道化師と詐欺師 6

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 やがて、2時間ドラマにしては雑誌からTVの芸能コーナから、取材の数が多くなった。
「やっぱり敦賀さんの出るドラマは、取材が多いですね」
 キョーコは素直に蓮の人気度が取材に繋がっていると、驚きながらも流石だと言葉にした。
「いや。連続ドラマなら1クールなりの長さもあるから、話の流れによって変わりもするけど、今回はいつもより多い気がする。それも、必ず君との二人の指名だ」
「それは一応ダブル主演だからでは? 私も主役という形だからと…」
「でも、質問や問いかけは二人に公平に用意されてる。”一応”の主役じゃないよ、キョーコは」
 蓮にそこまで言われても、なかなか謙遜し過ぎる気持ちは直ぐには抜けないようだ。
 それでも主役らしく、騙されているとは知らないながらも健気に愛する女性であり、その愛が詐欺師の心を包んでしまう優しさを持つ女性の強さも持っている。
 蓮にとってはキョーコそのものだと思える優しい女性であり、共演しながら愛を囁けるのは役得とも思えた。ただし、前半は詐欺師としての偽の顔で、途中からは本気で愛を注ぐ役だ。
「俺はこの詐欺師と違って、本気でキョーコを初めから愛して口説いたからね。それも君の気持ちが逃げてしまわないように、君を壊さないように、でも優しく抱きしめたくて…触れても消えないで欲しくて、ずっと先輩の顔で待っていた…」
「…蓮さん…」
「俺には君だけしか要らなかったから、君以外は必要なかったから、最上キョーコという女性が手には入れば、俺の人生はバラ色なんだ」
 愛しいという言葉の笑顔で、蓮がキョーコを見つめれば、キョーコも幸せな笑顔で頬を染めた。
「私にも、無くしたと思った恋をする気持ちをくれた蓮さんだけです…。この気持ちが実るなんて、思ってもみませんでした。だからまだ…夢みたいなんです。信じられないぐらいに幸せで……」
 キョーコがはにかむようにして気持ちを言葉にしていると、蓮がそっと近づき唇を重ねた。
「俺も同じだ。だから…キョーコとは大切に付き合っていきたい。ずっと…」
 キョーコも頷いて、これが夢だったと目が覚めなければいいと思った。
「では最後の収録にいこうか?」
「はい。詐欺師さん」
 二人は久し振りの共演が終わることが、少しだけ寂しいと思いながら、最終回の二人を演じることが楽しみでもあった。


 放映されたドラマは、いつもは2時間で終わる時間枠だが、主演の話題性とカットするには惜しいと押し切った監督が、プロデューサーとスポンサーを説得して2時間半の拡大枠で放送された。

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 最初に詐欺師の蛍が別れを切り出したシーンは、紗英が泣きながら否定しても、蛍は背中を向けたままで紗英を見ることもなく、紗英は諦めて此処を出て行くことにした。
 背を向けたままの蛍は、別れると言った時とは違い、苦しそうにして手をきつく握りしめ、唇を噛みしめていた。
 それは、手を伸ばせば紗英を抱きしめて引き留めそうな手を伸ばさないように、言葉をこれ以上掛ければ…「行かないでくれ!」と声にしてしまいそうな口を閉ざす為の鍵だった。
「分かりました。今日のうちに荷造りをして、この家から出て行きます」
「…行く宛は?」
 出て行けと言わんばかりの別れを言いだしておきながら、蛍は行き先を心配して訊いた。
 我ながらバカだと思ったが、言葉が先に出た。本音の気持ちだった。
「親友で…少しぐらいなら泊まらせてくれる友人がいます。今夜持って行ける荷物以外は、その友人の家に宅配で送って下さい」
 紗英が差し出した紙を、蛍は受け取った。
「彼女の所でお世話になっている間に、新しい家も見つけます」
「……分かった。送るよ」
「…じゃあ…片付けますから」
 またこぼれそうな涙を拭いながら、紗英は荷物を段ボールに片付けていった。
 昔から持っていた物もあれば、蛍と一緒に買ったもの、プレゼントされた物もある。
 紗英にはどれもが思い入れのある大切な物だった。蛍との思い出の物なら、持っていたら辛いと思いながらも、捨てる為の箱に入れられない。
「まだ…こんなに好きなのに……。私の何がいけなかったの? 蛍さんは、そんなに心変わりする人なの? どうして…」
 紗英は泣きながら思い出の品を捨てることも出来ずに、当座の身の回りの物以外を段ボールに詰めた。捨てられない蛍との思い出が詰まった箱を、未練だと思いながらも封をした。
 どうにか送ってもらえる形にはしたが、友人が中を見たら何か言うだろう。 
 でも捨てる事の出来ない物ばかりで、紗英の目からはこの部屋を見るのが最後だと思うと、また涙がこぼれた。
 それでも心に踏ん切りをつけて、やっと部屋の外に出ると、蛍が廊下の壁に凭れて立っていた。
「この箱を…お願いします。さよ…なら…」
「…ああ……」
 蛍は紗英にこれ以上言葉がかけられなかった。
 結婚詐欺師の俺が、偶にはすました女ではないタイプも良いと、素直そうな紗英に声をかけたが、この俺が本気になるとは詐欺師失格だ!
 それよりも…紗英のような素直で可愛い女には、もっと似合いの良い男が居るはずだ。誠実で、紗英を包み込める優しい男となら、紗英は幸せになれる。紗英は幸せになる優しさに包まれた女だ。
 バタン!…と玄関のドアが閉まった音がした。
 紗英は玄関を出た途端に、また溢れてきた涙を両手で押さえて動けなかった。
 蛍はドアの音と同時に、紗英の優しい空気までがこの家から全て消えたような気がした。
 手に握りしめたままだった紗英の友人の住所の紙は、力を込めた蛍の手の中でくしゃくしゃになっていた。
 一人になった蛍は、心の中の大きな穴を埋めようと、グラスを手に取った。

