5月26日にデイに行って以降婆は体調が悪く、熱を出すなどして、車椅子で起きている時間は極端に少なくなり、ベッドで寝る時間が多くなった。  ケアマネさんにデイに通わせるのは難しいという話をしたら、明日お医者さんが来てくれるそうです。今までのデイのサービスを利用する間、私たちは、楽な介護が続けられた。  しいて言えば、家を空けるなどの旅行などが、気軽に出来なくなっただけでした。   ヤクルトやヨーグルト、こんにゃく畑のぜりーだけで、粥を食べさせると苦しがる。 これからは、看取りの介護に多分変わります。  声もか細くなっているが、認知能力は、離れた次女の家族でもリモートでも認識している。  手を出してくる、握ってあげていると、安心したように有難うの連発です。  私が25歳の時に母は若くして病で亡くなった。 その時の彼女が今の嫁さんで、私が母にあいつは少しケチなんだよと言ったら、母が、お前が、ずぼたらだといわれ、返す言葉もなかった事を思い出す。  

 

 私達夫婦は50年の金婚式を迎えます。 母とは25年でしたが、義母の婆との付き合いは50年になります。 遊びが好きで、特別家庭的に婆や妻に優しかったわけではないが、粗末にしないという事だけを心掛けてきました。 

若い時には結婚50年の時にはクイーンエリザベスで世界旅行というような事を言っていたが、前に船内を見学したら、お客さんはジジババが多く、私は乗る気がしなかった。 妻の勧めで社交ダンスも少し習ったが、女性がたくさん待っていて面倒くさくて、どうしても、好きになれなかった。  若い時からドライブが好きで、5月の連休。8月の夏休み、年末休暇といった休みが長く取れそうな時。何処へ行こうかある程度だけ考えておきます。  仕事の関係で。目途がついたら、明日の朝出かけるぞといった具合でした。 慌てて妻が支度する。 私は何もしない。

 

日本全国殆ど周りました。 昔はカーナビがなく、地図や雑誌の情報を見ながらの旅でした。道に迷うと、しっかり見ろと言い争い。 高速道も少なく、道の駅もありませんでした。 宿が取れないときは車中泊です。先に妻が寝ます。 現地の酒蔵で4合瓶のお酒と地元のつまみを肴に飲む酒が、経験した事のない田舎の良さを知ります。  パンツは休みの間分の数だけ持ってゆき、履き捨てます。   仕事が忙しく、日程が決まらないと、妻が捨てるパンツが貯まっているよの催促の声が懐かしく感じる。  義母の介護だから、妻は私に感謝してくれる。 これが母の介護ならば、夫はマザコンでだらしがないと、女性は思うのかな?

 

本来なら親の介護という経験もできなかった私の生い立ちですが、人に感謝されるという、有り難い功徳を経験できた幸せ。

 

命に合掌