監督が帰っていくと、静かに部屋のドアを閉めた。
 安ホテルとは違うからドアを閉める音がそれほど響くことはないはずだが、夜中に「バタン!」と大きな音をさせるわけにはいかない。
 近衛監督の前ではカインではなく敦賀蓮の顔で昨日の失態を、「申し訳ありません」と謝っていた敦賀さん。
 私が見たのは宙吊りの村雨さんと、村雨さんの暴れる姿に止めに入ったスタッフ達の流血だった。
 村雨さんを釣り上げた状態の様子で、全てはカインが暴れたものだと思っていた。カインの中のB・Jが暴走して暴れて、敦賀さんの意識がまたどこかにいってしまったのだと思った。


 初めてカインとセツカとして街を歩いて男達に絡まれた時。
 カーアクションの時。
 村雨さんとの初めての絡みのアクションの時。
 そして昨日……。


 近衛監督が説明にきてくれたからわかったけれど、セツとしては何があってあの状況があったかは聞けることじゃない。
 セツにとっては兄さんが一番で、兄さんさえ無事なら他のことは二の次で、どうでもいいこと。
 大切な兄さんにケガがなければそれでいいのだ。


 でも、私としてはカインの、敦賀さんの御守りとして役に立つなら知っておきたい。
 普段から私生活をオープンにしない人だから、敦賀蓮としても謎は多いけど、カインはセツを可愛がること以外は任せられた仕事をこなす部分は真面目だ。


『お前にはスタッフや競演者と、素晴らしいモノを作り上げていく気はないのか!』


『俺は恐怖をまき散らす死神だ、慣れ合いはやめておく』


 カインなら確かにそう答えるだろう。
 仕事はきちっとこなすが、今回の仕事は共演者への恐怖をまき散らすことだ。
 慣れ合ってしまえばそこに隙が出来ることもある。
 でもそれ以上に気を使うなら、カイン・ヒールが敦賀蓮であると共演者にわかってしまうこと。
 敦賀蓮に対しての共演者の態度は、必ず変わるのはわかっている


 近衛監督が「敦賀君とは思えない」と戸惑うことは、その心配を減らしてくれているととっていい。
 でも……。


『冷酷な殺人鬼』


 それがカインを、敦賀さんの触れて欲しくない部分に触れたのだとしたら、それは何…?
 近衛監督と話している時だって、見送る時に見せる笑顔だって、役に真摯で優しい敦賀さんだったのに、その差は想像できないほどに溝がある。


 敦賀さんを心配する私のような後輩では、敦賀さんの全てを受け止めて力になるなんて出来なでしょうけど、何か少しでも力になることはありませんか?
 セツとして、妹として、最上キョーコとしても、どんな形でもかまわない。
 敦賀さんがカイン・ヒールがB・Jとしての仕事を全う出来るように、『御守り』として手伝わせてください。


 もしも、もしも敦賀さんの過去に『冷徹な殺人鬼』が潜んでいても、私は敦賀さんを見る目を変えることはありません。
 素晴らしい先輩で、目標の人で、……大切な人……。


「セツ。お前も風呂に入ってこい。遅くなったが暖まってこい」


 カインの言葉に、セツは黙って頷くとバスルームに消えた。
 何か力になりたいのに、思いつかずに素直に頷いたまま……。


 蓮はセツの様子を気にしながらも、自分のやってしまった行動に溜息を吐いた。


 カイン・ヒールが本来の姿でないというのはかまわないこと。だが『敦賀蓮』であることがわかってしまえば、全ての者達の態度が変わり、カイン・ヒールとしてB・Jの恐怖をまき散らす死神として見る目が変わってしまいかねない。


 演技をするのなら相手も本気にさせる。


 敦賀蓮として言ったことのある言葉も、この映画の間は敦賀蓮は隠し通すことが必要事項だ。
 サスペンスホラーとしての空気が変わってしまってはまずい。


『ーーーお前は、本当の冷たい、殺人鬼だ』


 それはクオンだった、暴力を武器として暴れていた時の俺の笑みを見て、アイツ等が言った言葉だ。
 俺はリックに止められなければアイツ達を皆殺しにさえしていたかもしれない。
 でもセツの声は聞こえる……。
 社長が付けた俺の『御守り』
 彼女がいれば俺は闇の中に光を見つけられるのか?
 俺にとって、彼女は闇の中でも、クオンに囚われても自分を取り戻せるのか?
 ……彼女はずっと居てくれるのか?
 クオンの闇を知っても、俺の近くにいてくれないか?
 そしてクオンの闇を癒す存在になってくれないだろうか?

