これは、自分自身の捉え方であって、
ある意味「思い込みだ」ということは理解しています。
でも同時に、
昔から病院にお世話になる場面が多々あったことも、
事実です。
例えば、
小さいころは扁桃腺の腫れや中耳炎で手術をしているし、喘息で入院もしています。
今でも季節の変わり目には副鼻腔炎になるし、
アトピー性皮膚炎とも長年付き合っています。
今、我が家では夫が体調を崩して休んでいます。
私も台風の影響か、夫の風邪がうつったのか、
今ひとつ体調がよくありません。
そして、体調が悪くなることに、
「怖れの気持ち」や「罪悪感」を覚える自分がいます。
体調が悪くなるのは仕方のないこと、わざとじゃないし、誰も悪くない——
頭ではそう分かっていても、
「自分の管理が甘かったんじゃないか」とか、
「もっとできたことはあったのではないか」とか、
「体調が悪くなると迷惑をかけて嫌われてしまうのではないか」
と、考えてしまう自分もいます。
(なぜ体調が悪くなることに、こんなにもマイナスな感情が出てくるんだろう……)
そんなことをあらためて考えたとき、ふと自分の中に
「体が弱い自分を否定している気持ち」
があることに気がつきました。
・・・・・
思えば小さいころ、病院に行かなくちゃいけない自分が嫌でした。
体調を崩すと、
両親が朝早くから少し遠くの病院まで、
車を走らせ予約を取りに行ってくれていたのですが、
幼いながらに、なんだかそれが「申し訳ないことだ」と感じていました。
病院に行くぐらいなら、
両親とゆっくり家にいたいなとも感じていました。
そんなできごとや気持ちが、
「両親といたいなら(病院に行きたくないなら)、
体調が良くなくちゃダメなんだ」となり、
「体調が悪くなることはダメなことだ」となり、
「体調が悪くなる自分はダメなんだ」となり、
「体調が悪くなる、体が弱い自分はダメなんだ」と、
いつしか無意識のうちに、
「体が弱い自分はダメなんだ」と、
捉え方が変わっていったように、
あらためて振り返ると感じています。
そしてそれが、
社会に出た後の、
「お休みされる方への厳しさ」
にも、つながっていたように思います。
(ゆっくり休んでねとお伝えしつつ、どこかで休まれると困るなぁと、休むことを少なからず否定しまっている自分がいました)
・・・・・
一緒にいる人たちには迷惑をかけたくない。
それと同時に、
一緒にいる人たちに、やさしい私でいたい。
それならまずは自分が、
「体が弱い自分」を受け入れなくちゃ。
そんなことをあらためて感じています。
・・・・・
季節の変わり目に体調を崩しがちなのは、
やっぱり少し申し訳なさが残るけれど、
でも、自分はそういうところもあるのだと、
受け入れ、できる注意は続けつつ、
体調を崩してしまったときは必要に応じて周囲に伝えて、
隠すのではなく、
正直な、体の弱い私を見せていきたい。
「どんな自分も隠さず、正直でいる」ことこそが、
「私を自由にしてあげる」ということなのだと思うし、
巡り巡って、そんな自由な私でいることが、
一緒にいてくれている人たちの、
穏やかで自由な気持ちにもつながるのではないかと感じています。
・・・・・
体調が万全ではない今の自分はもどかしいけれど、
でも、厳しい私ではなく、やさしい私でいられるように、
自分にも相手にも、自由で誠実にあれるように、
どんな自分も受け入れていきたいなとあらためて思う、今日このごろです。
(写真は秋田から届いたメロン。食べられるものを食べつつ、今日は夫と一緒に早めに休みます🍈)