村雨を宙吊りにしていた向きを変え、首を絞め上げるようにしていた腕が少し緩み、村雨の耳元で何か囁いたのがセツには見えた。
 しかし声は村雨にしか聞こえないほどに小さなもの。
 だがセツには何を言ったのかわかった。


『ここからがお前のヒーローとしての活躍だ。俺が遣れたフリで引く。腕を緩めたら、お前のアクションでいけ。俺が合わす』
 
 ……敦賀さん……。正気に戻ったの?
 カイン・ヒールとして、B・Jとして、演技を続けるつもりですか?


 カインが動くと、村雨は相手の隙をついたフリでB・Jの腕の中から飛び出し構えた。


『何…ものだ? 俺は……お前になんか、負けない!!』


 役としても、役者としても負けるものかと、村雨の苦しそうな言葉は叫んだ。


 周りの者達が一様にほっとした顔になると、B・Jは再び無表情なままナイフを振りかぶった。
 そこに、監督の合図で父親役の役者が飛び込んできた。


『光嗣 !! 大丈夫か!?』


 父親が見渡した状況で、血を流している者も多く、息子のケガを心配した。
 台本では、この父親の登場でB・Jは一度姿を消す流れになっていた為、父親にはB・Jの姿がなく、何がこのすさましい今を作り出したのか、知る必要もあった。


『な……。この状態は……何が起こったんだ?』


 その状況に驚いて駆け寄っている間に、B・Jは邪魔が入ったと…闇に溶けるように気配を消して姿をくらました。
 村雨も苦しそうに喉を押さえているが、他の者達は鼻血まで流して倒れている。


『父…さん。アイツは、世間を騒がしている……殺し屋…殺人鬼…じゃないか?』


 闇に潜み、死角に隠れたB・Jに表情はなかった。


『光嗣! お前はケガはないのか?』
『首を…絞められて……でも、他は……大丈夫だ』

 息子の掠れた声に、心配しながらも幾分ほっとした父親。


「カ、カーット!!」


 ようやくかかった監督の声とともに、スタジオ中で緊張から解き放たれた溜息が漏れた。


「村雨君! 他の皆さんも大丈夫ですか!?」


 監督は慌てて舞台に駆け上がると、このシーンの乱闘に加わった全ての役者に声をかけた。
 無事とは言いがたいシーンに、そして自らが選んだ役者…敦賀蓮が演じるカイン・ヒールが、B・Jとして闇の中の魂の無い存在として、加減もわからずに動いても不思議ではない。しかし、余りにも予想を超えたシーンとなってしまった……。


 それに……妹として世話を焼くセツカが声を掛けたお陰で収まったような形になってしまった。
 だが彼女も元は『京子』という女優の卵の存在。
 そのセツカが言った言葉は、完全にアドリブだ。
 しかし、彼女が言ったセリフは、カイン・ヒールに存在する過去などの設定として考えれば、演じている余りハマり込んで暴走してしまっただけの補足になる。


 ……本当に彼女は、女優の卵か?
 とっさの判断か?
 そして……今の暴走は、敦賀君には何かあるのか?
 今の彼女が言ったような、カイン・ヒールとしての設定の中にはない、まだ深い…B・Jに近いような闇が…?
 嘉月よりも深い闇が、敦賀君にはあるのか?


           《つづく》


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