随分、昔に上巻は読み終えたのだけれど、先日下巻をやっと読み終えた。

 

 詩経とは、ご存知の通り儒学における四書五経のうちの一つです。つまり、儒学の聖典、経典のうちの一つですね。


これであと易経を読めば、四書五経コンプリートできますが…いつ読み終えるのか…なにせ、いつも、いろいろな参考書を元に読んだりしてるんで、時間がかかってしまう。

 ところで詩経とは、辞書的な意味合いはともかくとして、孔子が生きていた春秋時代、つまり今から2800年ぐらい前から2400年ぐらい前の、当時の中国の各地域の民謡や祭り、祭事で歌われていた歌を集めたものです。


詩経の存在はおそらく、孔子の生きていた時代からあり、当時は単に「詩」た呼ばれていたみたいです。そしてその当時から、この「詩」と後に「書経」と呼ばれる「書」は別格の必修古典扱いだったらしく、おそらくそれはその次の戦国時代まで続きます。ちなみに戦国時代は今から約2400年前から約2250年前までの時代で、秦の始皇帝が中国を統一することで終わりを告げます。

 

 

そして、「詩」「書」は、「詩書」として、「論語」や「孟子」などはもちろん、春秋戦国時代頃の思想家とされている他の古代中国の古典にも名前が出て来ます。

 

 

また「詩書」は「礼楽」などとともに「詩書礼楽」なるフレーズでもよく使われますが、要はすべて、当時の、儒家たちが学び身につける教養ですね。


ただ教養と言っても、現代人がイメージする教養とは違って、もっと技術的なものでした。

つまり、詩経にまとめられている詩が300首ほどあるが、それを覚えていて要所要所で引用できないといけない。


いやできなくても、本当は、大丈夫なんだけど、例えば同じく四書五経の「春秋」の「左氏伝」などを覗くと、

外交的なやり取りの場面で「詩経」からの詩を引用して、やり取りする場面が多々出てくる。

 

 

このような場面から推測するに、当時の中国は狭いながらも、その各地域は、それぞれに個性があるが、共通して詩経という教養を共有していたことがわかる。


つまり、当時の中国エリート層は、この詩三百という共通前提を元にして、それぞれにやり取りしていたということになる。


うまく引用できれば、こいつやるなとか、できるなってことになるだろうし、まぁ、引用できなくても、そういう共通の教養が相手にもあることで、相手との信頼性も高まるのでしょう。


ちなみに、古代ギリシャにおいても、詩は最高の教養でした。いわゆるギリシャ神話もホメロスの詩によって伝承されて来ましたし、いわゆるギリシャ悲劇も実は詩です。

 

 

 

 

ただし、ギリシャ悲劇は、叙事詩という演劇要素満載のものになります。

 

 

詩経の詩にも演劇要素満載な叙事詩もありますが、叙情詩や叙景詩も多いです。


ただし、和歌ですら、演劇性がもともとあったのではと指摘されることから、そもそも詩とはそういう演劇性を帯びたものなのかもしれません。

 

 

演劇性にはなりきりが必要です。詩の登場人物になりきる、叙事詩とは歴史物語あるいは神話だったりするので、自分たちのルーツである人々や神々になりきる。


それを通して、我々という意識を強化する装置だったりもしたのでしょうね。


また、詩経の詩とは、今、我々一般がイメージするような詩とは違い、節回しがあり、音楽付きで、ときには踊りまで伴うものでした。


したがって、まぁ、お祭りのときの盆踊り的なそんなノリもあったのかもしれません。なにせ「詩書礼楽」ですからね。祭礼と音楽ですよ。古代中国人たちが、トランス状態になりながら、みんなで歌い、踊っていた姿を想像してみると、だいぶ詩のイメージも変わります。


そして、祭りの体験も、参加者に一体感を与える装置と言えます。


したがって、私の結論としては、「詩経」とは、「一体感を作る装置である。」「フュージョンのための装置である。」ということになります。