贄巫女(にえひめ) ⑲
そして、ゆっくりとだがキョーコのお腹が丸みを帯びて膨らんでくると、レンは驚きと女性にしかない神秘の力に興味をもってそっと触れた。
「命とは…不思議なものだな」
「そうね。私も、レンだって……種族は違うけど、ひとつの命よ。この子も……」
「……そうだな」
レンも穏やかな笑顔を浮かべるが、気になっていたことをキョーコに聞いてみた。
「そう言えば、キョーコは子供のことをかなり早くにわかったみたいだが……自分の身体だからだろうが、男にはないから……とか、説明しにくいみたいだったが、何だったんだ?」
「えっ? 説明…いるの?」
「これからのこともあるから知りたい」
「こっ、これからの!?」
女の身体の分野のことで、男にはないなら今更話をすることも……と思っていたのに、レンは『これからのこと』と…未来を見つめて問いかけられては、キョーコも答えなければいけない。
……今お腹にいる…この子だけではない、未来に生まれ来る子供の為にも…。
そしてそんな思いでいてくれるレンが嬉しい。
「女性だけにある…赤ちゃんを迎える為の準備のことなの」
「……それって、『月のモノ』とかいうアレか?」
「…………レン、…………知ってた…の?」
「バンパイアの鼻を侮らないこと。血の匂いには敏感なんだ。キョーコの場合は全身からの甘い匂いが強いけど、香りも違うし、第一ソレに触れるのはデリカシーのない奴のすることだろ?」
「まあ、そうね…」
だがレンも、出逢いから数えれば月日が流れたとも言えず、キョーコのソレを知ったのは、レンも一度きりのことだったが…。
キョーコとしても詳しく説明しなければならないことがひとつ減って良かったような…。
「その…ね、私の月のモノ……だけど永い旅の間、お休みしてたの。それが……レンに出逢う少し前から、……また巡り始めて、不思議だったの…………」
「…………なにがだ?」
「…やっぱりそこまでなのね…」
男性であるレンが、いくらか女性に詳しいとしても、余りに詳しいとキョーコとしてもこれまでのレンの生活の陰に女性の姿が見えそうで…見えない陰に嫉妬してしまいそうだったので、ほっとした。
「本当は『月のモノ』という言葉通り、毎月ぐらいに定期的にあるのが普通だけど、ずっとだと巡らせる身体の場所であり、今は赤ちゃんのいる場所、赤ちゃんの揺りかごが簡単に言えば疲れてしまうの。ここまでは分かる?」
「……『月のモノ』は言葉通りに毎月あるが、毎月あれば赤…んぼうのいる場所が疲れる…ということか?」
「そう……。それに私の場合、二十歳で刻が止まってしまったと同じ頃、『月のモノ』も止まってしまったの……。少し驚いた……。心なのか、二十歳で刻が止まったせいなのか、旅の疲れとか……、考えても分からなくて…………」
「…キョーコも不安になったのか?」
キョーコを思ってレンの声は優しかった。
キョーコもレンに素直に思いを口にした。
「うん…………。『贄巫女』だった時ならわからない。でも巫女として…聖なる乙女なら、誰かと夫婦になる訳でもないなら……子供を授かる事もないなら……」
「そう思いながら………でも、いつか…子供を……宿してみたかった?」
レンの声は優しくキョーコの願いを言葉にしてみた。
「…………巫女のままではあり得ない望みなのに、二十歳で刻が止まった時も寂しくなった。刻の流れを感じながら、旅をしながら……身体だけが…「取り残されたようだった」」
『刻に…置き去りにされた存在』
キョーコの言葉にレンの言葉が重なったことに、キョーコは驚いてレンを見た。
自分と変わりない永い刻を……レンも旅してきたのなら、同じ寂しさも知っているのだと、キョーコにもわかった。
「今はキョーコと赤んぼうがいるけど、俺も一人だけ取り残されたような気がして生きてきた。その孤独も、今はキョーコ達に埋めてもらってる」
「私…達で?」
「キョーコだけでも宝物だと思った。でもまた宝物が増えた。俺の中の渇きも潤いが染み込んでいった。キョーコに出逢って色んなものを沢山もらった」
「私も……レンに出逢えて幸せも、切なさも、歓びも……言葉にできないぐらいの大切な思いも、教えてもらった…」
「身体だけが…取り残されたようだった。……刻に…置き去りにされた存在だと思ったけど、キョーコに出逢って…刻が動き出した」
「良かった……」
孤独を舐め合い癒すのではなく、抱き締め合い、暖め合い癒していけるなら……これからは孤独ではないと、キョーコは思った。
「それでね、私の揺りかごへの巡りが再び始まって…刻が動き出したのか、何かが変わるのか、見えない未来が…不安になった刻、レンが現れたの。その時はレンと結び付けて考えたりした訳じゃないけど、レンとひとつになれた日の頃が……子供が授かりやすい巡りの日だったの……」
