残した思い  3


 長谷部が声をかけると監督は百合を呼び寄せた。
 そして京子と蓮が立つスタジオ内の目立たない場所で、百合の演技について言葉をかけた。
「今のあなたの演技は、儚く恋をする綾音としては悪くないわ。でも百合の演じる綾音としては、まだ切なさが出るはずよ?」
「叔母様…」
 百合は憧れの女優である叔母清子の言葉に、自分なりに頑張っていた役作りがまだまだだと言われ、僅かにショックを受けた。
「自分の演技ができるはずなのに、あなた京子さんを意識しているんじゃないの? 役者としての意識はいいわ。でも演技中も意識していたら、折角のあなたの『綾音』が歪むわ。あなたは語りもするのでしょう? だったら冬美には友人であり、好きな人を幸せにしてくれる人でもあるのよ? その言葉を語りで、声だけで伝えられる?」
「…いえ、儚くても優しく強い綾音でなければできません」
 綾音は自分の死を知っているとはいっても、最後には愛する人の為に思いを託せる優しく強い女性だ。
「あなたは頭のいい子だわ。気持ちの切り替えでやっていけるわ。私もあなたの演技を楽しみにしている。勿論京子さんの冬美も、あなたを思う友人であり恋敵で、どんな恋模様を見せてくれるか楽しみよ」
 叔母の清子の言葉に、百合は清子を見つめて聞いた。
「楽しみにしてもらえますか? 私の演技を」
「ええ、楽しみにしているわ。あなたの良さを出しなさい。『綾音』は儚くても真っ直ぐに恋をして、その恋が…命が終わっても、彼の幸せを願うことができる少女よ」
 それは複雑な恋と命の終わりを演じること。それを憧れの叔母が出来ると言ってくれたことで、百合から力が抜けて一皮むけた表情になった。
「京子さんとは夏希を挟んだいいライバルでもあるの。でも夏希を託す優しい子よ。愛し方は違っても、切ない恋をする二人よ。頑張りなさい。あなたらしくね」

 まだ夏希を挟んだ恋敵が冬美とは決まっていなかったが、京子に決まる可能性が高いと、長谷部は百合のやる気を出させる意味でもハッパをかけた。
 百合は頷いてから、京子に向きを変えた。
「私、叔母様が京子さんを誉めたことで、綾音になり切れていなかったわ。自分の命が短くても、夏希の為なら静かに見守れる儚さの中に優しさを持った女性のはずなのに。冬美は大切な友達で、京子さんにも容赦しないわよ。改めてよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします。百合さんほどに演技が出来るなら、私も精一杯ついていくだけです」
「私が引っ張られることはないの?」
「とんでもない! でも…いつかそうなれるよう、頑張ります」

 キョーコもこのドラマに限らず、全てのドラマに全力を投じてきた。そして役に入り込み、ドラマの中で生きてきた。
 百合も演技派としての名を持っているが、京子のように役が憑いた状態とはまた違う。

 京子演じる冬美は大人しく見えて、言う時ははっきりと声を出せる芯の通った少女。そして心密かに夏希が好きで、だが綾音に付き添う姿に…「許嫁」と言われている事を訊いて伝えることを出来ないでいた。
 伝えても答えは決まっている。綾音の幸せを壊せない。
 素直に恋心を出せる分綾音の方が幸せに演じられる役であり、その中で夏希を思い、夏希への恋心が切ない役でもあった。


 初めの2話までは脚本通りで様子を見ると、皆はそれぞれの役を掴んで演じるが、綾音は冬美になった京子に驚きを感じた。
 京子の演じ方は、役が憑いているとは訊いていた。叔母の清子が「変わる」と言っていた。しかし、ここまで別人の表情になるのか。自分とは違う役者の形だと見つめた。
 そしてカットがかかっても役が抜けない時は、陰のように大人しく、蓮が声をかけてやっと普段の京子に戻る姿は、役者の為に生まれてきたと…叔母の清子が言った意味が分かった気がした。

『あの子は、まだまだ化ける。楽しみな子ね』

 でも今回のドラマの主役は私の『綾音』。そして敦賀さんの夏希を愛しながら心に残る少女。少しの間だけ、夏希を独占するけれど、それは寂しいから頼りたい気持ち。
 冬美には負けないわ。いえ、他の少女達にも…。
 夏希を愛する気持ちは、誰にも負けない。だから夏希が好きな少女にだけは託せるの…。

 

*****

 絹夜夏希は絢音の従兄で、絢音は彼に恋をしていた。
「絢音の願いを聞いてくれないか? あの子の命は長くない。せめてもう少しの間だけ、夢を見させてあげて欲しい」
 綾音の両親に言われた夏希だが、迷いもあった。
「では、もし違うと、俺が絢音を本当に好きではないと、彼女に分かってしまったら、絢音の方が苦しみませんか?」
 夏希は綾音を可愛い従姉妹だと思っているが、その心を傷つけたくはないと答えた。
 ただでさえ身体が弱い上に、両親は命が短いとまで言っている綾音を傷付ける事はしたくなかった。
「それでも夏希君が一緒にいてくれたら…、心の支えにはなるんだ。支えてくれるだけでいい。それで十分なんだ」


 綾音の両親に拝み倒されて、夏希は綾音の元をよく訊ねた。
 夏希が来ると綾音は笑顔になって儚げなところも姿を消した。
 だがそれで綾音の身体が良くなるほどではなく、気の持ち所が変わるだけで、夏希が帰った後に反動が出ることもあった。しかしそれは夏希には知らせてはいない。
 時には仲間で外に出掛けても、夏希の腕に頼っていることも多かった。
「いつも仲がいいわね」
 仲間の中では二人は付き合っていることになっていた。
 このままが良い訳ではないと、夏希も分かっていたが無碍には出来ない。
 だが綾音の家からの帰り道、溜息を吐きながら夏希は痛む心を押さえて、片手を木に付いたまま夜空を見上げた。


「綾音にも、俺の心にも、嘘を吐いたままでいい訳はない。それに、俺は…」


                《つづく》


中途半端なところですみません。
続きは研修疲れが取れてからかも…(^^;;

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