2012/10/4 14:03.自宅で、男の子がわたしから、産まれた。

長女の鼓波のときと同じく、予定日を1週間すぎての出産。

鼓波のときは、神奈川に住んでいて、実家から1時間ほど車で移動して

病院で出産した。


今回、山の中のでの暮らし4年目にはいって、初めての自宅出産。

その体験は、想像以上に豊かで、自然で、自分の呼吸と、赤ちゃんの呼吸に合わせて、ゆっくりゆっくり進み、味わえるような時間だった。


自宅出産というと、いろいろな不安を抱く人も多いと思います。

わたしももちろん、そういった不安がないわけでもなかったのです。

けれど、それ以上に、何か突き動かされるように、自分が女として産まれたことの可能性だったり、本能的な部分を信頼して、産みたい。という想いの方が勝ったし、そんなイメージで進む方がうきうきした。


もともと長年不整脈に苦しんでいた経緯もあったから、自宅出産をするにあたり、助産師さんをお願いする時も、病院の精密検査をうけて、要約、お医者さんにも、太鼓判をおしてもらった上での、決断でもありました。


なんだか、流れは、家で産むということに流れていました。

鼓波の時も、同じように、助産院や自宅での出産を求めたけれど、結果は病院となった。

今回は、自分の中では、それほどこだわっているわけでもないけれど、

そうなれたらいいなぁ位で、楽に構えていられたところもあった。

不整脈じたいも、最近ではほとんど症状がないし、この出産を機に、また、ひとつ成長して、もしかしたら、本当にもう、不整脈という症状がわたしから必要ではなくなる予感すらしていた。


妊娠出産という体験は、わたしにとって、今、宝物のようにわたしの中に生き生きと輝いていて。。。彼が産まれてから、わたしたち家族も、ひとりひとりの立ち位置が自然とかわって、また、関係の仕方もがらりと変化した。


今回、自宅出産するにあたって、産前産後の家の仕事を、実家の母に頼んでいた。

後から知ったことだけれど、母は、わたしの妊娠を知った時、実家に帰って産んでほしいと思っていたようだ。

けれど、そんな想いを知る前に、母に、わたしから打ち明けてお願いした自宅出産と、それに伴うお手伝いのお願い。

母にしてみれば、この山奥に暮らし始めたときから、ここでの暮らしのどこが魅力なのか、まったく見当がつかないらしかったし、「あんたは偉い!わたしにはこんな暮らしは無理。」と。。。遊びに来るたびに言われていた。

プラス同時にとっても心配をかけてもいた。


そんな経緯があったものの、母は、わたしの想いを尊重して手伝いを承諾してくれた。


出産予定日は9/27だったので、両親そろって、3日前から我が家に来てくれていた。

わたしは、日々赤ちゃんとの胎話を楽しんでいた時期で、それが終わることが少しさびしくもあった。なんとなく、予定日あたりに産まれてくる気がしていた。

でも。。。予定日になっても、産まれてきませんでした。


いま思うと、最後の最後の、家族としての調整をさせられていました。

由くんとの関係。母との関係。

鼓波を妊娠出産の時期、8カ月ほど、実家に家族みんなで居候していた時期があったのですが、その頃、わたしも母とぶつかって喧嘩したし、由くんも、母と喧嘩したり、もちろんわたしと由くんが喧嘩する事もあったし。

