主人公ーヒロインー 3話

 

 ドラマは今回のヒロイン砂美香が、事件に巻き込まれるところから話は始まる。
 伝統のあるお屋敷で殺人事件が起こるが、この時に殺人を見られたと勘違いした犯人に、調香師として出入りするヒロインである京子演じる片平砂美香が命を狙われる。
 刑事としては新米と言える蓮が演じる葉月幸久が、始めは犯人の片割れかと思いながらすれ違い、命を狙われたところを助けてからは、静かでいながら強さを持つ砂美香に惹かれながら守るという役目だ。

 最初、砂美香は死体の第一発見者として警察にも意見を求められたり、「第一発見者を疑え!」とされることもある殺人事件だ。砂美香にも刑事が尾行をするなど、身辺調査も行われた。
 砂美香は調香師でありながら、殺人現場の旧家でもある屋敷のお香にも知識を持っていた。
 単にお香といっても、自然が作り上げた高価なモノは庶民の手が出ないほどの値段が付いている。香木と呼ばれる有名なものでは伽羅や白檀という名のものがあり、大きなものはひと財産を築けるほどに高価に取り引きされた。
 それは日本の歴史の中でも、貴族がおしゃれとして香を焚き着物に匂いを移して女性らしさを競ったことも有名だ。
 今なら手頃な値段のモノは、香りが感じられやすいようにと小さく削んで、匂い袋などの小物にもされて民芸品などの店にも並んでいる。
 それにお香としてというよりもフレグランス感覚で気軽に楽しめるようにと、香りも様々に楽しめるようになってきた。
 仄かに薫る香の香りで、女性達は御簾越しに顔も知らない名だたる貴族の伴侶を誘おうとした話などは、紫式部などの絵物語にも出てくる話だ。


  *****


「砂美香は調香師なのにお香にも知識が広いって、香りのスペシャリストですね」
 キョーコは台本を読み合わせながら、砂美香の性格や行動を読みとろうとして、その知識の幅広さが凄いと思った。
 調香師は、メインは香水、パフュームからコロン、シャワーコロンと、濃度などによって香りの持つ持続時間の違いで呼び名を変える香りを作り出すスペシャリストだ。
 香りは姿を見せなくとも夢を感じさせ、好みの香りは夢に誘うオシャレなものだ。
 キョーコは蓮と接するようになってから、蓮のつけるコロンと蓮の匂いが混じった香りに、アロマテラピーならぬ敦賀テラピーを感じて、それは万人が感じる幸せだと勘違いしたままの年月を過ごした。
 でもそれは、キョーコが心細かった時、蓮が大切に守りたいと思った気持ちが、二人を包んだからその香りはキョーコの心を安らぐテラピーとなったのだ。
「キョーコは砂美香が好きなんだね」
「そうですね。香りと言っても種類は違うのに、型にはめないでどちらも素敵だと言える砂美香は、とても素敵な女性だと思います」
「君も夢を見せてくれる香りは好きだものね」
 からかうように言う蓮に、キョーコは少しだけ拗ねるが、今は台本から砂美香を感じ取る方が大切だと頭を切り替えた。
「調香師って、本当に繊細で、でも努力だけでは難しいところもあって、素敵なお仕事ですね」
 調香師には香りをかぎ分ける資質を持ち合わせていなければ難しい。
 人よりも香りに敏感でいて、その違いがわからなければ新しい香りを生み出すことはできない。
 自分の中に染み込ませるように、でもキョーコの夢見がちな部分は、目をキラキラと輝かせた。
「やっぱり君向きだね」
「そうですか?」
「夢を見せる仕事だろ?」
 台本のセリフを使いながら、キョーコで遊ぶのが蓮は楽しくてつい口を出る。
 クスクスと楽しそうに笑うことで、キョーコもからかわれているのだとわかると、頬を膨らませて再び拗ねてしまう。
 その顔も可愛いからと、蓮がいつまでもクスクスと笑う。
「どうせ夢ばかり見てますので!」
 キョーコが蓮から顔を背けて拗ねてしまうと、蓮はそんな仕草も全て可愛くて、後ろから抱きしめた。
「拗ねたキョーコも可愛いよ」
「そんな言葉でなんか、許してなんかあげませんよ!」

