私はよく、「自分に対して自信が無さ過ぎる」と言われる。

別に自信が無いわけじゃない。

ただ、この身体が絶対的に能力値で劣っている面が多いというだけだ。

外見的なバランスの悪さ、歯列や出力の無さ、骨格の形態…

それに加えて、私自身の知識量の少なさ、話の下手さ。

そういったモノを換算していくと、どうしても今の私は劣る。だから自信も無くならざるを得ない。

むしろ、確固たる力量も無いのに自信に満ちている等、唯の愚か者でしか無い。

だから私はどんな形であれ、自信を抱くための「力」が欲しかった。



---では、何を以って「力」と定義するのか?


Previous Days Part7 -Power to Live-



トロントから戻り、2年が経過した。


私は大学4年生となり、就職活動へと放り込まれることとなった。

自分と同学年の学生たちが企業を見つけて行く中、私はどうしても動けずにいた。

いや、より正確に言えば「動かなかった」と言うべきか。

どうしても好きになれなかったのだ。

物流、メーカー、商社…はっきり言ってどれにも興味が湧かなかった。

嫌々ながらも説明会に向かった事もあったが、やはり詰まらない事に変わりは無かった。


営業やら下積みやら、事務作業やら。


失礼な話だが、私には合わないし、価値観的にも「これは無い」と思った。

日がな一日ヘコヘコ頭を下げて回り、自分の作ったものでもない物を売り歩き、そんな事で一日を終える。

馬鹿馬鹿しいし、やっていられない。



それらの詰まらない作業を「人と人の繋がり、温かみ」と言われても。

「機械にやらせない事に意味があるんだ」と言われても、私には納得が行かなかった。



結局のところ、代替可能な人間を使い倒すための口実だろうに。



まして私みたいな「性能全般で劣る人間」は、特殊な「才能」を駆使する等の奇手を使わなければ、

代替可能な人間の中でも、下流から抜け出せずに終わってしまう可能性が非常に高い。



よって、代替不可能な立ち位置へどうにかして居座らなければならなかったし、

そこへ行き着くため、即ち自分の存在を肯定するための「力」が無ければ最初から話にもならなかった。



だから私はJALやANAのパイロット養成コースのみを受けたし、

そこに道を見出せないならば、自分の命を断とうとすら考えていた。


しかし、現実は過酷極まり無く、民間企業の選考では敗北を続ける。



-----所詮私みたいな欠陥品はこの程度か…



自分の運命を呪っていた最中、私は「ある所」から連絡を受ける。

渋谷の自衛館にて私が投げやり気味に書いたアンケートを読んでくれた、自衛隊の地方本部からだった。


少しずつながら、友人たちの粘り強い改良を受け続け、私の外観は少しずつ向上していった。

初期に比べるとかなり違う印象を与える設計となっている。

しかし、どうしても生まれつきの物であった髭や白い皮膚との兼ね合いの悪さ等は解消のしようが無かった。

そのために改修作業の内容も抜本的な物へと方針転換が行われ、眉のカラーから始まり、

果てはレーザー脱毛に加えてコンシーラーの導入、歯科矯正治療等、徹底的な改造が取られた。

次々と行われる処置作業は苦痛を伴う物も少なくなかった(特に歯科及びレーザー系統)が、

それでも投げ出さずに耐えられたのは、「ある男」の存在があった。



Previous Day Part6 -Losing One's Sanity-



私がレーザー照射や、治療の必要性からの歯の切断等の苦痛を耐えたのは、

トロントにて出会った、ある男の存在があった。

彼は同じ日本人の大学生で、私の一つ年下だった。


だが、私より遥かに外見は良く、成績等の面も優れていた。

彼に比べたら当時の私等、全く無価値だっただろう。


最初は彼も、改良に協力してくれたが、外見の改良を優先する私に、次第に彼は辟易するようになっていった。

やがて、彼の一言が、私の逆鱗に触れることとなる。


「外見は変わったけど、中身は同じだ」


それに対して私も「顔だけの貴様に言われたくは無いな」と啖呵を切ったのが最悪だった。




当時の私は認識不足だった。

外観は人間関係に於いて致命的要素を持つ、ここまでは正しかった。

しかし、外見よりは要求性は少ないながらも、コミュニケーションや気遣いも必要、という事を忘れていたのだ。



言う間でもなく、協力関係は急激に冷え込んだ。

更には彼が私の知人と付き合っていたということも、事態の悪化に拍車を掛けた。

詰まる所私にとっては「顔だけで全て上手く行ってきた奴」としか映って無かった訳である。


そういう訳で私の思考回路には彼が「敵」として登録されてしまい、

「彼を打倒し得る性能」を追い求める事となり、上記の通りの凄まじい改造へと繋がってゆく訳である。

また、「あらゆる面で勝ち組であろう彼を撃破可能な性能」という文言は家の状態から服のブランド、

果ては自分の職業選び(元がパイロットというステータスの高い職だったので結局このまま)にまで影響し、

私の向上心の軸となっていった。

更には「彼を潰すためなら苦痛すら辞さない」という思考に繋がり、

結果的に苦痛を受けようと自分の目標を達成するという姿勢を形作る事となった。



一方で、狂気じみた敵愾心は時として私に悪影響を及ぼした。

その一端が、無茶な服装の装備への執着心や、私自身の金遣いの荒さであったが、

何よりも自分より顔のいい相手が苦手、という欠点である。

最近の抜本的な改造により、苦手意識はようやく消えつつあるが、やはり苦手な物は苦手らしい。




この時2007年11月前後、幹部候補生試験に合格するまで、残り1年10カ月…


とにもかくにも仲間を手に入れた私。

僅か数名とは言え、やく10年ぶりの「友人」と呼べる人たちだった。

そして、「此処」から、今の立場を得るまでの長い話が始まります。

Previous Day Part6 -The Curtain Rises-

僅かな仲間の下で、私はかつての計画通り、自分の性能改善を開始した。

まず真っ先に手をつけられたのは、この非情に酷い有様の外見だった。

早速3万を投じて、ファッションセンスに溢れた友人と共に新しい服を購入し、

それまで着ていた服は、新しかろうが古かろうが、全てゴミに出した。


古着屋に売ったりしなかったのは、単純にその服がかっこ悪いと思った事もあるし、



----何より「大嫌いだった自分」が纏っていた物を身近に置くのは不快な事この上無かったのだ。



「カッコ悪い私は要らない、カッコ良い私だけ必要」というのが、私の今に至るまで共通する考え方だった。


そんな訳で真っ先に外見に手が入れられていった。


しかし、外面とは裏腹に、コミュニケーションの面の改善は遅々として進まなかった。

どのぐらい進まなかったかと言えば、外見20に対して内面1ぐらいの速度だった。



それは、私が「外見さえ良ければモテるし、性格もよく見られる」と思っていた事もあるし、

何より14歳前後から殆ど喋った事さえ無かったのだから、精神面での遅れは非常極まるものだった。




そのような具合から、差し詰めSFものの映画で人工知能に教育を施すが如く、

友人たちはやきもきしながらも私の「調整」を続けていった。




この時、2007年9月前後、合格の報を聞くまであと2年・・・