おはようございますこんにちはこんばんはお久しぶりです。

今回は私の大好きな作品の一つである魔人探偵脳噛ネウロです。


壮絶なネタバレを含んでおりますので、今作品をまだ読んでいない方はそのままPCをシャットダウンしてください。






では早速。




この作品にはある言葉がたくさん出てきます。

』、『』、『進化
この3つです。

この中の『脳』と『進化』について詳しく考察していきたいと思います



ではまず進化から。

いきなりですが、作品と主題の断片であると思います。

主人公であるネウロは魔人です。
力も強く頭も良い。これ以上の進化は望めないと作中でも語られています。


そんなネウロが興味を示したのは、周囲の人間の進化でした。

ネウロ自身は、人間の寿命は短い、だからこそ必死にもがいて進化する。人間の進化は魔人の想像を容易く凌駕する、と言っています。


さらに物語後半ではネウロの促した進化とラスボスの促した進化が少しではありますが対比されています。

以上のことから主題の断片といえるのではないでしょうか。





では、進化とはいったい何の進化なのか?




ここで脳について考察していきましょう。






少し話は変わります。

新しい血族対ヴァイジャヤではしきりに語られていることがあります。

それは強すぎる力についてです。

仲間である吾代は、強すぎる力なんて空しいで楽しくねえ、と語っています。

ではここでいう力とは何なのでしょうか?










私は肉体の力、暴力だと思います。

ヴァイジャヤの過去の話では力が無いから他人に搾取される描写がありました。

確かに力が無ければ抗えないこともあります。
ですがだからといって力が一番大切なのでしょうか?

私にはそうは思えません。
だからこそ作中で吾代は否定していました。




つまりこの作品で描かれているのは肉体の進化、力の進化、暴力の進化、ではないということです。




では何でしょう?





話を戻します。









ずばり私は脳の進化だと思います。

言い方を変えると、精神の進化だと思います。


周囲の人間を見てみましょう。

ネウロの相棒である弥子は肉体の進化は最後までしていません。
最後までひ弱な女子高生でした。

しかしそんな彼女も最初とは見違えるくらい精神が進化しています。

さまざまな事件を通じて、犯人たちと触れ合って、色んな人の感情を目の当たりにして

彼女は成長していきました。








結論を出しましょう。


人間の進化の本質は精神の進化にあると思います。

肉体の進化も確かに進化でしょう。ですがそれは本質ではないと思います。



人間が人間たる理由。ほかの生物と違うところ。

それは能が優れているところだと思います。
様々なことを思考できるところだと思います。
あらゆることに対して感情をあらわに出来るところだと思います。


だからこそ人間の本質は精神にあるのではないでしょうか。










作中最も進化した人。

私は笛吹さんだと思います。


初期の彼と後半の彼を見比べてみてください。

もう別人です。同じ人には思えません。


笹塚さんの死がきっかけになったことも大きいでしょう。

彼の涙には胸を打たれました。







余談

私は進化しない人間などいないと思っています。
逆に言うならば進化しない人間は生物とも思っていません。

生物として生を全うしているのであれば、進化は必須です。

誰のことかは存じませんが。


私もまだまだ進化したいです。













※個人的な考察です。壮絶なネタバレを含んでおりますので、まだ見ていない方は静かにブラウザーをシャットダウンしてどうかこの記事を見ないようによろしくお願いします。


『おおかみこどもの雨と雪』



見終わった後この作品のテーマをずっと考えていました。

キャッチコピーなどから、この作品のメインテーマは家族愛だと考えました。

また半分狼であるという人間ではない部分をどう人間と生きていくのか、が主題だと思いました。



しかしこの作品の主題はそこではないような気がします。

私はこの二人が狼である理由を、個性、と考えました。



それも単なる個性ではなくほかとは違う、違いすぎる個性です。

社会の一部として生きていくには個性など無いほうがよいでしょう。

ですが自分を生きるといった意味では個性はとても重要です。

その差異をどうするかが現代においての問題ではないではないでしょうか。



話を作品に戻します。

雨と雪の存在は対照的に描かれています。

幼少期、雪はとても活発で元気があり、虫や動物を捕まえたり野山を駆け回ったりしていました。

反対に雨はとても引っ込み思案のようでした。

何をするにも怖がっていて、新しいこと・外の世界を怖がっているようでした。



そんな二人に考え方を変えるような二つの出来事が起こります。

その一件を機に、二人の考え方は逆転します。

雪は狼であることをひたすら隠し、人間として生きる決意。

雨は狼として自然の一員として生きる決意。



幼少期と考え方が反対になっています。

私はこの部分が非常に重要だと感じました。

語彙が無く言い方が荒っぽくなってしまいますが、

雪の生き方は異質→一般

雨の生き方は一般→異質

のたとえだと思います。

異質、つまり他とは違うこと、大きすぎる個性といってもいいかもしれません。



雪は先述した一件から狼である事を隠そうとしていました。

自分の大きすぎる個性は時に他人を傷つけます。

自分を他人に認めてもらえない。

自分を否定される。

怖かったんだと思います。



物語の終盤、自然として生きようとする雨を、母である花は必死に止めようとします。

しかし最後には雨の生き方を認め、別れてしまいます。

雨の生き方は個性を隠さない、自分を生きるという生き方のようでした。

しかしそれは人間からしたらあまりにも違いすぎ、花は戸惑ったのだと。



現代では他人と違うことを美徳としていないようです。

周りと同じように、周りと違うならすぐさま同じように。

個性など持ったところで。



他人と違うことをするのはとても怖いことです。

それが違ければ違うほど恐怖は増します。

他人と違うことをするのは難しいことです

が、それを認めることも同じくらい難しいと思うのです。

だからこそ花は迷い悩んでしました。



この作品の本質はここにあると思います。

他人と違うことの難しさ、そしてそれを認める難しさ。

どちらもとても大切なことです。

特に現代においてはあらゆる場面でこの問題にぶつかると思います。



タイトルが『おおかみこどもの雨と雪』

何故弟である雨を先においたのか疑問に思っていました。

完全に私的な考えなのですが、物語の主は雨にあるからだと思います。

語感が良いというのが本当の理由かもしれませんが(笑



長々と取りとめもなく語ってしまいました。

個性を生きる自分を生きるというのは大変です。

ですがとても大切です。

私も日々考えながら生きていきたいものです。


作品や事柄に触れ合って感じたことを文章に記したいと思います

※個人的な考察です。壮絶なネタバレを含んでおりますので、まだ見ていない方は静かにブラウザーをシャットダウンしてどうかこの作品を見てください。