まぁ、よくよく喧嘩していました。


そして、また、今回、父が予定日3日ほど過ぎて産まれないことを確認して一度帰省してから、数日、わたしと由くんの喧嘩が勃発。

みるにみかねて、「二人が喧嘩ばかりしていたら赤ちゃんも産まれて来れないじゃない!」と、母にも諭される始末。


本当にどうしようもないわたしと、由くん。


そして、やっとこさ、お互いに収まりどころをみつけたその日の夜、おしるし。

そして次の朝には規則的な陣痛がはじまって、そして、昼間に破水。

そのまま、1時間もしないうちに彼は産まれた。


陣痛の苦しみの中にいるとき、初め近くにいたのは、母で、ちょうど稲刈りから帰ってきた由くんを、悲鳴に似た声で叫び呼ぶ母の声を隣にききながら。。。

あぁ。。。はじまってしまった。。。あぁぁ やっぱり、この痛みは、逃げたくなる。。。なんて思いながら。。。痛みに身を預けていた。


規則的な陣痛がはじまった朝に、様子をみがてらきてくれた助産師さんは、すこし様子をみようと、家をはなれたところで、連絡すると、到着までしばらくかかりそうだった。

破水したわたしのお尻にパットをあてる処置を由くんがしてくれて、

陣痛のなかで、寒さが堪えるわたしの叫びに、母も、ロケットストーブをガンガン燃やし。

そのうち、顔だけ妙に暑過ぎて苦しくなったと訴えると、娘の鼓波がうちわを持ってきてわたしの顔を仰いでくれていた。

そんなこんなしているうちに、助産師さんがきた。

そこから少し四つん這いになることを勧められてなんとか、態勢をとったとたんに、赤ちゃんは、わたしのお腹から勢いよく回転して滑り下りて産まれた。


その時、産小屋には、木々の隙間から西日が差して、きらきらに輝いていた。

臨月を迎えて初めてこの部屋でお昼ねした時にみた風景とにていた。

その時、お腹にいた彼は、こんな日和にうまれたいなってわたしに話しかけてきたっけね。


産まれたての彼をお腹にのせると、思った以上に重い。

なんと3650gもあった。鼓波の時より1kgも重い!!

そして、わたしのお腹の上で、しばらくゆっくりした彼は、そのうち、物凄い大きな胎便をだした。部屋中が笑いに包まれた。


その日からおっぱい生活に突入。

腰がゆるゆるになっているわたし。感覚もひらきっぱなしで、頭の働かない自分を感じながら、赤ちゃんとの時間をみっちり味わった最初の3日間。

その間に、母も由くんも鼓波も、それぞれにそれぞれの仕事以上の仕事をこなして、サポートしてくれた。

出産前に、あれだけ喧嘩していた関係が、なんだか急に、がらりとかわっていた。

それぞれにそれぞれが出来ることをしている。

喜びと共に行動している。そんな波動が伝わってきて、わたしもとても幸せを感じていた。

なんだ、いつも、こうやって、支え合っていたんだよな。

そんな当たり前のことが、幸せだったことに気付いたりしていた。


ひとつの命が誕生することで、いろんなことが、がらりと変化していた。

4歳の娘 鼓波も鼓波なりに受け止めながらも、甘えたい盛りの彼女の思いもぶちまけてきたりする。

2児のおとうさんになって、日々が忙しくながれはじめて由くんも、家の仕事をいつも以上にやってくれながら、外での仕事も頑張ってくる。

母も、慣れない薪風呂を焚くことから、彼女の大の苦手の猫の世話。

日々のご飯の用意。いっぱいいっぱいお手伝いしてもらって。

そして、今日、なんとなく、ぽっかり空いた時間が出来た感じで。

昨日、再度我が家に来た父に、母を街に連れ出してもらい、由くんもおやすみになったから、鼓波と温泉へ。

わたしは家で、赤ちゃんとふたりきり。

ひさしぶりにPCにむかって想いをつづってみる。


たくさんの愛をもらって、この出産を迎えられたことに感謝です。

ほんとうにたくさんの人からそれぞれの形の愛をむけてもらいました。

だからこその奇跡のように楽なお産。楽な産後。


赤ちゃんへの愛しさも物凄くて、かれをお腹の近くで抱きしめているとまだまだお腹にいた時の胎話の感覚がよみがえって幸せで涙がでるほどです。

産後1週間くらいは、彼と見つめ合いながら胎話を続けていて、本当に不思議でした。


彼は、早人 はやと と名付けました。

皆さんとの再会を楽しみにしているよ。


由朋(ゆうほう) 朋のブログ

そうそう!出産直後にいただいた、生肉胎盤の醤油漬け、最高に美味!

次の日には由くんが塩焼き胎盤ステーキをつくってくれた。

本当に、子宮の収縮が促されてお腹がらく~になるのを感じた。

そんな、わたしたちにとっては普通にしたいことが、母にとっては物凄くカルチャーショックだった様子。友達に電話口で興奮しながらそんな体験を話すのを聴いてはじめて気付く私。

本当に、最高の!!出産を支えてくれてありがと~!!!