贄巫女(にえひめ)         ③


「何処に行こう?」

    誰も居ない村に一人残っても悲しいだけだと、村を出ることにはしたが、だからと言って行く当てなどは何もない。

    キョーコは生まれた村から出掛けたことがほとんどない。村人達も村から見える山を越えた者もほとんどいなかった。
    贄になる運命に、余計な知識も必要ないと、小さな頃はたいした勉強もさせるつもりもなかった。それが、神から声を聞き、村にとっては恩恵をもたらす存在になった。
    長老は自らの知識も与え、一度だけ『巫女の泉』と呼ばれる泉に洗礼に連れて行った。
    長老にとっても旅人から聞いた頼りない旅だったが、聖地とされるだけあって、近くに行けば丁寧に場所を教えてくれた。
    それに加えて巫女としても才のあるキョーコは、呼ばれるように間違いのない方角を…道さえない平原でも歩いて行った。

    巫女の聖地『巫女の泉』には、ベールを被る聖女も、質素な姿でも恥じることなく祈りを捧げる少女もいた。心に祈る神の違いはあれど、それぞれに頭を垂れて敬う気持ちを忘れない姿は、長老にも美しく心を洗われる姿ばかりだった。

    キョーコ以外にも才能のある巫女と呼ばれる少女達が身を浄め、神に願いを捧げていた。
    その少女達も、キョーコを見ると先を譲ってみせた。
    長老は不思議に思い先を譲った少女に聞いた。

『あの少女には、天からの大きな加護が眩しいほどに降り注いでいます。いつか大きな疫災があっても、彼女が大いなる神からの御力で救うほどに強い加護です』

     他の巫女と呼ばれる少女達も、一様にキョーコに見せる憧れの表情は、長老を驚かせた。他の少女達もキョーコには一目おき、争うことなく並ぶ中でも先へと順番を譲った。
    いくらかの才があると連れてきたが、簡単に贄巫女として捧げてはならない存在だと知ってしまった。
    この時のことがあり、長老は最初に倒れた村人の時に、すぐに贄巫女を捧げることを躊躇った。そして翌日、長老自らが倒れてやがて村で動けるのは…キョーコだけになっていた。


    キョーコには心が洗われた旅だった。
「いつかまた、『巫女の泉』に行ってみよう」
    贄巫女と呼ばれただけではなく、キョーコはあの泉に呼ばれていると感じた。
    巫女の聖地と呼ばれる泉から、優しい風が吹いてくるのを感じた。

    キョーコは村を出る時にそう思ったが、まずは今まで知らなかった世界を探して旅をした。
    旅をしながら広い知識を、乾いた土が潤いを求めて水をすいとるようにして、キョーコの中の知識の泉は溢れる学びを吸収していった。

    しかし旅の始めの頃は、旅らしい旅もしたことのないキョーコには、どうしたら長き旅を過ごして行けるかさえわからなかった。普段履いていた履き物さえ、村の中で履く弱いモノで、知恵を絞りながら樹のツルで編むことを覚えた。
    人としての身体を維持するために、他の生き物からの命をもらい受けることも、感謝の念を忘れることなく手を合わせた。多少の空腹を我慢することは厭わないキョーコだが、この試練を遣わしたのが神なら、いずれ他の命あるもの達のように土に還る日まで、粗末に命を失う生き方をしてはならないと、不安を抱えながらも、天を仰ぎ神の試練を生きようとした。
    キョーコは姿は見えずとも…全てを見守る天の神に祈りを捧げた。


    何ヵ月も、時には何年も…人と巡り会わない年月を過ごすと、この地に生きるのは自分以外に何人いるのかと、神にも尋ねたくなった。
    試されているのは、自分一人ではないと感じた。

「神よ。この地上に住まう者を、試されているのでしょうか?」



   やがて………刻は流れ…。


    ……そして…………。
     キョーコの人としての生は、既に何代分もの年月を生きた。
    旅には慣れたが、不用意に同じ場所には行かないようにした。贄巫女の不思議な力で生かされた死ねない身体の秘密を、誰かに知られることは止めた方がいいと思ったからだ。
    それでも『巫女の泉』には何度か足を運んだ。顔を知った巫女が居る筈はないと思ったが、顔は隠して行った。気のせいではなく巫女の数は減っていた。
    天を仰ぎ感じるのは、大気の流れや地の流れのバランスが、ゆっくり乱れてきた気がする。巫女の少なさもそのバランスのせいだろう。
   ゆっくり流れゆく危うい気を、幼く未熟な巫女には読めない。


      巫女の泉には、多い時には何十人もの巫女達が神に祈り、その身を浄めに泊まり掛けで来ていた。キョーコが昔来た時には、そんな彼女達の為に簡易の宿もあったが、訪れる巫女が減ったからか、テントだけが雨をしのげる宿替りとしてあるだけになってしまった。
    巫女の泉から離れて歩く土地は、昔より砂漠が大きく広がっていた。
    お陰で泉の周りだけにポッンとオアシスがあり、さらにその周りは草木も少ない場所から直ぐに砂漠のような荒れ地になってしまった。昔はそれを囲むように幾らかの人達が商売をしていたのに、今は泉に訪れる巫女達の姿のみだった…。


「天と地のバランスが悪いのかしら…」

    キョーコが泉の事を思い出して溜息と共に呟いた。
    キョーコが村だけでなく、旅するあちらこちらで異変が大きくなっているのを感じた。それは長い時間をかけて見なければわからないほど、ゆっくりと時間をかけてではあるが進む変化が心配になった。

「天と地のバランスどころではない……。月は形を変え、海も、おかしくなり、人も、我らバンパイアも、自らを保てない奇形を生み出した」

     低く響く男の声が、何処からともなくキョーコの声に答えた。

「誰!」

   誰も居ないはずの背後からの声に、キョーコは驚いて問いかけた。


                            ≪つづく≫

お待たせしました……なのかな(^_^;
やっとご登場です。

今日より出来るだけ定時アップします。