今から約14年前のことです。
 

出産予定日の2週間くらい前に、初の入院をしてから6日程が過ぎた頃。ようやく、おしるしが来たのが深夜の11時半くらいで、私は直ぐに分娩室へと移されました。

 
そこからが長かった(;´д`)
大学病院だったからか、ゾロゾロと若い先生たちがやってきたのには、少し唖然としたけれどびっくり
 
陣痛は、波があってその波に乗らないと体力だけが奪われていくというかぼけー
12時間ほど分娩台に寝ていたことになるのですが、途中、眠くなって意識を失ったりもするなか、赤ちゃんの心拍数が速まってきて、とうとう、吸引で出すことに…
 
しかし、それでもダメで…
鉗子分娩となって、やっと出てきてくれたのでした照れ
 
赤ちゃんが出る瞬間、何人もの先生に押さえつけられびっくり
 
お腹を強く押されて、苦しいというより、なんか変な感じでした。
後で元旦那から聞いた話なのですが、ホラー映画のような悲鳴をあげていたそうです(^_^;)
 
無事に生まれてくれて、良かった。
と、安堵したのもつかの間…
 
縫合された後も、どういう訳か分娩台に寝かされたまま。息子は、すぐにどこかへ連れて行かれたので、会えたのは暫くしてからだったのですが、鉗子分娩だったからか、より頭が縦に伸びていたようですショック

あの部分が裂けてしまったみたいで、2度も縫合されたんですが…
2度目は、麻酔されたけど陣痛より何倍も痛くてガーン

思わず泣きながら我慢してましたわ💧

それから、これまたどういう訳か、その晩は分娩室で寝かされたんですけど、隣の分娩室では、他の妊婦さんの息む声が聞こえてきて、心の中で、「頑張って…」などと、応援していたりニコニコ
 
どのみち、裂けた部分が物凄く痛くて眠れなかったのですが、貴重な経験をしたと思いました。
 
その後、点滴の打てる場所が無くなりそうなほど、針を刺され、腕が青くなっちゃったりガーン
便秘になって、苦しい思いをしたり…
 
もう少しで退院かな?
と、なった時、産褥熱みたいなことになって、苦しんだりえーん
 
私が想像していた理想のお産からは、程遠い苦労がありました(´д⊂)
 
でも、入院生活の中で、他のママさんと仲良くなったり、楽しいこともありました。
 
抜糸の時の、担当医との会話…
今でも覚えています(笑)
 
いつものように、分娩台に乗り、診察して貰っていた時…
 
先生「だいぶ良くなって来ましたね」
私  「そうですか?見れないのでよく分からないんですけど」
先生「…見れなくて良かったですよタラー
私  「そ、そうなん…ですねぇ…」
 
あの部分が避けたんですから…
そりゃあもう、それこそ、ホラーな感じなんだろうなぁ…と、思った記憶がガーン
 
あの頃、病院でお世話になった先生や看護婦さんたちも、ママさんたちも、元気だろうか…
お子たちも元気で楽しい学校生活を送れているだろうか。(みんな、中学2年になってる)
 
ただでさえ大変な思いをする妊婦さん。
それを見守る家族。
 
こんなご時世だから。
今、出産を控えた妊婦さんたちの不安は、計り知れないものだと思います。
私だったら…と、考えることもあります。
 
先生方、看護婦さんたち、病院を綺麗に掃除してくれる方々。
改めて、感謝ですよね照れ

 
まだまだ、この後も波乱が続くのですが、それはまた次回にニコニコ
 
妊娠中、入院中に愛読していた本が、こちら!

白玉きな子のmy Pick



時に面白く、妊婦の日常を描いているので、私は不安になりそうになった時、この本に励まされていましたおねがい


ではでは、この続きはまた次回にマッタリと綴っていきたいと思いますイエローハーツ


今回も長々と、失礼しましたニコニコ


 
 
 

以前、Amebaで少しの間、書いていたことがあるのですが、本格的に書いて行こうと思ったのは、今回が初めてで…

 

その理由は、息子との奮闘の毎日の中で、他の方々にも知って頂きたいことが多くなってきたからです。


一人でも多くの方に、息子のような子供や、その子供を育てている親御さん達の気持ちを知って貰いたい。


そう、強く思ったからであります。

 

まずは、妊娠してからのことからゆっくり、じっくり書いていきたいと思いますので、宜しければお付き合い下さい!

(*'ω'*)ノ

 

 

 

はやぴぃ(息子の愛称)が、「広汎性発達障害」と、診断されたのは、待機児童だった彼が、保育園に入園出来ることになった、3歳半くらいの頃でした。

 

それまで、どういう訳か、入園できる保育園が決まらなくて、共働きだった私は困っていました。

 

そして、ようやく決まったその園での、健康診断で初めて、「お母さん、この子はもしかしたら、自閉症かもしれないよ」と、その時いらしていた医師から伝えられてから、私の、本当の意味での奮闘生活が始まりました。

 

現在は、シングルマザーなのですがニヤリ

その当時は元旦那も、「試されていると思って、頑張ろう」とか、なんとか言っていたかなぁ照れ

 

とにかく、私たちは夫婦で乗り越えようとしていました。

 

少し遡って、妊娠したことが判明したのは、妊娠2ヵ月の頃で、つわりが酷かったことから、週に一度点滴をしにクリニックへ通うほど、本当に辛かったですガーン

 

結局、出産している最中も、戻してしまう始末えーん

安定期に入るまで、毎日、トイレにこもっていたくらい酷くて…


7キロも体重が減ってしまいましたガーン

 

仕事も、ほとんどできなくなってしまい、寝たきり状態にショック


それでも、安定期までの辛抱だと、毎日夕方に流れる広報?の、「〇時〇分になりました。外で遊んでいる子供たちは、お家へ帰りましょう」と、いう町内アナウンスのようなものを聞いて、

「あぁ、今日も1日終わるのか…」

と、トイレの中で思っていました(つω`*)

 

けれど、安定期に入っても、今度はげっぷ悪阻に悩まされ…

横になると戻ってきそうな感じがずっと続いた為、夜も眠れないという笑い泣き

 

吐き悪阻よりは全然我慢出来たものの…辛かったです(/Д`;


介護ベッドみたいなものがあれば、楽だったかと思いますが、一時のことだと思うと、そこまで踏み切れず(;^_^A

 

そうこうしているうちに、高血圧、貧血などが見られ、出産間近になった頃から、担当医に入院を勧められ、私は初の入院生活をすることになりました。

 

ここからが、また波乱に満ちた感じになるのですが…


次回、じっくりと書いていきたいと思いますニコニコ