贄巫女(にえひめ)              ⑮
 
 
 
     バンパイアといえば、禍禍しい風貌に夜の色を纏っているとばかり思っていたのに、漆黒の髪も美しいその姿は、月明かりを受けた美しきケモノにも見えた。
 
「もう…お別れしよう……。いつかお別れするつもりだったけど、一緒にいる日が永くなるほど……寂しくなりそう…」
 
   キョーコは 種族の違うことも、贄巫女の力がレンを危うくしてしまうことも、贄巫女の人としても違うこの命の長さは、いつかレンとの別れを心においていた。
    共に生きることが許される筈はないと、そして修行の身で思いが零れる恋をしてしまうことが、許される筈はないと思った。

     ユーリと話して、レンとの旅も奇跡のような出逢いも、全てが宝物だと思えた……。
     だからこそ……その宝物を大切にしたくて、キョーコはレンとの旅を終わらせようと思った。
 
     キョーコは泪を拭って、レンとの別れを不自然にならないように切り出す言葉を考えた。
 
 
 
   …そして………
 
「ねぇ、レン。私……そろそろ聖なる地を回って勉強をしたいと思うの。だから……レンとの旅は終わりにしたいの」
 
    レンには聖なる地を旅することは、夜になっても体に堪える筈だ。別れる理由としては、一番分かりやすい理由だった。
 
「……なぜ急に?    俺の話は飽きたのか?   それともこの前の……」
 
      レンが口にしかけて止めたのは、試すようにして口付けを交わして…互いの内にあるものを見つけてしまったのに、それに触れずに過ごした思いの日。
     レンの視線がキョーコにも痛いほど感じられた。でも視線を合わせられなくて、目は二人の間の焚き火を見つめていた。
 
     毎晩のようにレンから聞く話は、キョーコにも興味深いモノがあり、時間を忘れて聞き入っていた。
     キョーコへの子守唄代りの話も、心が柔らかくなるような優しさが感じられて…いつも優しい夢に誘ってくれた。
     その時間がウソではなく、でも感じてしまった心の揺れを…甘過ぎる口付けで知ってしまった思いを知られるわけにはいかない。
 
「レンの話は、いろいろと興味深くて、だからこそ…レンの知らない処にも、もっと行ってみたくなったの。私の旅も宛もない旅ではなくて、遺跡文化を巡ったり、あなたの話に出てきた不思議な場所も行ったわ」
 
   レンには聖なる地の話を聞くことはできなくて、だから別れて旅をするといえば、レンにも正当な理由に聞こえる筈だった。
 
「確かに…魔族に属するバンパイアの俺は、聖なる地の話は知らない。だが、昨日までのキョーコは、なにも言わなかった。一人旅が長くてひとり言を言うクセのお前が無口になり、今の理由を見つけ出したのは、どんな理由がある?    俺との旅は、疲れたか?」
 
「そんなこと……。楽しかったけど、いつかお別れはくる。あんまり楽しいと、ひとりは寂しくなるから、それに修行もしなければいけないもの。楽しい時間は終わりにしたいの」
 
   ポツリポツリとレンへの別れを告げるキョーコは、言葉にしながら自分でも心に傷つけているようで、少しづつ表情に寂しさをにじませて俯いてしまった。
 
   キョーコのその姿に…レンは深く…ひとつ溜息を吐いた。
 
「俺の知っているキョーコという女は、相手を傷つけないように言葉を探す。その顔にはホントは何が言いたいか、全て見えているのに。全てバレているのに…」
 
    レンの言葉を否定するように、キョーコは何度も首を振った。
 
「違う、違うの。……あなたといると、弱くなるの…。だから……一緒にいるのを止めたいの…」
 
    キョーコがポロポロと泪を溢して泣きながら、レンへと言葉にした。
     キョーコが気付くと、レンが焚き火の向こうからすぐ近くに近づいていた。
 
「俺は、キョーコといると強くなる気がする。俺はキョーコと一緒がいい。ずっと、それにもっとキョーコが欲しい…。もっと……キョーコの全てが…」
 
    キョーコはレンの気持ちが、その目の切なさから自分と変わらないほどの気持ちだと気付いて、堪らなくて……レンから逃げるように立ち上がった。そして慌てて後に一歩下がって叫んだ。
 
「ダメよ!」
 
   逃げたキョーコに、レンは一歩近付く。
   惹かれ合う心のキョーコの叫び。
   嬉しいと思う心がありながら、それは無理なことだと、レンの目を見て泪が零れ続けて…。
 
「ダメ、ダメ!    私とあなたでは、あの月の夜に触れられただけ!   あなたの種族とは触れ合えないの。だから……お別れしましょう……」
 
   更にキョーコが一歩逃げると、レンがそれを追う。
 
「それでもいい。キョーコに触れて焼かれるなら、お前に触れられるなら!」
 
     レンのその言葉に、キョーコはなおも大きな声で叫んだ。
 
「ダメ、ダメなの!    私にあなたが触れると、あなたは、あなたは焼かれてしまう!    私…あなたが初めて私に触れようとした日のこと、思い出したの……」
 
「あの日は!    あの日の俺は!」
 
    レンは出逢ったばかりで、キョーコの心など考えていなかった日……。
     甘い極上の血に惹かれてキョーコの血を望んだレンだが、今の自分とは全てが違う日だと、キョーコに告げようとした。
 
