新興宗教の幸福の科学の大川隆法が死んだようだ。 

【人を甘い言葉で誘い込み信じる者を増やすと、儲かるという文字になる】

これは、宗教だけでなく、政党や結社、商品にも言える話です。 この薬は効くよとか、私に票をいれれば、世の中が変わり、誰もが幸福になれる。今この物件を買っておけば将来儲かるとか、美味しい話はごまんと周りにある。

 

 美味しい話には疑いを一時でも持って、歩みを一時でも止めて落ち着いたら自身が信じる道を歩めばよい。 買い物でも、衝動買いでなく、本当に必要なのか?ちょっと立ち止まるだけで、詐欺や嘘から距離を置く。  有名人も使っているだけとか、そういう美味しい話は、もっとも、警戒した方が、間違いない。

 

人は元々、善悪の心(因)が備わっています。  お釈迦様にも地獄や貪りの心が備わっています。  備わっていなければ、私たち迷いの衆生の救済はできません。  やはり、縁によって、報いや結果が現在現れています。  ですから、善縁に出会え実践すれば、善果がえられる。 反対に悪師に縁すれば、悪い報いや悪果を招くことになる。 悪師は詐欺のように、美味しい話を語る。  私のいうことに、素直に従えば、お金が儲かるとか、難病でも治るとか、特に新興宗教に多い。  自民党は統一教会、創価学会そして、幸福の科学など、デタラメインチキ詐欺新興宗教屋とズブズブの関係になっている人が多い。  自分で仏陀の再誕だとか、聖者の生まれ変わりだとか、アホ霊言をまともに、信じ込まされた人は悲劇です。 その縁が子供にも報いや悪果を招くことが多い。

 

創価学会は富士門流の日興上人の教えにも違背する日蓮正宗(大石寺)から出た、デタラメ、宗教団体

ですから、悪僧や悪師に洗脳されている信者さん。 悪師や悪僧に出会うと謗法の徒ですから、苦しみ続けるでしょう。  謗法罪は正法に帰するしかない。

 

日興上人の富士門流の本山は日興上人の正墓がある現日蓮宗(総本山は身延山久遠寺)大本山北山本門寺、そして、小泉久遠寺の本山と多くのそれら末寺寺院しか正法は伝わっていません。

 前に日興→日目→日道と続いた中で大石寺の日道が残した、三師御伝からは、完全に現在の大石寺の教義は外れていて、許されるものではありません。 悪師に騙されている方の為にも、私が悪僧や悪師に騙されない文証をもって、少しお話いたします。

 

日蓮正宗というところは、法華経から外れ、釈尊から日蓮に本仏を変えてしまった、外道宗教です。  正宗の年表から今日は
1279    弘安2年    10月12日     日蓮大聖人 本門戒壇の大御本尊を建立
1282    弘安5年    9月     日蓮大聖人 日興上人に『日蓮一期弘法付嘱書』を与え、本門弘通の大導師(後継者)と定める
1282    弘安5年    10月13日     日蓮大聖人 日興上人に『身延山付嘱書』を与え、身延山久遠寺の別当(住職)と定める

 

これらの上記の嘘を今日は日興に近い教義だと思われるが、下記の書から見てゆきます。

富士一跡門徒存知事

日蓮正宗という寺院は一人血脈そして、鎌倉時代にはなかった、板に彫り込まれた本尊を戒壇本尊として、この本尊に縁しないものは、謗法だ問うような、わけのわからないことをいう集団です。

 一、聖人御在生の時、弟子六人を定むる事。(弘安五年十月 日之を定む) 
  一 日昭 弁阿闍梨 
  二 日朗 大国阿闍梨 
  三 日興 白蓮阿闍梨 
  四 日向 佐渡阿闍梨 
  五 日頂 伊予阿闍梨 
  六 日持 蓮華阿闍梨 
 此の六人の内五人と日興一人と和合せざる由緒条条の事。 

 

上記から、日興上人は宗祖が6人を定めたが自分と他の五人と和合することができなかった。

此の六人の内五人と日興一人と和合せざる由緒条条の事。 
   一、五人一同に云く、日蓮聖人の法門は天台宗なり。仍つて公所に捧ぐる状に云く「天台沙門」と云云。又云く「先師日蓮聖人・天台の余流を汲む」と云云。又云く「桓武聖代の古風を扇いで伝教大師の余流を汲み法華宗を弘めんと欲す」云云。 
 日興が云く、彼の天台・伝教所弘の法華は迹門なり。今日蓮聖人の弘宣し給う法華は本門なり。此の旨具に状に載せ畢んぬ。此の相違に依つて五人と日興と堅く以て義絶し畢んぬ。 