 今夜は蓮の家のリビングで、台本を前に人物を掘り下げるという練習中なのだ。
 周りの目を気にすることもなく、役の方も恋心を抱いていくのだ。お互いの性格や、仕事などの立場を知ることで、その時の表情や心情をより深く知り、役に入り込みやすくなる。
 本来ならプライベートな時間だが、二人にとっては大切な仕事を優先させる、似た者同士の役者業。
 社に言わせるなら『2人で暮らし始めたのなら、2人の時間を大切にすればいいのに、役者バカだね。2人とも』と言うだろう。
 二人とも忙しい仕事の合間、夜だってまともに話す時間もそれ程無いのに…。
 だが、お互いに演じることを真っ直ぐ目指す姿を尊敬し合っているのだから、二人にとってはそれが自然な姿なのだろう。
「前に、蓮がお香の話をしてくれた時、私も琴子も知っていることだと思って、少し調べたんです」
「あの時、君も?」
「はい。台本は時々話の流れで直されますから、私も知っていた方が自然だと思って」
 琴子にとっては僅か1行のセリフ。
 お香については、蓮も役の上で知っていた方がいい事もあって調べたことを、キョーコはプラスの知識として勉強していたというのだ。
 蓮も流石に熱心な後輩だと、微笑みながらキョーコの頭をポンポンと蓮の手が跳ねた。
「相変わらずの頑張り屋さんだね。その時の勉強の効果はありそう?」
「そうですね。お香の表現、香りの言葉の表現が、コロンとかと違いますね。コロンとかはトップノートとか、香りの変化を楽しむタイプだと3種類に変わっていくのを楽しみますけど、それは調合とかの加減で繊細に作られた香りです」
「そうだね」
「蓮の香りも…蓮に馴染んで、同じようで…違う香りになるし…」
 キョーコは少し頬を染めながら、恋人の香りが愛しいのだと口にした。
 それが嬉しくて、蓮は腕の中で軽く抱きしめていた腕に力を込めた。
「俺の香りは好き?」
「敦賀テラピーですから…」
「なにソレ?」
 蓮はキョーコの発想のたまものだと、クスクスと笑った。
 強く抱きしめられたことで、また少し近くなった恋人の香りが甘くて、キョーコは香りにまで抱きしめられている気がした。
「あの…でもですね。お香は元々が柔らかな香りで、焚きあげる時に本当の匂いを放つんですよね…。小さな欠片を炙るようにして、その器を覆うようにして着物に匂いを移して香らせる。とても上品で繊細なおしゃれですね」
 キョーコは折角の恋人の空気を、今は仕事の予習中なのだと、話をお香に戻してしまった。

 このまま蓮の香りに包まれて、そのまま夢に包まれたいと思う。
 でも、折角の素敵なお仕事を、尊敬する長谷部さんが指名してくれたのなら尚の事、きちっとやり遂げたい。

 …それに……。

 キョーコが一番心配なのは、キョーコが演じる砂美香に蓮が演じる葉月を惹き付けるだけの魅力的な女性になれるのかが心配だった。
 たった今、自分を抱きしめて愛おしそうに笑みを浮かべる蓮という恋人がいるのに、蓮を惚れさせる演技が出来ないと真剣に悩んでいるのだ。
 確かにキョーコよりも蓮の方が、容姿的にはその華やかさなど、見た目のインパクトはあるかもしれない。
 だがそれは、キョーコが役が憑いてその本来の魅力を感じさせれば、蓮も驚くほどにキョーコの本当の魅力溢れる人物になってしまうのに、当人にはわかっていない。

 砂美香はどんな魅力で葉月という刑事を惹き付けるんだろう?
 初めは容疑者の一人として見ていたのに、ヒロインの砂美香が魅力的でなければ、葉月は刑事である自分を忘れてまで砂美香を守ろうとしないと思う。
 なぎさ達だってそうだ。砂美香が輝くヒロインだから守ってあげたくて、そして幸せを思うはず。

 光栄だと思って喜んでばかりはいられないと、キョーコは気持ちを引き締めた。

 そんなキョーコの気持ちの変化を、蓮は感じて問いかけた。
「どうかした?」
「私が…葉月さんに愛されるだけの魅力的な女性に、『砂美香』に、本当になれるのかなって…」
 蓮に演じさせられるのではなく、自分の魅力で砂美香という女性の魅力を出せるのか、不安になっているとわかって、蓮は溜息を吐いた。
「自分のことが、一番わかってないみたいだね。君は…」
「そうですか?」
「現実の俺は、君という女性の魅力に…ずっと前から目が離せなくなってるんだよ? とても愛してる。ずっと見つめてきたのに、なかなか信じてもらえなかったけど、本当のことだ」
「…はい…」
 あらためて、目の前で…その腕の中で愛の告白をされると、キョーコははにかむように笑みを浮かべた。

 そうなのだ…。これも不思議で仕方がないことの一つ。
 一緒にいて、これ程の男性が自分をずっと見守っていてくれて、そしてお付き合いし始めて、また思ってしまう。
 こんな私でいいのかと…。
 でも彼は『私だから、最上キョーコだから』と言ってくれる。

 葉月さんも、同じように砂美香に魅力を感じたのかもしれない。
 光輝くヒロインでないかもしれない。でも、自分の足で立って、前に進む人は真っ直ぐで素敵だと思えるから…。

