はじめに、息子のこれまでを記しておきたいと思います。
保育園時代
言葉がなかなか出なかったため、伝えたいことが伝えられずに諦めていることが多く、我慢したり諦めてしまうことが多くありました。母子分離不安が強く1歳で入園してから6年間、毎日この世の別れか…というくらい泣きとおしました。
小学校入学
入学式は嬉しそうに参加したものの、母子分離不安は続きました。スクールバス通学4日目にバスの中でトイレに行きたくなったようで・・・。それを伝えることができずに失敗した経験がトラウマになり、登校しぶりが始まりました。何とかごまかしながらも登校していましたが、クリスマス前に爆発!母子登校が始まりました。
2年生・3年生
登校拒否と母子登校を繰り返し、不安定ながらも学校とのつながりは保つことができました。
4年生
自宅がある地域に新設校が建立され、移動することになりました。
相変わらずのバス投稿は拒否で私が毎日送迎をしていました。母子登校から始まり、担任の先生が寄り添ってくれたおかげで何とか登校できている状態でした。
このころから暴れることが増えてきて、薬を服用するようになりました。
最初はリスパダールから始まり、1か月で体重が10キロも増えてしまい、涎が常に流れ出ていました。
その割には症状は改善されず・・・。ボーっとすることが多く、エビリファイに変更しましたが大きな変化は見られませんでした。
5年生
新型コロナウイルスの流行による休校で、何とか維持できている状態から旧転落。
コロナ禍ということで母子登校ができなくなり、帰りの会だけみんなに会いに行くという状態になりました。
今思うと、朝、登校すれば、親の私と引き離されるという不安があったように思います。
6年生
何とか私の送迎で朝から登校してみるものの、行けば先生に引きはがされるという経験を積み、完全に母子分離不安症になってしまい、完全な不登校になってしまいました。
学校の先生も、親が帰れば何とかなる・依存が強すぎるという考えだったようです。
確かに依存度は高いとは思っていましたが、言葉が話せるようになったとはいえ、すべて上手に伝えられるわけではなく、だけど伝えたいことはたくさんあり・・・という状態だったので、話が伝わる親の私と離れることに大きな不安があったようです。
常にどこへ行くにも私と離れることができず、一緒にいる大人に対して不信感を持ち、自閉症の特性が目立つようになってきました。
10月末には毎日のように暴れるようになりました。
薬はどんどん増えていき副作用も強く出て、涎を垂れ流し、泣きわめき、殴る蹴る、物を壊す・・・。
そんな日々が続き、警察にもお世話になることもありました。
そんな頃には支援者として向き合う余裕はなく、ただの一親として基本的な支援もできなくなっていて、施設に預けるしかないかもしれないと考えていました。
そんな頃、尊敬する感覚統合の先生に相談できる機会に恵まれました。
「もう本来の姿が見えなくなっている。一度、断薬をしてみたら・・・」という言葉に、もっと酷くなったらと恐怖でしたが、服薬をしていても暴れる状態は変わっていなかったので、一大決心をして断薬することに決めました。
12月末には薬を断ち、1月4日からの20日間は全く暴れることもなく過ごしました。
ところが反抗期も重なってなのか、何かしらの対応が気に入らないのか、一週間に一度くらいのペースで暴れるようになりました。
本人も落ち着いて話ができる状態だったのですが、ここで環境調整がうまくいかなかったのが原因かもしれません。
本人は、AだからBという論理的思考が育っている部分とつながっていない部分の凸凹が強くい部分もあり、自分の希望はAだからこうすればいいということが肝心なことになるとつながらないようでした。もう大人が信用できなくなっている感じも強く見えました。
施設に預けるにも、今のままでは根本的解決にならずに、ただ傷を深めるだけだという支援者の方の助けを受け、もう一度基本に戻ろうと立ち上がりました。
身体も大きくなり、落ち着いている時と暴れている時の差が激しく、地雷を踏まないよう緊張感が漂う日もありますが、支援者の一人として向き合い、「薬で障害は治らない、一番大切なのは環境調整」ということを忘れずに、二次障害を克服していきたいと思います。
本来の息子の笑顔を取り戻すために・・・。
