自民、公明、維新が進めてきた、竹中平蔵が提唱する新自由主は、一言で言えば、弱肉強食、自助が基本、自己責任の世界的グローバル化の社会構造です。 世界中で一番安いところからの資材を安定購入し、資本力がある者が、買いたたき、益を得る。
奴隷のような、国民には、餌だけ与えればよいという感じでしょうね。
日本は25年もの間、ほとんど成長はしていません。実質賃金は、むしろ、年間100万円以上も下がっています。
50年前は、私の知る限り、朝から晩まで夢を追って、働き続けた。 若い方が、シニアの高齢者が悪い、働く場所がない、自分たちは被害者だと言うような、世代間を持つ方が、少なくない。不満はあると思うが、そのように国や社会に追い込んでいった、政治責任が一番だと、私には思えます。 変えるには時間はかかっても、主権は国民だ、議員を選ぶオーナーだ、嘘つきは必要ない、落選させなくては、始まりません。
日本はどちらかというと狩猟民族ではなく、農耕文化を踏襲する民族です。
大型のサメは体も大きく、強いが、数は少ない小魚は弱いが仲間同士群れをなす事で、生き抜く。 資本力で勝る大型のサメが、護送船団という日本式経済に立ち向かえなく、アメリカの資本によって、国有化から民営化し、郵政も民営化し、結局、現在の日本は大きなサメの腹の下を泳ぐだけの小判サメになっている。
シマウマが群れを成しても、ライオンに襲われるのは、年老い逃げ遅れたシマウマが仔馬や母馬をかばって、犠牲になる。
私の両親や兄は若くして、この世を去ったが、お陰様で憎まれっ子の私は未だに大病はなく、薬も必要はない。
確かに若い方の生活は大変だと知っているから、やれることは、少しでも手助けするぐらいしかありません。
婆の介護が始まるまでは、上越の限界集落で、遊んでいましたが、田舎の爺さん、婆さんたちは、食べきれないほどの野菜を動けなくなるまで耕作していました。
人間ですから、やがては、倒れる。 倒れたら、施設に入り、お世話になる。 義母は在宅で介護できましたが,診る人が、私達夫婦だけでなく、子供や孫、そして、何より、お医者さん、看護士の方の、多くのお力があってこそ、人間として、一段と成長できたと思っています。
自民党の考え方は家族を重んじる事で、勤勉で、秩序ある日本社会の再構築が主体の様ですが、多様性が求められている、現実社会においては、家族だけで子育てや介護で、看取ることなどできません。恵まれた婆の介護でしたが、多くの方々のお力によるものです。
家族を主体に重要視しすぎると、家族を殺す事にも通じてしまう。 結婚しない、少子化が逆に家族を消滅させてしまいかねない。 生活保護にしても、足りないところは公助。
家族を救うためにも公的扶助によって、家族の負担を軽減することが、幸福の社会、幸福の国。
パナソニックが週休3日を打ち出した。 お金があれば、遊び回れるが遊ぶ金までは、用意してくれない。バイトなどをするような方もいるとおもうが、ハワイで太郎芋の植え付け作業を手伝ってくれた人には、その日のホテル代は只になる事が放送されていました。
家族を連れて、田舎で田植えや、稲刈りなどをする事で、社会全体が幸せになる。
前にも話しましたが、小欲知足、限られた物をひとりじめすれば、いくらあっても足りない、皆で分け合えば、足るを知る。
日本はそのような、生活を世界に伝える義務がある。
命に合掌