 そして、キョーコは蓮にお願いという提案をした。
 葉月と砂美香がゆっくりと近付いていくように、ドラマの撮影期間は客間で過ごさせて欲しいというのだ。
「ドラマと自分を混同させるつもりはないの。でも、少しだけ似たような感じで、葉月さんに守られるまでは、自分は一人だと思える時間が欲しいの。ダメ…かな…?」
 キョーコの下からの甘えるような上目遣いの目線に、蓮がイヤと言えるはずもなく、「甘えたかったら甘えにきて」と言って、キョーコのお願いに蓮は頷いてしまった。
 蓮がキョーコのお願いにイヤと言えるはずはない。
「あの…でも、本当にドラマの間の、『砂美香と葉月さん』の間の為だけですからね」
 その視線は蓮を離さずに、キョーコの気持ちは蓮にだけあると言っていた。

 キョーコは蓮の了解を得ると、蓮の部屋にある必要なものだけを早速客間に移動させてしまった。
 せめて今夜くらいは一緒にと思った蓮の考えは甘く、キョーコはドラマの為に気持ちを切り替えてしまったようだ。
「入る時は、一応ノックしてくださいね」
「わかった。でも覚えていてね。いつでも俺が居るからね」
 二人は一つだと思っていたが、まだまだ本当に甘い時間は直ぐには来てくれないようだ。
「仕事についての割り切りとか、そんなに強く教えたかな…」
 蓮はキョーコに先輩として教えたことを、後悔するしかなかった。
 それとキョーコの性格を考えれば、現実の蓮に甘えている生活があれば、何処かで演技に影響が出ないかと、現実の距離を求めるほど今が幸せなのが理由にあったのだと、蓮は後になって聞かされた。

 翌日の蓮は、朝食のキョーコの前では出さないようにしていたが、どこか不機嫌な波長をキョーコの怨キョも感じていた。
 だがそれがキョーコに向けられたモノではなく、自分とのジレンマからきている為に、キョーコ自身には「何に?」となる。
 今日の仕事はドラマとは違う為、蓮はキョーコを女性マネージャーの車まで送り、その足で社を迎えに行った。
「どうしたんだ? なんか不機嫌オーラが出てるけど、何かあったのか? キョーコちゃんとのドラマは、殆ど行動が一緒のシーンらしいから、一緒にいても不自然じゃなくって嬉しいはずだろ? それに恋人になるって話らしいからな。お前達、そのままじゃないか?」
 蓮の不機嫌が不思議でしかたがない社は、少しばかり面白半分な言葉を交ぜつつ、蓮をつつくように言った。
「そうなんですが、話の最後ではいい雰囲気になるけど、それまではぎこちないからと、部屋を別にされました」
「……それ…承諾したのか?」
「するしかないでしょう?」
 したくはなかったが、キョーコにはお願いらしきお願いはされたことがない。
 何か無いかと聞いてみても、いつも「充分です」と切り替えされる。
 そんなキョーコが仕事絡みとはいえ、断りきれない目線でお願いしてきたのだ。
 気持ちでは「ダメだ!」と思っても、「わかった」と先輩と余裕の恋人の顔で答えてしまったのだ。
 後悔先に立たず…とはこんな事を言うのかと、蓮も心の中でも盛大な溜息を吐いた。
「そうだよなぁ~。お前がキョーコちゃんの『お願い!』ってのを、断れるはず無いもんな。それにお前は恋人としても、先輩としても、いい顔しちゃってる事多いもんな」
 社の言葉の通りで、蓮も視線を逸らすだけで答えない。
「でもな、恋人なら対等なんだから、キョーコちゃんが甘えてくるなら、お前も『離れたくない!』と言葉に出して伝えるだけでもした方がいいぞ。物分かりのいい恋人で居たら、キョーコちゃんも公私混同よりも気持ちの切り替えを覚えてくれるって!」
 社は蓮を励ましつつも、キョーコ不足になった時の蓮の不機嫌さが怖くて、キョーコが程々に蓮に接してくれないかと神頼みしたい気持ちになった。

 ……また、胃薬補充をしておいた方がいいか?