キョーコが少し恥ずかしそうに、今に至る最後の巡りを言葉にした。
「……つまりは…天の声は俺達を引き合わせたくて、待っていたのか? あやつは……」
キョーコの説明に、レンが語気を荒げて天に対しての怒りを見せた。
「私じゃ…イヤだった?」
「イヤじゃないから腹が立つ! キョーコじゃなかつたら、ここに居るか!」
レンも今の状態がイヤな訳はないが、気付けば用意されていたのかということには腹も立つもの。
それもキョーコの身体の準備までとは、コマのひとつになる気はないが、用意され過ぎては自分達で動いているのか、操られてはいないか…レンは天を睨み上げた。
だが……貰ったものが多過ぎて、直ぐに止めてしまった。
レンは キョーコにキスをおくって優しく微笑んだ。
「天は俺に……褒美をくれ過ぎた……」
レンの言葉にキョーコは嬉しそうに笑みを浮かべた。
そして……キョーコが身重になれば、レンは思ったより甲斐甲斐しく世話を焼いた。
最初に話した時に固まって驚いたことが嘘のように、キョーコとまだ見ぬ子供を大切にして過ごした。
特に、レンには華奢なキョーコが身体を重たそうに動かす姿が、子供を労りながら…ゆっくりと愛おしく撫でたりする様子が、愛おしいが心配でもあった。
「キョーコが頑張っているのに、あまり助けてやれないのは歯がゆいな。君の華奢な身体に、子供は嬉しいけれどキョーコの身体が潰されそうで怖い」
「大丈夫。女性の身体は…こんな時の為に丈夫に出来ているのよ」
レンが本気で心配してくれているのが、キョーコにも伝わりレンにも安心して欲しくて言った。
「だが……夜は見守ることも出来るが、日が出ている間は…何も出来ない。それが不安だ……。それに、キョーコ一人で産むことは出来るのかも心配だ」
「それは……天が見守ってくれると思うわ…」
「だが、子供を産むのは時間もかかるし、大変だと言ったじゃないか? そんな時にキョーコ一人では、心配だ」
男であると同時に種族の違いもあるが、何も知らないでは手伝えないと、子供を産む時のことをレンはキョーコに尋ねて少しは勉強していた。
「大丈夫よ…」
「キョーコの大丈夫は…頑張り屋の君では信用出来ない。いつも無理をするからね」
「………ゴメンなさい」
キョーコが首を竦めてすまなさそうに謝った。
「謝らなくていい」
キョーコが謝る姿が可愛くて、レンはクスッと笑った。
その頑張り屋のところもキョーコたる所以だとレンにもわかっている。
「それと、キョーコには触れられるが、産まれてくる子供には触れられるのかな?」
レンはキョーコから産まれる…そして自分の子供が、愛おしい存在として待ち遠しく思うほど、最初にキョーコに弾かれたように触れられないでは淋しいと思った。
キョーコの子供であれば……聖なる存在として魔族の自分が触れられない可能性もあると考えてしまった。
「それに……夜しかこれからも会えないのか? 子供が産まれても、相手をしてやれないのは寂しい気がする…」
レンがポツリと呟くと、「そうね」とキョーコも頷いた。
『これからもそなたがキョーコを慈しみ、大切にしてゆくなら、お前の属性を人間に近いものに変えてやろうか?』
いつか聞いた天の声が、レンとキョーコに声をかけてきた。
「本当か?」
レンは叫ぶように天を見上げた。
『本当だ』
「天の声よ。キョーコを…そして俺も『種となる人』というのなら、俺がキョーコを支え、守れるように助けてくれないか? 今のままではキョーコを昼間に守ってやれない。子供が産まれる時に助けてもやれない」
キョーコは、レンが自分の為におおいなる存在であろうと…キョーコ自身を守る為に助けをこう姿に驚いた。
レンはバンパイアである自分にも誇りを持ち、簡単に助けを求める性格ではない。それが、キョーコと子供の為に助けを求めてくれるほど、大切にされているのだと思えば、その気持ちだけでも嬉しかった。
『良かろう。お前の想いはわかった』
「出来るのか?」
『お前にそれだけの想いがあるのなら、難しくはない。』
「では、頼む」
『ただし、お前を人の属性に近付ける代償として、お前の中のバンパイアとしての血も眠りにつく。消える訳ではないがよいか?』
「バンパイアの血が眠るだと?」
この言葉には、レンも驚きを隠せなかった。
『こればかりは仕方ない。血と身体の中にあるモノの中に、日に弱き因子が隠れているのだ。お前の種族は一時成りを潜めるが、天と地が落ち着く日が来れば、また亜種としてそなたの血を受け継ぐ種族も生まれよう』
