一心に三観を見るのですがわかりやすいよう【体】から説明します。どのような物にも姿かたちが本体、実体があれば、【相】名前が付きます。例えば私の時代は素敵なお姉さまの吉永小百合さん。すでに小百合さんには、彼女独特の性質という【性】が具わっています。それが元となって、彼女自身の【力】が生じます。多くのファンを魅了させることができる力です。 しかし持っている力ももっているだけでは眠っていたのでは、それまでの事目に見えない。 自身の努力などにより力が外に現れた時、実際に力が発揮されると、目に見える作用、働きをうみます。  これが【作】です。実際に作用という働きが発揮されると、其のことにより、当然周囲や自分にも変化をもたらします。 多くの人をひきつけたり、映画館にも足を運ばせる、もちろん、自身も飛躍してゆく。この変化をさせる元が【因】で他を変化させたことが、周囲にとって、【縁】です。ファンが彼女を変えたように、因と縁により、変化したという結果がを生じます。 これが【果】であり【報】です。因の結果を果といい縁の結果を報と言われているようです。次に【本末究竟 】です。本末の本とは、最初の相から、報いまでの全部が別々にあるわけではない,首尾一貫して、1体なのだ。彼女の場合は

映画館にまた、歌でも歴史を造った、その実績が逆に因となって、大スターとしての地位を不動ののものにする。つまり自分自身を変化させる事で、さらにルックスや性格に磨きをかける。人の姿や性格はその人の境遇によって、変化する。

十如是はお互いに深くかかわりあって,1体。

十界に十界をかけて、百界さらに十如是を×と千如になる。

 

次は三種の世間です。

吉永小百合を例にあげましたが、何も人間に限ったことだけではないという事、

 

合掌