熊本に故郷をもち、家族から独立して東京で働くことを選んだ両親の元に、わたしは生まれた。
その時代、東京で働くことには、今とは比べものにならない程の、夢にあふれていたに違いない。
ご先祖さまの誰も、経験したこともないような高度経済成長の時代に、わたしの両親は、親元を、住み慣れた土地を離れて、子育てと仕事を一生懸命頑張ってきてくれたんだな。
今、田舎暮らしをしているわたしに、両親は、なぜ、こんな、不便な生活を選ぶのかと、理解に苦しむ部分もありながら、懸命に、サポートしようと、愛をそそいできてくれている。
両親に、自分の生き様を、理解してほしいと、思っていた頃もあったが、今では、
その思いは、昇華して、今では、理解はできずとも、わたしの幸せを願い、
困った時には手を差し伸べる心をもってくださっている両親に、感謝をしてもしきれない思い。
娘の鼓波も、3歳を迎えた。来月には七五三。
先日、父と母が我が家を訪ねてくれた。
鼓波の晴れ姿を写真に残すために。
最近、わたいは、着物のリメイクを始めたこともあり、母のことを思い出すことが、しばしばあった。
わたしの母は、わたしがまだ小さかったころには、ゆかたやワンピースを作ってくれていた。
作ってくれた数々の服に関して、わたしは、色合いや生地の肌触りや、柄に至るまで、自分の記憶の奥深くにしっかりと残っていたことを思い出した。
その頃は、大した実感もなく、どちらかといえば、怖くて厳しいお母さんでも、大好き!という感じだったのだが、今の私から見れば、そういった、愛の形が、わたしを支えてきてくれていたように感じられてならない。
父と母が鼓波に着つけてくれている時間、わたしは、その姿をみて、自分の幼少期を思い出していた。
わたしが幼少のころは、随分、父にも母にも厳しくしつけられた記憶だが、今では孫に対して、デレデレで何を言っても可愛く感じるらしい父と母。
そんな姿をみて、今まで元気に生きてきてくれた事が、ありがたく感じる。
鼓波の晴れ姿は、わたしに衝撃的な思いをもたらした。
感動っっ!!!
鼓波が、わたしに与えてくれているものは、とてつもない大きな大きな愛。
わたしは、彼女と接しながら、少しずつたまねぎの皮をはぐように、自分自身の弱さを認めて、鼓波がわたしに向けてくれている愛に少しずつ広く深く大きく、気付けるように導かれてきたの。
わたしは わたしのままで
わたしの感じること ありのままで
とらわれは どんどん はがれて
どんどん 幸せが ひろがるよ
いつもいつも本当にありがとう
命がつながって 今 ここに生きるわたし
夫になったご縁の よしくん。
夫婦も、いろいろある。
本当にまったくもって 違う世界観の中でいきてきたわたしたち。
そして これから、 どんどん つくっていく。
うみだしていく世界は また あたらしい世界なんだよね。
たくさん うまれる 奇跡。
楽しみです。