インドへ行くと決めた。
いってくるよ!
「おお!なんてすばらしいんだ。あなたなら なんでもうまくやれるよ 大丈夫いっておいで」


そんなコトバが ほしくてほしくて 仕方がなかった。
それを 父と母に求め続けていたのが、 2か月前のわたし。

遠まわしに 賛同してもらえるように なんとか 手を尽くそうとしている。

何を恐れているの?

それは 単純だった。

大丈夫よ
あなたならできる

そう 言ってくれる存在を 外側に 求めている
ということだった。

外側にもとめながら、それを公言することには躊躇があり、
わたしの心の奥の引き出しのほうにしまっていた。
いつしまったかは 思い出せないけど。
そのまた奥の奥には、どうせ わたしなんて という 本心が 隠されていた。
そうやって 素直なさびしい気持ちを 奥に隠して
遠まわしに 遠まわしに 望むほうへ望むほうへと戦略をたててみる
相手に正面から向き合えずにきた自分は
どうやら ここからきていたのかもしれない。


そんな シンプルなところに 気付き、いっぱい ことばにならぬ ことばを 発して涙して
わたしの 深いところが 癒されたようだ。

すると

インド行きを心配ばかりしてくるお母さんに こどものようになきじゃくりながら 怒る自分。

途中で金銭的に厳しいかも!とおもいはじめて父へ援助をもとめるのだが、
援助してもらえてももらえなくても大丈夫な自分がいる。
(以前は援助をしてもらえないと父に否定されたように感じて深く落ち込みがちだったのだ)

いままでなら、耐えられなかっただろうに。

そして
結末は

母は、わたしに 謝ってくれた(わたしのなかで それまで 母には自分から謝らないと許してもらえないと思い込んでいたのだから驚きました。 すばらしい奇跡です)

父の援助なくても、自分のアイデアを形にしてお金の準備も整った。
(自分の直感やアイデアは自分にしか形にできないことを身をもって実感できました)

すばらしい気付きと体験をいただいたのです。

そして 
父と母が わたしを 愛してくれている って 実感できたのです。
そして、
わたしも 父と母を愛しているのだと 実感したのです。