レンにとっては、まだ見えぬ先になら…同じような仲間が現れるのだと、今までの永い旅よりも遠い未来のような気がした。
「俺の生きている間か? 暫くはありえないのか?」
『あまり急ぐな……。いや、お前達の時間にしては永き刻を…旅していたな……。だが、少し時間をくれ』
キョーコもレンも、天の声が優しくなったのを感じた。天と人の時間の違いを汲み取ろうとしてくれている気がした。
『折角の家族としての関わりのない生活は、キョーコにとっても寂しかろう。子にも親が揃い賑やかなる。キョーコと共に生き、新たな種族が新しいこの大地に溢れて行くまで、しばしキョーコと変わらぬ属性として子を育ててゆけ…』
天の声が優しくレンにも言葉をかけた。
『レン……お前の種族のことは、今暫く……お前の生きる間の…もう暫くは、レンとしてキョーコを愛し、支え、それらを自然と行えば、人として生きられるように配慮がなされる。日を浴びることも、子供達と太陽の空の下で遊んでやれるように…』
「俺の種族は…俺の血の中に眠ると言ったが、本当に…また種族として増えていくのか? 俺が朽ち果てた後でもいい。俺はキョーコと共に生きよう。だが兄や仲間達との繋がりが切れてしまうのは、忘れられてしまうのは、淋しいのだ!」
キョーコは初めてレンの弱さを見た気がした。
キョーコも淋しさを感じていたが、今のレンの言葉はより淋しさを感じられた。
レンには……バンパイアはもう自分しかいないと感じていたことになる。
「レン……レン、レン! 私とあなたは家族よ。種族は違っても、私とあなたはもう離れないから!」
キョーコはレンにしがみ付くようにして抱き締めた。
ひとりではないと伝えたかった。
レンの淋しさをキョーコは泪を流して受け止めた。
もしもいつか……レンの種族として離れて行く日がきても、その時はレンの進む道に行かせてあげようとキョーコは思った。
「キョーコは家族だ。そして産まれるくる子供も……。子供はどれくらい産まれるのだろうな…。この大地に人を増やせと天が言うが、キョーコは何人欲しい?」
天の声が遠退けば先ほどの叫びも静まり、レンも穏やかにキョーコへと声をかけた。
「何人?」
レンにそう言われても、キョーコにも返事に困ってしまった。
まず何より…今宿るこの子供を無事産むことが大切で、その先のことなど考える余裕などないのだ。
だが天に望まれる子となるのなら、それに愛するレンの子供なら、レンの淋しさも消してくれる子供達なら何人も欲しいと思った。
「レンとの子供なら、沢山いてもいいわ」
そして、レンも日中の生活にも慣れた頃、キョーコは臨月になって、はち切れんほどのお腹にレンはいつ産まれるのか心配で仕方がない。
キョーコの体型が華奢なせいで、少し動くだけで余計に気が気でない。
「レンは心配性ね。心配してくれるのは嬉しいけど、動かないのもダメなの。それに産まれる時には陣痛という合図があるから、大丈…夫……いたっ……ん…」
話している最中に、キョーコが顔をしかめて痛みを堪えているのがレンにもわかった。
「キョーコ…もしかして陣痛か?」
「…かも……しれな……」
「産まれるのか? 俺達の子供が……」
一時の痛みが去ると、キョーコは息を吐いてレンを見た。
「陣痛は間隔をおいてまたくるの。間隔が短くなると産まれるまでもう少し。でも人によって違うと聞いたから、何時間かかるかは分からないの」
「長いと言ったが何時間もか? その間、何度も苦しくなったりするのか? ……女が丈夫に出来ていると言ったのは、それもあるのか……」
苦痛は誰でもしたがるモノではないが、母親になるということはレンには想像も出来ない大変さを感じた。
そして二人の子供は力強い産声と共に産まれて来た。
レンの属性は眠りについているため、キョーコの人としての血を受けた子供だった。
レンは産湯につけて洗い、小さな壊れ物を扱うように身体を布で拭き柔らかな布でくるみ、小さな赤子をこわごわとキョーコの横に寝かせた。
「やっぱりレンが居てくれて…良かった。頭の中で知っている知識では、限界があるもの…」
「俺は……どうしていいか……、キョーコに聞いていても分からなくなった。キョーコも苦しそうだし、俺は……役にたったのか?」
「充分よ………パパ」
「……パパ?」
そう呼ばれて、レンは視線を上にあげ…下ろしてからは恥ずかしそうに口元を隠してしまった。
「ふふふ……。今日からレンもこの子のパパよ」
「キョーコはママか……」
「私達の新しい家族よ」
キョーコは産まれて来てくれた我が子をそっと抱き締め、その愛おしい存在に泪が溢れた。
≪つづく≫
あと、ラスト1話ですm(__)m