 

 バスルームに入ったセツは、バスカーテンを開けて少し戸惑った。
 そこにはカインの入った泡の溢れたバスがそのままだったからだ。
 いつもならカインが栓だけを抜いて出たところを妹として軽く掃除して自分も入る。
 シャワーで泡を洗い流していたからとっくに泡も流れているとばかり思っていたのに、……この泡を流すのがもったいないかな…?
 アワアワのバスはキョーコの妄想乙女心を刺激した。
 でもこのお風呂には敦賀さん、いえカイン兄さんが入っていたのよ!
 心の中でせめぎ合った気持ちは、「もったいないからいいわよね! それに兄さんよ!」と、泡の溢れたお風呂に入る誘惑に勝てなかった。
 手早く服を風呂桶の縁に手を付くが、セツの手は泡で滑って宙に浮いていた足が風呂の底に付いたかと思うとバランスを崩して思い切りよくしりもちを付いてしまった。
「いったー」
 よく注意すべきだったが、この泡の立ち方といい、この入浴剤はよく滑った。肌触りはよくて気持ちはいいが、風呂桶の表面がつるつるだ。
「どうした! 最上さん? 転んだの?」
 さすがに大きな音に驚いて蓮が飛んできた。だが妹役をしているとはいえ、好きな女の子の浴室となると一瞬止まり、しかし心配で「入るよ!」と言いながらバスルームに入ってきた。
 バスカーテンは半分開いていて、蓮はぎょっとなると後ろを向いた。
「敦賀さん!?」
「ごめん。大きな音だったから…。大丈夫?」
 キョーコが視線に入ったのは僅かな時間。すぐに後ろを向いてしっまったから見えたと言えるほどではない。それなのに泡に包まれた華奢で白い肌の肩が目に焼き付いた。
「だ、だ、だ、大丈夫です! 手と足が滑ってしりもちを着いただけです!」
 大慌てで泡をかき集めながらお湯の中に身を隠すキョーコは、心配してくれた蓮の気持ちは嬉しいながらも、こんなに貧相な身体を見られたかもしれないと真っ赤になって声を上げるしかなかった。
「ホント? 音がやけに大きく聞こえたけど、他にぶつけたところとかはない?」
「はい。ご心配ありがとうございます。大丈夫ですから…」
 キョーコの言葉にほっとして蓮はバスルームから出ていきかけて止まった。
「心配だったからといって、入ってきてごめんね」
 そう言葉を残すと蓮は外に出ていった。


 キョーコは真っ赤になった顔で暫く固まってしまった。
 ヒール兄妹として暮らしながら、蓮の裸体を見たことはあるが、視点を固定して上半身だけにとどめている。前進を見れば人形作りが完璧になると思って転げ回って悔しがったこともあったが、破廉恥なことだと見ることを止めてしまった。
 それに比べて自分の身体など貧相で見せられたものではないけれど、……見えなかったわよね?
 それに見たところで目の保養にもならないわ。胸もないし……。
 半分以上泡に隠れている自分の胸を見ながら、キョーコは溜息を吐いた。
 そして少し冷めてしまったお湯を足していくと、その湯の勢いだけで泡が増した。
「こんなに泡立つなんて、遊びたくなるかも」
 手に掬ってふっと泡を吹き飛ばした。
 半分ほどの泡が飛ぶと、すぐに下に落ちてしまった。


 ……せっかくふわふわしているのに夢がないな……。


『夢と消える』という言葉があるけど、それは泡のこと?
 泡を大きくかき集めてもう一度吹き飛ばした。
 少しだけ飛んでバスタブの中に落ちた。
 夢の人……それは敦賀蓮という最高の俳優だ。
 だから苦しんでいる時には何か力になりたいと思う。
 後輩の、4歳も下の女の子に弱みを見せてまで頼る人じゃない。でもそれが妹のセツならどうだろう?
 あたしは御守りとしてカイン・ヒールに付けられた…何も起こらなければ通訳をかねた説明役。
「この泡みたいに、夢を保存できるならいいのに……」

 

 でも今回起こっていることは、敦賀蓮の中で起こっている。敦賀さん自身が気を付けていても、村雨が地雷と言った言葉も的外れではない。
 監督は混血など他のことだと思っているが、セツにはどう考えてもその手のコンプレックスを持っているはずがない


『ーーーお前は、本当の冷たい、殺人鬼だ』


 敦賀さんがそんな人じゃないことは知っている。
 私に出来る何か……。
 敦賀さんが村雨さんに言われたことで捕まっている悪夢から救ってあげるための鍵は何?
 敦賀さんの悪夢の部屋を開けるために、この泡で心の闇の鍵を軽く吹き飛ばして……。


 ふっ………


              【Fin】


もう直ぐ発売日なのに今更ですが続き妄想です。(^▽^;)
書いているうちにあわキョコを書きたくなりました。表紙可愛かったし

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