今の自分の苦しみは感情機能の発達を、
現実の事柄によって半強制的に促されているんだろうなと思う

病んでいようとなかろうと
必ずこういうことは起きる
その人の人格的発展を期待し
それを期待するような環境が整えられる

誰が決めたのかなぜ生じたのかは分からない
とにかくそういうことが生じる

今回の例で言えば、運転の話しは自分が怒りの感情を感じられれば、
変な葛藤や恐怖を感じ混乱しなくてもすんだ話し
犬の糞問題はその問題を通じて怒りの意思表示を何らかの形で示し
それを打ち消さないことが重要だと考えられる

自分のしょうじょうであるきょうはく しんけいしょうは
(検索にかからないように平仮名で)
過剰な規律、ルールを自分に課していることによって感情が抑圧されていることが、
1つの要因とされている

私の自己治癒の力は過去には抑圧された感情を発作として表現した
今は発作は出ないが代わりの身体症状が出ている
しょうじょうの出方というのは、その人の今の状態を知るに有効で、
自分のきょうはく症状が軽減している事実は
感情の抑圧の過剰さが是正されつつあること示している

今のような苦しい状況の中、今私がこうして書いているように
様々な小説のような物語として真実に近いことが露わになっていくと
治癒は進展すると思われる

物語は未知の要素を自分の世界とつなげる働きがある
症状を出している元とつながることができれば
症状はもう夢の世界から出てくる必要はない

自分の感情抑圧はおそらくは母の影響だろう
父は感情タイプだったから違う
母はリ〇マチという身体の病だったが
自分の理解では父親の機能不全が関係していると思っている
女性は内なる男性性を父親に投げかけ、外に排出し、
男性(父親)と私という関係性の中、女性という身体に相応しい精神を創り上げていく

自分の周りに父親のような機能を果たす男性がいないとき、
その排出がうまくいかず、心の発達がある時期でとまる
すると女性はその原始的な男性イメージであるものに支配され、
女性的な身体がその男性イメージによって切り刻まれ、傷つく
母の場合はそうして身体の病として表現されたのではないだろうか

母は女性としての豊かな感情機能が男性イメージによって切り刻まれ、
その苦しみが私に対する養育態度に反映されている
私の病の重さを考えると、いかに母の病が重症だったか伺い知れる

これは私の1つの物語としての理解だが
私の中ではある程度腑に落ちているので私的にはこれでよい

今私は抑圧された感情がまた一段階解放される苦しみに苦しんでいるが
おそらくこれは私が治癒しカうんセリングが終結したとしても、
違う形で続く

特に死が近づいてきたら、何らかの形で自分から生きるエネルギーを奪う何かが生じてくるだろう
病か嫌な人か物か、動物か
それは分からない
その嫌なやっかいな事柄を通じて、死の準備が知らず知らず進められていく
何もせず、幸福に暮らしていて、ある日急に穏やかに死ぬ事なんて出来るはずがない
平凡に暮らしている中でも、必ずこのような働きが働いている
それを人が気づくか気づかないか、だけの話しで
常にそのような働きは働いている

自分の感情機能の発達課題が続く限り
犬の糞問題はともかく
日常の些細なことでまた傷つき、混乱し、苦悩するだろう
このように苦闘しないと感情機能は発達しない

このようなことは誰かが教えてくれるわけではないので
カうんセラーに話しを聞いて貰って、
後は自分なりにああでもないこうでもないと悩みながら
こうして物語っていく他ない

私はかうんセラーの介入によって上手くいった試しがあまり多くない
かうんせらーの言ってることや理論はその通りでも
それは旅の案内板みたいなもので細かいところはやはり人によって違う
自分の場合、自分がいろいろ語って、かうんせらーがついてこれればそれでよし、
ついて来られなければ介入というスタンスになっている
かうんせらーがそういう方針に長い時間をかけてそう決めたようだ

私はべらべらしゃべる思考タイプなので、それがいいかもしれない
私は自分の夢の内容も必要なものは記録しているので、いろいろいじる
枠にはめるより自由にさせた方が治療として有効と向こうは判断しているのかもしれない

どちらにしてもしばらくは苦しいだろう
夢の中では感情について自由になっていく感じだが
夢の展開は現実より少し先のことを言うことが結構ある
その夢のイメージを実現するために今苦闘しているんだろう

今ご飯があまり食べられない
体重が少し減ってきた
しばらくは退行したままだろう
今は余裕がないのでこうして様々なイメージを語り、
物語を豊かにしていくしか方法がない

自分の感情抑制の背後で母によるきょせい不安の働きを感じるが、
必要であるならばそれらについてもいろいろ語る必要が出てくるだろう
感情表現というものはただ出せばいいというものではない
その時々に相応しい出し方というものがある
その辺りも含めて、考えていかないといけないだろう