おはようございます😃

ゆうかです目がハート


最近、気づいたことがあるのでシェアしたいと思います。


私、33歳になるのですが、ずーーーーっと、小学生から今まで、親の育てられ方や性格にトラウマがありました。


ひとつトラウマが取れて、じゃあ違うトラウマが出てきて、また向き合って、手放して…の繰り返しでした。

まだまだトラウマ?心の引っ掛かりは山のようにありますが、先日、大きなヒントが降りてきました。


それは、自分に見えていることが、人にとっての盲点であり、人に見えていることが、自分にとっての盲点であること。


自分が見ている世界は、自分だけの価値観。

自分が大事にしているものは、人からしたら見向きもされないかもしれない。

自分が寂しいと思うタイミングは、人にとっては心地よい距離感なのかもしれない。

日々、幸せとは何だろう?と考えている人の世界線と、日々、どうやったらお金を稼げるだろう?と考えている人の世界線が交差するのは、人生のうちの、もしくは1時間のうちの何%なんだろう。


そう言った感覚の違いは、他人だったら問題なく、「生きている世界が違う人」「価値観が違う人」として、すれ違っていくでしょう。


でも、身内だったら?

「私の気持ちをわかって欲しい。

理解して欲しい。

共感して欲しい」

となるかもしれません。


特に幼い頃。

私の場合はそうでした。


小学生の頃、母に勝手に部屋を漁られ、私が趣味で描いていた小説を、母のママ友に披露されていたことがありました。

帰宅して、その様子を目撃して、とってもショックでした。

「なんで勝手に見てんのよ、やめてよ!」というと、母のママ友の1人が「いいやん、めっちゃ面白いやん!もっと見せてや!」と言いました。


私には、横にいるのに何も言わない母や、そもそもこれを勝手に見ていて、他人に見せた母に絶望しました。

それ以降、小説家になりたいと言う夢は諦め、学校での作文や物語も、先生に当てられるのが嫌で、わざと適当に書くようになりました。

当てられると、声が震えるようになりました。


私から見ていた世界線はこうですが、もしかしたら、母は、いじめっ子リーダーのようなママ友の機嫌を取って、私たち子供の立場を守ってたのかもしれない。

理由としては弱い気もしますがw

楽しいことが好きで、無邪気に子供の成長を楽しんでいたかもしれない。


根っから明るい母にとって、私の傷は、全くもって盲点であり、想像もできなかったことなのかもしれない。


慮ると言う言葉がありますが、(周囲の状況などをよくよく考える)その人の概念にないことは、慮ることができないですよね。


そこで気付いたんです。

私は、母の盲点に傷ついていた。


分かってくれない。

理解してくれない。


私の気持ちを想像もしてくれない、と。


でも違いました、できないんです。

そのアイディアがないから。


決して見下しているわけではなく、フラットに。

私が思い付いてことを人は思い付いている。

ピカソの絵のアイディアだったら純粋に感動できる。

大富豪に何人愛人がいても笑える。


でも身内には、常に感情が付き纏い、感覚の一致や価値観の不一致に、一喜一憂してしまう。


相手の盲点ごと受け入れ、愛すことが、深い人間関係の一歩なのかなと思った今回の気づきでした^^



同じような心の引っ掛かりがある方の癒しになれたら嬉しいです☺️


良い1日を✨