一、聖人御影像の事。

 或は五人と云い、或は在家と云い、絵像・木像に図し奉る事、在在所所に其の数を知らず。而るに面面不同なり。

 爰に日興が云く、御影を図する所詮は後代に知らしめん為なり。是に付け、非に付け、有りの儘に図し奉るべきなり。之に依つて日興門徒の在家出家の輩・聖人を見奉る仁等・一同に評議して其の年月図し奉る所なり。全体異らずと雖も大概麁相に之を図す。仍つて裏に書き付けを成すなり。但し彼の面面の図像一も相似ざる中に去る正和二年日順図絵の本有り。相似の分なけれども自余の像よりも少し面影有り。而る間・後輩に是非を弁ぜしめんが為裏書に不似と之を付け置く。

 

御影を図する所詮は後代に知らしめん為なりといわれている、 法華経虚空を信じる日蓮が書き現しあなたに授与しますという年月と日蓮とあるのは、署名、花印というサイン。 しっかり記述しなさいという事でしょう。 

 

 

 

一、上の如く一同に此の本尊を忽緒し奉るの間・或は曼荼羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り。或は又沽却する族も有り。此くの如く軽賤する間・多分は失せ畢んぬ。

 日興が云く、此の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず。正像末に未だ弘通せざる本尊なり。然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り、弟子等にも付嘱すべからず。同一所に安置し奉り、六人一同に守護し奉るべし。是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋ね有らん期まで深く敬重し奉るべし。

 

日興上人は日蓮聖人から授与された本尊は子孫や弟子に渡してはいけない、六人がしっかり同一所に安置しなさい。 広宣流布の時・本化国主御尋ね有らん期まで深く敬重し奉るべし。 といわれるが、大石寺には、日蓮聖人直筆の本尊は見当たらない。 ましてや板に彫り込む本尊を日興上人は嫌ったようだ。

 残っている本尊の多くは現在日蓮宗の寺院が多い。    
http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/mandaraitiran.html
 

 

 一、日興弟子分の本尊に於ては、一一皆書き付け奉る事、誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事、最も其の恐れ有りと雖も、或は親には強盛の信心を以て之を賜うと雖も、子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も、弟子等之を捨つ。之に依つて或は以て交易し、或は以て他の為に盗まる。此くの如きの類い其れ数多なり。故に所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり。

 

この書には出てこないが、日蓮聖人から日興上人に授与された本尊が盗まれたようです。 房州の保田の寺にある万年救護本尊らしい、西山本門寺が今でも返せといわれているようです。   

 

一、御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり。

 日興の弟子分に於ては在家・出家の中に或は身命を捨て、或は疵を被り、若しは又在所を追放せられ、一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。

 本尊人数等。又追放人等。頸切られ、死を致す人等。

 

不信かどうかはわからないが、日向上人は、多くの方が参拝するのに、合わせて職人に裏文字を掘らせ、今でいう印刷技術を使い、授与者の名前を書き、開眼されてから、授与されていた。 又白の胴衣に本尊を書いてもらい、お坊さんに開眼していただき、使っていたようです。

身延山の周囲にはお土産さんが、たくさんあり、仏像や印刷された、白胴衣などが売られていますが、必ずお坊さんに開眼しなさいという事みたいです。  死出の旅に自分が信仰された胴衣を着て。安心して旅立つ喜び、そして遺族もそうしてあげたいと思う。 どうなっているかわからないが、学会は、日興の教えから外れた日寛が書いた本尊を印刷して使っている。  戒壇の板本尊は日有あたりが関係しているようだ。 

 

 

一 三時弘経の次第並びに本門寺を建つべき事。

 

日蓮本仏論を掲げる、大石寺の僧侶、そしてそこに縁された、 創価学会、法華講、顕正会は日興上人の教えにも違背する。

 

三時弘経次第

 

一仏法流布の次第

一正法千年流布 小乗 権大乗

一像法千年流布 法華 迹門

一末法万年流布 法華 本門

 

今ま末法に入つて本門を立てゝ国土を治む可き次第。

桓武天皇と伝教大師と共に迹化付属の師檀と為つて爾前を破つて迹門を立てゝ像法を利益し国土を護持する事之を図す。

 

迹門の寺 付属の弟子は 薬王菩薩 伝教大師。

比叡山 始成の釈迦仏 迹化垂迹の師檀 像法。

垂迹神 (天照太神八幡大菩薩) 桓武天皇。

今ま日蓮聖人は共に本化垂迹の師檀と為つて迹門を破して本門を立てゝ末法を利益し国土を治む可き之を図す。

本門の寺 付属の弟子 上行菩薩 日蓮聖人。

冨士山 久成の釈迦仏 本化垂迹の師檀 末法。

垂迹神 (天照太神八幡大菩薩) 当御代。

 

天照太神の勅に曰く、葦原千五百秋の瑞穂の国は是れ子孫の王たる可き地なり、宜しく就て治む可し。

孝経に云はく、先王正直の徳を行ふときんば四方の衆国皆法則に順従するなり。

 

冨士山 久成の釈迦仏 本化垂迹の師檀 末法。を捨てる輩。

 

こういうことは、池田氏も知っているはず。

 

命に合掌