古い古い知り合いに
久しぶりに会いました。




初めて会ったのは
小学校3年生だったでしょうか。






まだ黒電話が活躍している頃。



自宅から金沢市の繁華街にある
大和デパート前(現在の片町きらら)で
祖母と待ち合わせをしました。


初めてのおつかい…
みたいなものです。



当時 金沢駅行きバスに 乗れば
必ず大和前で 止まりました。



しかし。
何時間かに一本


犀川大橋を渡り
片町スクランブル交差点を左折して

三社経由金沢駅行き というのがありまして。



自宅近くのバス停は
この三社経由が通るバス停でした…。



この先何となく想像つきます?




バス停に滑り込むバスに
バス停に駆け寄る私達。


乗り損ねない様にと
母は慌てて
私をバスに乗せました。



三社経由金沢駅行きに。




初めて一人でバスに乗るわけで、

バス停一つごとにドキドキしていたのに



目的地手前で、
バスが違う方向にいっちゃって…



❗️????  



どうして良いか分からぬまま
見なれない道を進むバス…



次で降りたら良いのか?
知らない場所でどうしよう…



どうしよう…と
思いながら
結局は終点まで
車窓から
じっと外の景色を眺めていた私。







終点金沢駅に着いた
この辺りから記憶が曖昧です。

やがて半世紀前の事ですからね。




バス賃の残りがあったから、(多分)
公衆電話から自宅に電話して
金沢駅にいる事を伝えると



郵太郎の前で待つ事になりました。



当時の金沢駅はもっと狭かったし
郵太郎はもっと存在感がありました。



小さな私には力強く見えていた気がします。




携帯電話なんてない時代。
祖母も待てども来ない孫を心配し
家に電話したでしょう。





どれだけ待ったかは覚えていないけれど


小柄な祖母が
泣きそうな表情で走り寄り
迎えに来てくれた…。






その後どうしたかは
覚えていないのですよね。





甘酸っぱい
初めてのおつかい…の様な体験。




あの時、きっと 
幼いながらも直感で
自分の行く先を選んでいたんだと



凄いな私と思います。










郵太郎は 1954年三代目金沢駅舎
新築落成記念に設置された


郵便ポストの上に立つ加賀人形


ご当地キャラクターのはしりかもしれません。




今も当時のまま、
日々移り変わる金沢駅の様子
変わりゆく人々を


静かに見守ってくれています。


もちろん今も ポストの役割をしています。








金沢に旅行に来られる機会があったら
金沢駅には
古き良き時代を伝えてくれる

郵太郎にぜひ一度 会ってみて下さい。






娘の帰省のお迎えにきて、
たまたま、郵便物を投函したくて
郵太郎をみて 思い出した



自分で自分の道を選んだ
懐かしい記憶。





半世紀超えたら 忘れちゃうかしらね。

細やかな記憶を連ねておこう。







皆様と地球に愛と光と感謝を。
Mahalo nui loa ke akua.
レムリアの風
ユリア