自分の過去をゆっくり振り返りながら、
整理をしようと思います。
          


自分が傷ついた過去の経験を通して、
沢山の恐れを持つようになりました


傷つくことを恐れ、
その恐れから自分を守るために、
沢山の観念を持ち、
沢山の観念によって
自分に沢山の制限をかけてきました。

それが自分を生きづらくさせていた全ての原因でした。

自分らしさを隠してる部分、
観念から解放されることで、
自分らしさを取り戻すことができること

楽に生きれるようになること

それを心塾で学びました

今自分らしさを取り戻しながら、
新しい自分の生き方を手に入れ始めています

今まで見ていた景色や環境が、
少しずつ変わり始めています


生きることがつらくて、
生きているだけで苦しく感じていた人生が、

今は毎日ワクワクして楽しく感じてる自分の変化に

こんなにも変わることができるのかと

驚いていますウインク

全ての出来事は自分を幸せにするために
起きている

苦しいことも
つらいことも
悲しいことも
イライラすることも
全ては幸せになるために乗り越えなければ
いけない試練だということです。


その試練は全て乗り越えれることしか起きないのです。


だから、
誰でも幸せになることができる。

そう感じています。


私の体験が誰かの役に立てればと思い、
綴ろうと思います。



※   ※   ※







私の家庭は私が物心ついたときには、
夫婦関係は最悪で
夫婦喧嘩ばかりの家庭で育ちました


大声で怒鳴り散らす父が怖くて、
いつも父親を怒らせないように気を使う母は

「私が成人するまでの我慢だから。」

「これ以上お母さんを困らせないで。」
が口癖でした


私はそんな母親の姿を見て、

可哀想な母を守らなければいけない

迷惑をかけないようにいい子で
いなければいけない

と子供なりに気をつけてきました



どれだけ頑張っていい子でいても、

可哀想な母は変わらなくて、
つらそうな母の姿を見るたび、


私は迷惑な存在なんだ

私は役に立たない存在なんだ

と自分の存在を否定し自分を責め続けて
きました

そんな私は自分のことが大嫌いでした







幼い頃を振り返ってみても

両親と一緒に遊んだ思い出は記憶にありません


両親が喧嘩してる姿や

部屋で1人遊びをしてる場面が覚えてる
くらいです


甘えることも、
ワガママを言うことも、
悲しい、悔しい、寂しいなど、
全てのネガティブな感情を出すことも

迷惑をかけてしまう…

子供ながらに親を困らせないように
無意識に我慢することが当たり前に
感じていました




自分の気持ちを出せないから
誰からも理解してもらえないように感じて

いつも寂しかった…










小学校に入り、
仲間外れやいじめも経験しました




初めはあまり気にしてきませんでしたが、
度重なるいじめに段々と周りの目が
怖くなっていきました




陰口や無視されることは
家庭でも居場所がない私にとって

誰からも受け入れてもらえない孤独感は
本当につらいものでした


自分の名前を呼ばれると
陰口を言われているんじゃないかって
すごく不安になったり

こっちを見て笑っていると
自分が変なんじゃないかって
すごく不安になったり

私は嫌われてる

私は誰からも受け入れて
もらえない存在なんだ

と自分の存在を自分自身で否定していました



この頃の私は


人と関わることがすごく怖かった


人の顔色をうかがっては、


相手がどう思うのか、

相手どう考えるのか、

相手がどう感じるのか、



いつもそればかりが気になって、

人に自分から話せなくなり、

人と笑顔で話せなくなり、


できない自分をもっと責めて

益々人と関わることが怖くなっていきました









これ以上、
傷つきたくなかった…


『今の生活から逃げたい…』
と毎日のように感じていました


子供の頃の私にとって
自分が傷つかないためには、

自分が人から嫌われないためには、

いつでも笑顔でいなければいけない
人を不快にさせないようにしなければいけない
人に合わせなければいけない

あげればきりがないほど

沢山のマイルール(観念)を作り
周りに受け入れられるように振る舞うことしか
できませんでした


でもマイルールに縛られる生き方は、
楽になるどころか、


我慢をしたり、
無理をしたり、

マイルールが増えれば増えるほど

できない自分を責める機会が増えるばかりで

どんどん自信がなくなり、
そんな自分がどんどん嫌いになっていきました


気づいたら人の目がとても怖くて、
恐ればかりが増えていきました


そんな私の生き方は、
年々苦しくなっていきました




最後まで読んでいただきありがとうございました