「わかってるの……。あの日はレンの血のバンパイアとしての本能が、人の血を……聖なる血を望んだのでしょう?」
 
「…そうだ。今の俺とは違う!」
 
    言い訳に聞こえたとしても伝えようとした言葉を、キョーコは知っていた。
 
「……私…あの日の、あの時の記憶がぼやけていて、少し前にはっきりと思い出したの……」
 
「思い出した?」
 
     レンはキョーコがあの時にも反応がぼんやりしていたのは覚えていたが、キョーコの記憶まで薄められるようにしていたのには、違和感を覚えた。
 
「私も何故だか不思議だったけど、今なら…その理由がわかる。本当のあなたを知る前に、ただ怖いだけの魔族のバンパイアだと……逃げてしまわないように、本当のレンを知るために……。でも…知ってしまったら………」
 
     キョーコはうつ向き加減で…、レンに顔も……揺れる心も見られぬように…、更に後ろに下がった。
 
 
    レンに……触れられたら……ダメなの!
    あなたの……あなたの心に触れたら、逃げられなくなる!
 
 
「俺を…知ったら、君に触れたら……、それでも君は逃げるのか?」
 
    レンの気配が僅かに穏やかになるが、それでもキョーコに近付くのは止めない。
 
    キョーコは後に生えていた木に背中を止められた。レンは尚もキョーコに近付く。
 
「触れないで!      お願い!    ……忘れられなくなるから、……お願い!    あなたを傷つけたくないの!」
 
    泣きながらキョーコが叫ぶように言った。
     もうキョーコの気持ちはギリギリだった。
 
 
    触れたい……でも触れたら……愛する人を傷つけてしまう………。
 
 
「…やっと言ったか……。それが本音なら、もしお前に触れて焼かれても、俺はお前を忘れない。霊(たましい)に刻み込んで、またお前を探して出会ってみせる」
 
「レン……」
 
    キョーコは心も身体も、逃げ場を無くしてレンを見つめた。そしてその目からの泪は溢れて止まらずに頬を濡らした。
 
「レン……。私も…あなたに……触れたい……」
 
     キョーコの本当の気持ちが溢れた…。
     レンへと伸びるキョーコの手……。
     愛する人に触れたのは、新月のあの夜だけで、キョーコもレンに抱き締められたかった。
 
「俺もだ……」
 
    更にレンの脚が一歩進むが、キョーコの表情が一瞬はっとした後、何故かキョーコの手がレンに止まるように合図した。
 
「…え…あ……でも……」
 
「でも?    まだ何か…あるのか?」
 
     近づいては止められ、……レンも焦らされているようでキョーコを睨んでしまった。
 
「あの…ね……、でも……次の新月まで、待って。お願い…」
 
「新月?     新月……なら?」
 
     二人の視線が絡んだ。
     二人が唇を合わせられた…新月の夜のような何かが?
  それともそれよりも何かが?
     レンにもそんな考えが過った。
 
「多分………その刻から…変わると、思うから…」
 
    キョーコの表情が、自分でも理解しがたい何かを感じて不思議そうに言った。キョーコ自身がはっきりと理解して話しているわけではないせいか、どこか言葉がたどたどしい。
 
「……何が変わるというんだ?」
 
    レンは、キョーコが別れを言い出した時と明らかに違う表情と言葉に、目の前にいるキョーコの見えないところでの変化が不思議だった。
 
「はっきり分からないけど、予感のような……何かが頭に響いたの…」
 
     キョーコも本当はレンと共にありたいと思っている。だが、その思いとは違う場所で感じた声は、自分とレンの先を見守る思いも感じられた。
 
「それは…巫女としての予感か?」
 
「分からないの……。何なのか……今までの感覚と違うから…はっきりとは……」
 
   キョーコ自身も「でも…」と言いながらも、確信を持てないながら、贄巫女として天から降りてきた言葉を伝えていた時と近い感覚もした。
 
「……わかった。新月まで待とう。もう数日だ」
 
     レンは仕方がないと溜息を吐いて、キョーコに触れることを、今夜のところは諦めることにした。
    キョーコの戸惑いながら…それでもレンを受け入れようとしていた表情が、レンから逃げる為の嘘ではないとわかったからだ。
    レンは、すぐにキョーコにも触れられないことにジレンマはあったが、ただ…無理にキョーコに触れようとしても逃げてしまうだろうことは、別れを言い出したキョーコの気持ちがあれば、無理なことは出来ないと思った。。
     今は互いの気持ちがわかって、キョーコの思いも知ることができたことでよしとするしかない。
 
    あとは新月の夜に、何が変わるのか…?
 
 
『多分………その刻から…変わると、思うから…』
 
    レンはキョーコの言葉に、それほど遠くない日に言われた言葉を思い出した。
 
『刻来れば、自ずと判るだろう』
 
 
「あの…天からの声か…?」
 
    キョーコと天の……重なる言葉に、レンは形を変える月を見上げた。
 
 
     今夜は下弦の月……寝待の月か…?
    三日月のようにあやかしの名を持つ月の夜ならば、新月迄の時間さえ惑わして……キョーコに触れたい………。
 
     レンにはほんの数日の刻さえも待てないほどに、キョーコに恋い焦がれて…胸が熱くなった。
 
 
 
                                 ≪つづく≫
 
 
本日少し長めです…。
この先、長目が少しありますのでよろしくですm(_ _ )m