緑も少しづづ濃くなってゆく、八坂の山。

我が家は、車一台での生活なので、よしくんが仕事になると、

わたしと3歳の娘は、山の中で一日を過ごすことになる。


今日は、そんな一日。


由朋(ゆうほう) 朋のブログ

最近、恒例となった、薪割りを、気分がのると、やりはじめ、そのうち、

ピアノが弾きたくなってピアノを弾いて。

その後ろをちょろちょろついてまわる娘。


薪割りをしていれば。。「がんばれ~ともちゃん!」と応援歌がはじまり、

ピアノを弾いていると、ろうそくをマイクに、即興で唄を唄いはじめる。

ふふふ。。。なんとも、愛おしい。

けれど、なんだか、最近は、ちょっと一人でいたい気分もあるのに、

どこへいっても、付いてくる娘に少しイライラ。。。のわたし。


そんな自分に、今日は、「なんでなんだろう?」と、疑問を感じた。

私の中にある、ないものねだりなのか。。それとも?


わたしは、このところ、自分の中から湧きあがる感情を、抑えることなく表現するようになってきている。

特に、パートナー由に対して感じる感情は、とてつもなく強烈なものであるときがあり、その感情は、その時に、周りに誰がいても関係なく、表現されるようになってきている。

昔は、感情を露わにすることは、大人げないことで、周りの人を不快にさせてまで、自分の感情を表現することを、避けていた。。。。

けれど、今の自分は、何よりも、自分の中のフィーリングを優先するようになってきた。

良いか悪いかの判断は、全く重要ではなく、このこと自体が、ものすごい変化なのだ。


娘への、イライラの気持ちも、なんだか最近抑えることがなくなり、

ちょっとね~一人になりたいの。だから、イライラしてるんだ。と、普通に3歳の娘に説明するわけです。


そこで、娘の反応なのですが、「わかったよ。大丈夫だからね」

と、包み込むわけです。。。。 すごいな~。愛されてますよ。わたし。



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昨日は、八坂から片道1時間半ほどの、小谷でのおはぎ作りに、娘と2人で出かけたのだけれど、そこでの、娘は、たくさんの大人たちに囲まれて、最初は「はずかし~」を、連発していました。どうやら、彼女も、自分のフィーリングをしっかり言葉で表現しているのです。

そして、その場や人に慣れてくると、遊んでくれる人をつかまえて、

思いっきり遊んでいました。みていてとっても清々しい。



そんな彼女の存在がわたしに与えている影響はとてつもないな。

今のこの状況や湧きおこる感情含めて、今の最善なのだと、自分で自分を受け入れることにしてみました。

時折、こうして、立ち止まって、自分の中にある、普段は駆け足で走るように過ぎてしまっている日常を、瞬間瞬間に、立ち戻って感じてみる時間が、わたしには、必要みたいです。



その昔、感情をその場で表現できなかった頃から、わたしは、結局、

自分の中に湧いてくる感情を、無視できずに、生きてきたんだってことなんだ。

昔は、よく、人の嘘や噂話を感知しては、だまっていられなくて、ドキドキしながらも、結局は、はっきりモノ申していた私。。。。

そうやって....感情がその場で解消できずにいた以前の私も、それはそれは、長い時間苦しんでから、相手に、伝えていたもんだ。。。


いまも、そう、変わりはない。

でも、いまは、随分、その瞬間!に表現され、その瞬間に解決されることも増えている。今の自分のフィーリングが、相手に伝わりやすいように、自分の感情を解説して伝える!なんて技まで、生まれはじめている。

とくに、 娘との関係は、そんな関係性を学ばせてくれる。


最近、夜寝る前、娘が楽しみにしてくれる、2人のお約束ができた。

わたしは、どうも、絵本を読んでいても、飽きてしまう性分で、それを感じてか、娘も、すこし退屈そうにしているときがある。

そこで、自分で、その場で、即興で物語を作ってみることにした。

これが、なかなか面白い。

その日にあった出来事にフィクションを加えて娘の大好きな妖怪や鬼が登場するような物語にしてみたり。。。

女の子がきらめくお姫様のお話にしてみたり。

もちろん、すべて、主人公は娘。


娘は、わたしの言葉に一喜一憂しながら、怖い時は、お布団にもぐりこみ、

キラキラするときは、目を輝かせて、楽しそうにお話の中に入り込む。


娘と過ごす時間がほとんどなので、物語の題材には困らない。

娘と過ごした、思い出の中に、妖精や妖怪が登場するのも、なんだか、娘にしてみればいつも当たり前に接している存在のようで、彼女を前にすると、

そんな物語がいっぱいあふれてきます。


そんな物語をつくりながら思うのです。

そう、ピアノを弾いているときにも感じます。

わたしは、今、この瞬間に感じること、感じるままでいいんだよ。


良い悪いなんて、あとから、人が頭で考えて、割り振るようなもんで、

Aさんにしてみれば良いこともBさんから見れば心地悪いことになっていたりするわけなんだ。


だから、そんな、一見、感情に振り回されているようにも映る最近の私自身の姿も、なんだか、ものすごく、オープンでいいんじゃない♪とも、感じる。


そして、その感情を自分が受け止めてあげれていると、その想いを、自分がしっかり消化できているから、相手が受け取りやすい形で、相手に伝えられる。

だから、結果的に理不尽に相手を傷つけるような怒りをぶつける衝動も湧かなくなる。


感情が教えてくれる学びは大きい。

わたしは、娘に学びながら、素直で清々しい自分を、もっともっと発見していきたいな。



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家族って、いいもんだ。と感じることの一つです。

深い深い学び。

学びあえる関係を、たくさんの人と分かち合ってゆきたいな。

その一歩が、このブログ。


今日も、読んでくれてありがとう。