 

当時は比叡山は天台法華宗を名乗り大乗仏教の戒壇でした。 大聖人も門下の副将である一切年上の日昭上人も、比叡山で阿舎利号を習得していた高僧で、宗祖も比叡山から独立したわけではなく、自身も天台の坊さんだと言われてきました。  比叡山と違うところは、法華宗本門派とか日蓮派という、当時はまだ東国の田舎の法華集団で、教えは比叡山の悟る法華経から,経典通り信じる事により、仏智を得る宗祖の教えです。

 


  一、五人一同に云く、諸の神社は現当を祈らんが為なり。仍つて伊勢太神宮と二所と熊野と在在所所に参詣を企て精誠を致し二世の所望を願う。 
 日興一人云く、謗法の国をば天神地祇並びに其の国を守護するの善神捨離して留らず。故に悪鬼神、其の国土に乱入して災難を致す云云。此の相違に依つて義絶し畢んぬ 

 

前にも書きましたが、日蓮聖人の教えは神仏習合で、日本国を守る天神が念仏などの謗によって、正法が軽んじられ、諸天善神が天に逃げている。それで、疫病や地震など災害がおこる。 そんな悪鬼が潜んでいる神社には行くなと興尊は教えた、現在でも創価学会員は神社を恐れたり、祖先が祀られていた神棚まで燃やしてしまう。

 

宗祖大聖人は仏教ですから三宝を先とすれば、法華経の守護神の神社参拝は禁止されていない、他の老僧等はこの国を守護する善神を法華の行者は逃げないで呼び寄せ悪鬼を退散させることで、日本国を守ろうとしました。

 

 一、聖人の御例に順じ日興六人の弟子を定むるの事。 
 一 日目 ─┬ 
 二 日華 ─┤ 
 三 日秀 ─┼─聖人に常随給仕す。 
 四 日禅 ─┤ 
 五 日仙 ─┴ 
 六 日乗 ───聖人に値い奉らず。 

 

宗祖が少しでも早く法華経で人々が救済されるように、あえて、六人のお弟子さんを指名しました。興尊も宗祖に倣って六人を指名した。一人、血脈なんて、興尊の教えにもない。

 

日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず。唯御書の意に任せて、妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべしと。即ち御自筆の本尊是れなり。 
 一、上の如く一同に此の本尊を忽緒し奉るの間・或は曼荼羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り。或は又沽却する族も有り。此くの如く軽賤する間・多分は失せ畢んぬ。 
 日興が云く、此の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず。正像末に未だ弘通せざる本尊なり。然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り、弟子等にも付嘱すべからず。同一所に安置し奉り、六人一同に守護し奉るべし。是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋ね有らん期まで深く敬重し奉るべし。  

 

● 1279    弘安2年    10月12日     日蓮大聖人 本門戒壇の大御本尊を建立

 

正宗や、創価学会が言う戒壇の板に彫り込まれた本尊なんて、自筆の本尊ではないし、宗祖の自筆の本尊とて、広宣流布国主が認めるときまで、大事にしておきなさい。  当然、広宣流布の後は仏像本尊もありだと示唆しています。


●1282    弘安5年    9月     日蓮大聖人 日興上人に『日蓮一期弘法付嘱書』を与え、本門弘通の大導師(後継者)と定める
1282    弘安5年    10月13日     日蓮大聖人 日興上人に『身延山付嘱書』を与え、身延山久遠寺の別当(住職)と定める

 

一、本門寺を建つべき在所の事。 
 五人一同に云く、彼の天台・伝教は存生に之を用いらるるの間・直ちに寺塔を立てたもう。所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是れなり。而るに彼の本門寺に於ては先師・何れの国・何れの所とも之を定め置かれず、と。 
 爰に日興云く、凡そ勝地を選んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河国・富士山は、是れ日本第一の名山なり。 
最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由、奏聞し畢んぬ。広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時は、必ず富士山に立てらるべきなり。

 

●のような教えが宗祖から日興上人に伝えられていたのなら、興尊は富士に本門寺を建立したのは、日興曰はくではなく、宗祖の遺言だとする。 富士に本門寺を建立したかったのは、興尊の考え。

 

一、御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり。

 

