを連想してしまいました。ジョセフ・ジョースターが放つセリフ『パワーを持った像(ヴィジョン)、そばに現れ立つというところからその像を名付けて幽波紋!』をね。うん。それだけ。ジョジョはいいわぁ…好きやわぁ…

 

とにかく話を戻しますと、僕自身が確立した大人像はタバコを片手にベランダで読書をしていたのです。そのため読みもしない小説をあたかも読んでいるかのように振る舞い、読もしない小説にお小遣いを落としていき、その場合必ずくまざわ書店のブックカバーをかけてもらっていました。なんとも恥ずかしい。この醜態(大人像)は何年にも渡り演じられ、数ヶ月前までは顕在化されていました。しかし!僕は出会ったのです!!僕のこのチンケな価値観を塗り替えてくれた小説に!それが

 

辻村深月著の『凍りのくじら』です。

 

いやほんとに素晴らしい。二泊三日のスキー旅行を終え雪景色の余韻に浸る乗客に紛れ、帰りのバスの中僕はこの小説を完読しました。物語の終盤へ突入するにつれ、言葉では形容しがたい感情が込み上げ、完読した直後にそれらを反芻しました。あ、まずあらすじを簡潔にまとめると、この小説は藤子・F・不二雄を敬愛する里帆子という高校生の自己形成、もしくは自己の再構築を皆が愛する秘密道具にちなみ描く物語です。また、この里帆子という人物が高校生とは思えないほど物事を達観しており、言い換えてしまえば高校生らしくひねくれてるんです。下手なあらすじで申し訳ありません…

 

ここから先ネタバレあり

 

しかしですね、そんな彼女が別所アキラという父の幻(?)幽霊(?)に出会い新たな内面を発掘していくんです。公式のあらすじでは『他とは違う内面を見せていく』と表現しているのですが、僕はこの変化を自己形成と解釈しました。愛に飢えているのにも自身に素直になれず、今まで築き上げてきた人生観に矛盾が生じるのを恐れる彼女の葛藤は様々な読者に通ずるものがあると思います。このなんとも言えないむず痒さや焦燥感を皆が愛する秘密道具にちなんでの表現こそ、この『凍りのくじら』の素晴らしさだと思います。現に、小説をあまり読まない僕ですら自身の人生と里帆子を重ね、感慨に耽りましたし、、、笑。

 

はぁ、、、ブログってこの長く書いても良いんですかね?ブログ初心者なので許してくだせえ…

 

まぁこのまま続けるんですけどね。はい、ここで先ほど述べた『人生観に矛盾が生じる』という現象に着目すると、ハッと身のすくむような思いをする読者もいるのではないでしょうか?僕は鳥肌がブワァッと立ちました。たとえそれが間違った自己、納得のいかない自己、他者が求める自己であったとしてもその自己こそが他者から見たあなたであり、自分からみたあなたなのです。ちょっと自己自己うるさいな、、、笑。人間として社会の中で生きていく限り、他者との関係は必ず築かれ、ソーシャルアニマルである人間はそれなくては生きていけません。だからこそ我々は他者から見たに自分に重きを置き、他者と比較して自身に価値を与えていくのです。いや、今自分でタイプしてて『なんて極端な判断なんだ』と自分でツッコんでしまいました、、、笑。

 

しかし僕のように自己が形成されていない人物には当てはまる気がしなくもないです。少なくとも、『C君のようになりたい』や『C君だったらこうする』と、ある特定の人物に憧れの念を抱き、C君=自身の大人像だと定着してしまった僕には当てはまりました。このように他人の偶像を反映するため他者のスタイルを真似てはいずれは矛盾が生じます。自分の人生ですもん。自身の足で歩き、耳で聴き、鼻で匂い、口で試し、目で見る景色は全てオーダーメイドですもん。だからこそ人それぞれにプライスレスと記された値札が付いており、人々は『唯一無二』という存在に惹かれるのではないでしょうか?

 

でもねでもね!今スグに唯一無二を確立できるボタンがあったとしても『いいや!いいや限界だッ! 押すねッ!』と吉良吉影のように押したがらない気がします。里帆子は物語の終盤にて『他人のことが好きな自分』という自己を劇的に確立していますが、僕はどうなんでしょう……大学生になったばかりだし、今は勉強を優先したい気が、、、まあ、多少の変化に一喜一憂できるのが我らがイキリの特権ですし、自分の趣味を追求しながら自分を好きになっていくと思います。それまではイキっていくぜい!!!

 

こんな当たり前で当たり前じゃなかった現実を築かせてくれた『凍りのくじら』には偉大なる感謝を。今なら自信持って言えます。

 

大好きです。今度は嘘じゃないっす。

(実は桜木でも春子さんでもなくアヤちゃんが最推しです。)