 翌日、蛍は紗英の荷物を送る為に、宅配業者に取りに来るように電話した。
 直ぐに近くの者が来ると返事され、コレを渡してしまえば紗英との縁が切れてしまう事が、大切なおもちゃを取り上げられる子供のように怖くなった。
 宅配業者が来ても渡さなければ…、そんな考えも一瞬浮かんだが、別れて追い出したのは他ならぬ自分の方だ。それこそ女々しいだけだ。
 電話の通り宅配の男が思ったより早く現れた。インターホンが鳴り、宅配用のラベルに住所を書いて荷物を渡し、手の中には送りの控えラベルが残った。
 蛍はその控えを、自室の机に大事そうに持ち帰ると、フォトフレームに挟み込んだ。紗英との最後の繋がりのような気がして、ただの紙切れとは思えなかったからだ。
 今更この住所に行ける訳はない。行ったところで何を話せる訳もない。
 残しておいたところで、紗英の友人の住む家に行けないのなら、紙屑同然の住所にしがみ付いている自分はどれほどのバカか。
 蛍は自分の滑稽さに笑い出した。
「詐欺師の筈が、騙した筈の女に本気になって気持ちを振り回されて、まるで道化師だ。今までさんざん女を騙して、人を騙してきたのに、今更女に本気になるなんて、こんな紙切れが大事に思えるなんて……」
 目を閉じれば紗英の可愛い笑顔が浮かんだ。
 忘れたい。でも忘れられない笑顔に、蛍は自分が何をしたのか…うなだれるだけだった。

    * * *

 蛍が紗英を見かけ、ターゲットにしようと思ったのは、紗英が同僚らしい女性と楽しそうに話している笑顔を見た時だった。
 同僚の方は美人だが、何処か気が強そうで騙すには向かないと直感で感じた。
 それに対して紗英の方が素直そうな笑顔で、蛍にはピンときた。だがそれは結婚詐欺師としての感だったのか、一目惚れに近い紗英への関心だったのか、今になっては分からない。
 会社が終わって同僚とも別れた紗英に、人間違いを装って声をかけた。その後は偶然のように顔を合わせてみては、時間があればコーヒーを飲んだりして親しくなっていった。
 気が付けば彼女の笑顔に俺も本心で笑っていた。紳士面した上辺の笑顔ではない本当の笑顔は、俺の心を柔らかくしていった。
 獲物になった女からは巻き上げるだけだった筈が、紗英に似合いそうなブローチや好きそうなネックレスだと思っては、プレゼントしていた。
 渡した時の素直に喜ぶ笑顔が見たくて、その笑顔が欲しくて…詐欺師がプレゼントなんて、訊いて呆れる。
 男との交際も慣れていないと、初な紗英には直ぐに手も出せずにいて、やっと躰を重ねた時には、いつもなら入らせない自分の領域、自宅という詐欺師が明かさない内に入れてしまっていた。
 そして口から出た言葉が、事もあろうに「此処で暮らさないか?」と言ったのだから、我ながら驚いた。
 だがそれを訊いて、紗英が嬉しそうに涙を流している顔を見て、喜んでいるのは俺自身でもあったのだ。
 詐欺師としてはあるまじき、戻れない道に入ってしまったと、はっきり感じた。

               《つづく》

ドラマシーンはもう少し続きます。