興尊は宗祖の御筆の本尊を以て形木に彫無ことを嫌っていた、当然、板本尊なんて鎌倉時代には富士門流にはなかった。  不信の輩かどうかは別にして授与されて、法華経に帰依する縁ができることもある。  今だって、印刷技術が発達しているから拡大縮小も自由。 所詮。文字であろうと絵であろうと、仏像であろうと,対鏡として、自身の心の中に建立することが大切。

 

 

下記にあるように、仏像での本尊は釈尊の脇士に四菩薩像を安置すれば、本門の本尊として、日興上人は認められていた。

 

 近年以来日興所立の義を盗み取り己が義と為す輩出来する由緒条条の事。 
   一、寂仙房日澄、始め盗み取つて己が義と為す。彼の日澄は民部阿闍梨の弟子なり。仍つて甲斐国下山郷の地頭・左衛門四郎光長は聖人の御弟子なり。御遷化の後民部阿闍梨を師と為す(帰依僧なり)。 
   一、去る永仁年中・新堂を造立し一躰仏を安置するの刻み、日興が許に来臨して所立の義を難ず。聞き已つて自義と為し候処に正安二年民部阿闍梨彼の新堂並びに一躰仏を開眼供養す。爰に日澄・本師民部阿闍梨と永く義絶せしめ日興に帰伏して弟子と為る。此の仁・盗み取つて自義と為すと雖も後改悔帰伏の者なり。  
   一、去る正安年中以来・浄法房天目と云う者有り(聖人に値い奉る)。日興が義を盗み取り鎌倉に於て之を弘通す。又祖師の添加を蔑如す。 
 一、弁阿闍梨の弟子・少輔房日高、去る嘉元年中以来、日興が義を盗み取つて下総の国に於て盛んに弘通す。 
   一、伊予阿闍梨の下総国真間の堂は一躰仏なり。而るに去る年月、日興が義を盗み取つて四脇士を副う。彼の菩薩の像は宝冠形なり。 
 一、民部阿闍梨も同く四脇士を造り副う。彼の菩薩像は比丘形にして納衣を著す。又近年以来諸神に詣ずる事を留むるの由聞くなり。  一、甲斐国に肥前房日伝と云う者有り(寂日房向背の弟子なり)。日興が義を盗み取つて甲斐国に於て盛んに此の義を弘通す。是れ又四脇士を造り副う。彼の菩薩の像は身皆金色・剃髪の比丘形なり。又、神詣を留むるの由、之を聞く。 

 

一 三時弘経の次第並びに本門寺を建つべき事。

三時弘経次第
一仏法流布の次第

一正法千年流布 小乗 権大乗

一像法千年流布 法華 迹門

一末法万年流布 法華 本門

今ま末法に入つて本門を立てゝ国土を治む可き次第。

桓武天皇と伝教大師と共に迹化付属の師檀と為つて爾前を破つて迹門を立てゝ像法を利益し国土を護持する事之を図す。

迹門の寺 付属の弟子は 薬王菩薩 伝教大師。

比叡山 始成の釈迦仏 迹化垂迹の師檀 像法。

垂迹神 (天照太神八幡大菩薩) 桓武天皇。

今ま日蓮聖人は共に本化垂迹の師檀と為つて迹門を破して本門を立てゝ末法を利益し国土を治む可き之を図す。

本門の寺 付属の弟子 上行菩薩 日蓮聖人。

冨士山 久成の釈迦仏 本化垂迹の師檀 末法。

垂迹神 (天照太神八幡大菩薩) 当御代。

天照太神の勅に曰く、葦原千五百秋の瑞穂の国は是れ子孫の王たる可き地なり、宜しく就て治む可し。

孝経に云はく、先王正直の徳を行ふときんば四方の衆国皆法則に順従するなり。

興尊は宗祖を久成の釈迦仏の弟子の上行菩薩としてとらえていた。 日蓮本仏論なんて、日蓮聖人の教えからはどこにも、鎌倉時代にはなかった。創価学会信徒を含め、 法華経、違背の正宗信徒さんは、後世の悪僧、悪師に騙されての正法違背の徒。

私が残したいことは、ほとんど終わりましたから、この世に未練はあまりないが、できれば、外道の皆さんとも、異体同心でありたい。
在家ですが私に反論や質問をする人は、電話番号を示唆したうえでコメント欄で反論してください。電話などは開示はしませんが、
は掲載しませんが、荒れることは好きでないからです。 

合掌