 人気俳優敦賀蓮のマネージャーの気苦労は耐えない。


  *****


「はぁ~~」
 社が事務所で盛大な溜息を漏らした。
 我が事務所の看板とも言える敦賀蓮のマネージャーともなれば、その過密スケジュールや変更もある。若くとも疲れから溜息も吐きたくなるのもわかる。
「さすがに蓮のマネージャーも、今回のドラマの為の調整に疲れたか?」
「えっ!?」
「何だ。気付かなかったのか? 盛大な溜息吐いてたぞ」
「あ…そ、そうでしたか?」
 社は指摘されて慌ててしまった。
「いえ。蓮のスケジュールの方は、打診があった段階で、社長命令もありましたから、少しずつ調整してましたので大丈夫です。あいつのサポートが俺の仕事ですから、俺の方が心配かけるほど疲れていたら話になりませんよ」
「そうか? でも社くんも、蓮の性格は悪くないが、仕事熱心過ぎるところに付き合うのは大変だろ?」
「そんなことありませんよ。蓮もやるとなると無理してでも遣り通しますけど、だからこそサポートしがいもあります。…というか、そこまでやるからこそ『敦賀蓮』で、その蓮がどこまで遣り切るか見たくてやってるんです。無理じゃなくです」

 蓮の性格については、社は聞き流して否定も肯定もしなかった。
 誰にも人には見えない部分があるが、”闇の国の蓮さん”や笑顔が怖い時があるなど、他には知られたくない蓮の顔もある。
 でもそんな顔も、キョーコちゃんには最初から見せていたんだよなぁ…。
 なんだかんだあっても、やっとくっついた二人だ。
 蓮もキョーコちゃんへの気持ちを自覚してから、本当に良い顔するようになった。相変わらずプライバシーには壁があるが、キョーコちゃんの前では存在しないらしい。
 何よりリラックスした顔が多くなった。
 キョーコちゃんの存在は絶大だな……。

 そんなキョーコちゃんと、恋人として付き合えるようになるまでの蓮の苦労と言ったら、芸能界でイッチバン!モテるといえるあいつが、どれだけ待って、やっと恋人になれたか知ったら、芸能誌なんかこぞって記事にしたがるだろうな。
 キョーコちゃんにも、蓮の奴にも、年齢の割には重いモノをいっぱい持ってたからな。時間は必要だったかもしれない。
 でもそれを差し引いても、キョーコちゃんだけに苦労したというか、そうなるまでの関係を壊したくなくって、身動き取れなかったりもした感じだしなぁ。
 何しろキョーコちゃん、蓮が本気で「好きだよ」と言ったところで、「(先輩としての好きだから)私も敦賀さんのことは先輩として、一番好きです」って答えてるし…。
 そう考えると、やっぱり溜息の一つも勝手に出るか?
 社はそんな時を思い出して苦笑した。

 そんな時間があったからこそ、蓮もキョーコちゃんも、幸せになって欲しいんだけど、蓮もああ見えてキョーコちゃん一筋で一途で。キョーコちゃんも恋愛に関しては、純情さんが服着てるほど奥手で、そのせいもあるから蓮の視線にも気付かないできていた訳で。
 恋人になってやっと、本当にやっっっと!…一緒に住む事になったと聞いて、これで二人で幸せになれるんだって思ったのに…。
 ドラマの役でもいい感じになる二人なのに、それは最後だから少しの間客間で別に過ごしたいって、それってありなの?
 一緒に住むぐらいだから、キョーコちゃんなら結婚も考えてない訳じゃないと思う。
 だったらさ、もしまたドラマの中で喧嘩した恋人の役でもあったら、家庭内別居みたいな事するの?
 キョーコちゃんが仕事熱心なのは、わかる。
 その鏡が蓮だって事もわかるけど、一緒に住み初めてさ、その仕事の為に別の部屋でって、蓮みたいな体力バカをずっと相手にしろとは言えないけど、それってお預けくってるワンコ状態じゃないか?
 付き合いだしても清い関係が暫く続いていたってのも、蓮の様子からして感じてた。そして本当に恋人同士になった時には、あいつの全身から幸せオーラが出ていて、眩しくて仕方がなかったぐらいだ。
 忙しくて偶にしか会えないから、キョーコちゃんを充電すると、ホントに人が変わったみたいな余計なほどのオーラ出して、共演の女優さんが付いて行きそうになってるもんな。
 そんな蓮の奴に、仕事中はそっちを優先する奴に、仕事場以外ではプライベートを分けて欲しいってのは、蓮がキョーコちゃんに会えない状態に近くない?
 それも同じ家の下にいて、下手すれば手も握らしてくれない気がするな。キョーコちゃんなら……。

 それもさ、2時間ドラマって、結構じっくり撮りをするからさ、場合によっては3ヶ月近くお預けは、蓮にとって酷じゃないかな?
 だから、偶にでもいいから、キョーコちゃんから蓮に甘えてやってよね。
 蓮の奴なら、キョーコちゃんにお願いされたら、それを破ってまでキョーコちゃんに無理強いしないと思うんだ。
 自分が率先して、仕事とプライベートも分けて考えることも教えたしね。

 だから……キョーコちゃん。
 蓮の気持ちが、プチッ…といく前に、キョーコちゃんも蓮不足になって、甘えに行ってやって!
 お願い!!


           ≪つづく≫



「琴子の話」というのは前に書いた『伽羅の女』という話の時のことです。
オリキャラだけでなく、意味不明だった方すみません。m(_ _ )m