下記は日蓮正宗大石寺の考え方です。この寺からは、創価学会、顕正会というような、過去に警察に睨まれているような、団体が生まれています。 とうぜん、下記のような考え方は、日興上人の教えからはありません。 当然、日蓮聖人の教えからも外れます。
大聖人は、自然災害をはじめ、個々の苦悩にいたる一切から、すべての人々を救うために、それらを根底からことごとく解決する教えを、まさに命をかけて弘め、弘安2(1279)年10月12日、ついに「祈りとして叶わざることなし」の、仏法の究極である「大御本尊」を顕されました。ついで日興上人を後継者の第2祖として選定し、仏法の一切を相伝して、みずから相承書にも「生涯をかけて弘めた日蓮の仏法の一切を、白蓮阿闍梨日興に付嘱をした」と明言し、弘安5年10月13日、61歳をもって入滅されました。
日興上人を後継者の第2祖として選定し、仏法の一切を相伝して、みずから相承書にも「生涯をかけて弘めた日蓮の仏法の一切を、白蓮阿闍梨日興に付嘱をした」と明言し、弘安5年10月13日、61歳をもって入滅されました。
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現在は多くの書がネットで公開されていることが多いから、上記のようにいう、団体は、悪師と思って騙されないよう、自分でしっかり真実を勉強する必要があります。 当然、創価学会の人間革命は、仏教から外れた、外道の教えで、知らないうちに罪を作ってしまう恐れがあります。 学会員の14誹謗の罪はまぬがれないでしょう。
公明党は自民党に大阪では維新にすり寄る、自分たちの利益だけしか考えない党です。 自分が与党だと少人数の議員には、国会の発言をさせません。 ここまで、日本を他国の餌食に食い荒らされているのに、国民の身を切らせて、自分たちは潤う政党議員は落選させる必要があります。大阪ではカジノに関して、大阪の人が決めると、予定より多くの人が署名しました。維新は当然、市民の要求を無視することは、できないでしょう。この場においても、公明党は維新の松井組にぶら下がるのか? 維新議員はもともと自民党で、献金は悪名高い村上ファンドから献金をうけている。 村上ファンドが儲けがないところには献金はしないでしょう。
橋下徹は、れいわの大石議員に訴訟を起こした。松井はお茶の水博士に訴訟を起こした。 訴訟をしたから、正しいのではなく、訴訟をすれば、弁護士費用などが掛かり、泣き寝入りが多くなる。 権力者がスラップ訴訟を犯すことは、おおきな罪です。 お茶の水博士は、訴訟されることで、テレビなど出演が止まりました。 れいわには、弱い立場の人が自ら声をあげます。 山本太郎の辞任で繰り上げ当選された櫛淵女性議員。 しっかりした態度で岸田総理を追求し、消費税は73%が社会保障費ではなく、法人税の減税の為の穴埋めに使われている事実をつきつけ、社会保障に消費税は必要だという嘘は言わないでいただきたい。 のらりくらり、質問に答えない総理に対して、総理にあなたは鬼だ。
大石議員も、総理は経団連や、財務省の犬とまで言われた。主権は国民です。 金権政治から打破して、主権を国民に取り戻す。
れいわの女性議員さんは、真剣です。
日蓮聖人は、早く人々が法華経の神髄の恩恵を受けられるよう、六人のお弟子さんを中心に弘教することを、遺言されてから入滅されました。
日興上人も、日蓮聖人に習って、六人、新六人とお弟子さんたちに布教の中心になることを、示しました。 現在日興上人の正墓がある、大本山北山本門寺と本山小泉久遠寺が、日蓮宗として合同されています。
大石寺は、日興上人から、日目上人に日目上人には、日尊(本山要法寺)、日郷(本山小泉久遠寺)そして、もめたようですが、大石寺を継いだのは新田家に近い日道が継ぎました。 この日道が、
日興上人御遺告、元徳四年正月十二日日道之を記す。と日興上人の遺訓を書き残しています。
三師御伝土代の書に残しています。 上記のようなことがあったのなら、当然遺訓として残っていなければなりません。 この宗派は本仏が釈迦如来ではなく、日蓮聖人を本仏としてしまう、江戸時代から教義を変えてしまった、仏教から外れた獅子身中の虫です。
一大聖人の御書は和字たるべき事
一鎌倉五人の天台沙門は謂れ無き事
一一部五種の行は時過たる事
一一躰仏の事
一天目房の方便品読む可らすと立るは大謗法の事 (方便品を読まない宗派は本門仏立宗につながっていますが、本仏は法華経本門壽量品の仏様です)
日蓮聖人の云く本地は寂光、地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首なり、久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり。
本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。
