今日も上野は人で溢れかえっていた。アメリカ横町、通称アメ横では魚屋の店主が今日も元気にしわがれた声で商品を紹介している。だが、この通りを横に1、2本外れると、先ほどまでの喧騒が嘘のように途端に閑静な通りが現れる。
 その閑静な通りにある商業ビルの3階のカラオケボックスに高校生らしき二人の男女が入って行った。端から見ればカップルのデートとしか見られないだろう。二時間の枠を取った二人は部屋に入ると、L字に置かれているソファに隣同士で座った。
「どうだった。テストは」
 画面にはアイドルが新曲案内を声を張り上げて紹介している。うるさそうに音量を下げながら黒田が訊いた。
「楽勝よ。この女の頭の中、勉強の事しかないもの」
 訊かれた女はそう云って汲んできた水を一口飲む。
「笹原瀬里奈にはそれしかなかったからな」
「黒田君だって簡単だったはずでしょ。何でわざわざ間違えて答案を出すの?」
「君はそれで良い。元々学年一位だからね。成績が下がる方が却って目立つ。だが僕は中庸で良いんだ。目立ちすぎたくないからね」
 そう云って黒田は改めて瀬里奈を見た。彼女は黒田と同じ高校に通う女生徒だ。校内での試験は常に一位を取り続けている秀才である。胸の辺りまで伸ばした髪。どこか愛嬌のある丸い顔に赤いフレームの眼鏡をかけている。特段男を刺激するほどの容姿ではないが、見向きもされないという程のものでもない。背丈も158㎝と、これも高校二年生として高すぎもせず低すぎもしない。
 【見た目だけで云えば】ごくごく普通の女子高生だ。
「しかし、その言葉づかいに違和感はないのか?この間まで中年のおっさんだった訳だろう」
 瀬里奈はふふっと微笑を称えた。
「説明したでしょ。私はその人物の―」
「理屈は分かっているさ。ただ、もちろん僕には君の能力がないからその感覚が分からないんでね」
 喰した人物の姿に変えるこの人喰いの事を黒田はグールと名付けた。捻りのない命名だったが、姿を変えるたびに呼び名を変えなければならないのが正直面倒だったから、と云う事。そしてこいつは喰った相手の姿だけではなく、記憶や人格を得る事が出来る能力を有している。が、多量のそれを得た事で記憶に混乱が生じていた。それにより人喰い自体、自分の本来の名前や果ては元の性別さえも覚えていないからだった。
 グールが笹原瀬里奈に姿を変えたのは二週間前の事だ。黒田によって呼び出された彼女は、安藤の姿をしたグールに喰されその姿を奪われたのだった。
 
 
 黒田がグールと行動を共にしてからのほんの数か月でその生態はほぼ把握した。それは大きく二つの特徴があった。
 一つ目は喰した人間の姿になる事ができ、そして前述した様にその喰された人間の記憶と人格も得る事が出来る。その為、正体が替ったとしても第三者が気づく事はまずない。
 また、喰した人間の姿になるかは本人が選択できる。黒田が笹原瀬里奈の姿になる事を指示したのは高校生である黒田と行動するには一番自然に見えるからである。
 加えて彼女は勉強だけの学生生活を送ってきた為、友人と呼べる人間がいなかったのも好都合だった。彼女の行動が周りに注目されることは少ないからだ。
 二つ目は、一定期間内に食餌をしなければ恐らく生命活動が出来なくなる事だった。
 どれだけの期間でそうなるのかは(もちろん分かる事は死を意味するために)正確には不明だが、恐らくは一月に一度『食餌』が必要であろうと推測している。喰い溜めておく、といった事も恐らくはできないだろう。
 

 ただ当分その不安はなさそうだ。今まで単独行動で、隙を見つけて『食餌』を行っていたグールだったが、黒田が学生を呼び出せば無警戒のまま餌に有りつけるからだ。
 実際黒田がその身分を活用して、ここ数週間で既に三人の『食餌』を誘導していた。


「でも黒田君も笹原瀬里奈と同じで友人はそんなにいないでしょ。どうやって誘い出してるの?」
「僕と同じ年代の奴らなんて無能ばかりさ。心理操作して幾らでも動かせる。大概のやつらはね」
 云いながら黒田は中学時代の知人の顔を思い出した。自分と唯一対等の能力であると感じたのは後にも先にもそいつだけだった。確か城之内と云ったか。深く接していた訳ではないが、二年生の時に一度だけ同じクラスだった。
 話してみて非凡な男だとは感じたが、所詮はそれ止まりだ。



「で、今日はこれからどうするの?歌う?」
 瀬里奈が本気か冗談か分からない表情でマイクを手に取る。
「良いアイデアだね。だがその前に弊害となる事を片づけなければならないな。今日はその計画を話し合う為の時間だよ」
「弊害?」
「そう。最近僕らの『食餌』を調べ始めている者がいる」
「へえ、警察?」
「あんな無能な連中相手にわざわざ僕が前以て計画を立てるなんて事はしないさ。ちょっと調べたけど、どうやら警察なんかよりずっと厄介そうだ」
 腕を組む黒田を瀬里奈が意外そうな顔で見る。
「黒田君がそんな事云うなんて初めて。で、誰なの?」



「私立探偵らしい。名前は成宮琉華」
 黒田はそう云って残り少ない烏龍茶を一気にあおった。