法を云へば妙法蓮華経の涌出寿量以下の十四品、本極微妙、諸仏内証、八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経なり、弘通を申せば後五百歳中末法一万年導師なり何ぞ日蓮聖人の弟子となつて拙くも天台の沙門と号せんや
※日蓮聖人は、法華経本門壽量品の本師釈迦牟尼世尊の最初の元々の弟子の地涌の大士上行菩薩だと、言われています。
一、脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事。
小乗釈迦は舎利弗目連を脇士となす権大乗迹門の釈迦は普賢文殊を脇士となす、法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす云云、一躰の小釈迦をば三蔵を修する釈迦とも申し又頭陀釈迦とも申すなり、御書に云く劣応勝応報身法身異なれども始成の辺は同しきなり、一体の仏を崇る事旁々もつて謂はれなき事なり誤まりが中の誤まりなり。
仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや、既に本尊の階級に迷う、全く末法の導師に非るかな。
※日蓮聖人は一体の釈迦像でも仏様として拝することは認めていましたが。律儀な日興上人は、釈尊像の脇士によって、格が違うとされました。釈尊の脇士が、十大弟子なら、インドに出現された仏陀釈尊、脇士が文殊菩薩や、普賢菩薩ならば、権大乗迹門の仮の仏を表す。 法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士ではなくてはならないとされたのが、日興上人です。 ですから、脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事ということです。仏像曼荼羅本尊は日興上人も認めています。
この書からも、鎌倉時代の書からは、日興がただ一人相承されたというような話はありません。
明らかの後世の偽書と言われる、
池上相承書 [別付嘱書]
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非
法の衆たるべきなり。
= 弘安五年壬午十月十三日 武州池上
日蓮在御判
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日蓮聖人は池上に着いた時には筆も持てない状態、多くの方々が見守る中で、朝に亡くなったのに、筆を持つなどありえないし、日興も以後主張されていない。
身延相承書 [総付嘱書]
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば
富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此
の状を守るべきなり。
= 弘安五年壬午九月 日 日蓮在御判
この付属書も日興上人遷化の後から偽書でしょう。
日興上人の考えに近いと思われる、
富士一跡門徒存知の事に、
一、本門寺を建つ可き在所の事。
五人一同に云く、彼の天台伝教は存生に之を用いらるるの間直に寺塔を立てたもう、所謂大唐の天台山本朝の
比叡山是なり而るに彼の本門寺に於ては先師何の国何の所とも之を定め置かれずと。
爰に日興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国富士山は是れ日本第一の名
山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由奏聞し畢んぬ、仍つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いら
るるの時は必ず富士山に立てらるべきなり。 とあります。
※ 多くの人々を布教をしてきた重須談所を富士山本門寺と名乗りここを本門の戒壇の地にしたいと願ったのは日興上人です。
身延相承書 なるものを受けていたら、日興上人は富士を戒壇の地にするのは。日蓮聖人の遺命だとします。
誰が読んでも、すぐに、デタラメ教だとすぐわかる外道の日寛が教えるインチキ本尊に、縁すれば。成仏はかなわない。捨てるのが怖いのなら、日蓮宗寺院に持ってゆけば、処分してくれる。 新興宗教の幸福の科学もナンバー2が元創価学会員。
日蓮聖人自身が自分は仏陀だとは言わない。 オームの麻原みたいなのが沢山出てくる。
題目を唱える在家教団は多いが、佛処護念会や立正佼成会ならば、おかしな宗教とは感じない。樹木希林さんが信仰されていた希心会も、問題があるとは思えない、
池田はもともと金貸しの取り立て屋、牧口、戸田は戦場に英米鬼畜の皇道思想教育を受け持った先生が、最初から法華経の道を誤っていた。縁した寺が悪だった。
公明党は福祉の党でも何でもない、平和と福祉を言うだけで、現実は日本国民を外国の草刈り場として売り払う、自分だけ利益党。
※ 日蓮と同意ならば 地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや
命に合掌
