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学会のブログから

日蓮聖人が、「立正安国論」で説かれた教えというのは、次の一節に明らかである。
 「倩つらつら微管びかんを傾け聊いささか経文を披ひらきたるに世皆正に背き人悉ことごとく悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞じして還りたまわず、是れを以て魔来り鬼き来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず」


 〈私の狭い見識を尽くし、経文をわずかばかり開いてみたところ、世の人びとは、皆、正法に背き、ことどとく悪法に帰している。それゆえに、守護すべき善神は、国を捨てて去ってしまい、聖人は、この地を去って他の所へ行ったまま帰ってこない。そのために、代わって魔や鬼神がやって来て、災いが起こり、難が起きているのである。実にこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなければならないことである〉
 これが「神天上の法門」といわれている教えである。
 「神天上」というのは、神が国土を捨てて天上界に去ってしまうということである。善神は、正法によって力を得、守護の働きをなすとされている。仏法が乱れ、正法が栄えない時代・社会にあっては、善神は守護の力を失って天上界に去り、代わって悪鬼・魔神が勢いを増し、国土が乱れるのである。
 「立正安国論」に示された、この「神天上の法門」は、妙法を根本とする日蓮大聖人の教えの根幹であり、この法門のうえから、日興上人は神社参詣を厳禁されていた。

 

 

其の故は鎌倉に御坐し候御弟子(日昭、日郎)は諸神此の国を守り給う尤も参詣すべく候、身延山の御弟子は堅固に守護神此の国に無き由を仰せ立てらるるの条、日蓮阿闍梨は入滅候誰に値てか実否を決すべく候と、委細に不審せられ候の間、二人の弟子の相違を定め給うべき事候。師匠は入滅候と申せども其の遺状候なり、立正安国論是れなり。

 

 私にても候わず、三代披露し給い候と申して候いしかども、尚お心中不明に候いて御帰り候い畢んぬ、是と申し候は、此の殿三島の社に参詣渡らせ給うべしと承り候いし間、夜半に出で候いて、越後房を以つて、いかに此の法門安国論の正意日蓮聖人の大願をば破し給うべき、御存知ばし渡らせおわしまさず候かと申して、永く留め進らせし事を入道殿聞こし食され候いて、民部阿闍梨に問わせ給い候いける程に、御返事申され候ける事は、守護の善神此の国を去ると申す事は、安国論の一遍にて候えども、白蓮阿闍梨外典読みに片方を読みて至極を知らざる者にて候、法華の持者参詣せば諸神も彼の社壇に来会すべし、尤も参詣すべしと申され候いけるに依つて入道殿深く此の旨を御信仰の間、日興参入して問答申すの処に、案の如く少しも違わず、民部阿闍梨の教えなりと仰せ候いしを、白蓮此の事は、はや天魔の所為なりと存知候いて少しも恐れ進らせず、いかに謗法の国を捨てて還らずとあそばして候守護神の、御弟子の民部阿闍梨参詣する毎に来会すべしと候は、師敵対七逆罪に候わずや、加様にだに候に、彼の阿闍梨を日興帰依し奉り候わば其の科日興遁れ難く覚え候

 

日興と、他のお弟子さんとは、立正安国論の考えたの相違があった。

 

どうして、諸天善神が国を守らないで天に避難していったのか、法華経違背の念仏等が蔓延った為、だから、法華経を受持している日蓮聖人のお弟子は、悪鬼が怖くて逃げ惑るのではなく、法華経守護の善神を呼び戻す。  ちなみに日蓮聖人は神社参拝を禁止していませんでした。  身延山の日蓮聖人を訪ねて来た方が、富士信仰の折、下部温泉にでも立ち寄ったついでに来たと聞いて、日蓮聖人は会いませんでした。  釈迦如来を第一にした、日蓮聖人ですから、まずは仏が先だという事です。

 

南部郷の内福士の塔供養の奉加

実長は源氏の血を引く一地頭で一族の繁栄を願って念仏に参加したのでしょう。 これを日向は許した。

 

 

此れのみならず、日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候えども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道御微力を以つて形の如く造立し奉らんと思し召し立ち候に、御用途も候わざるに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代わりに其れ程の仏を造らせ給えと教訓し参らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様には、せめて故聖人安置の仏にて候わさばさも候いなん。

 

 それも其の仏は上行等の脇士も無く始成の仏に候いき、其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ、なにのほしなさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給うべき。御力契い給わずば、御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし。いかに聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主の木像をば、最前には破し給うべきと強いて申して候いしを、軽しめたりと思し食しけるやらん、日興はかく申し候こそ聖人の御弟子として、其の跡に帰依し進らせて候甲斐に重んじ進らせたる高名と存知候は、聖人や入り替わらせ給いて候いけん、いやしくも諂曲せず、只経文の如く聖人の仰せの様に諫め進らせる者かなと自讃してこそ存知候

 

日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来といわれています。  大石寺系は守らない。

日郎が日蓮聖人が本尊とされていた、釈迦像をもっていってしまった。  そこで実長は一体の釈迦像を造ったが、ここでも上行等の四菩薩にない仏像ではダメだ、それにはお金がかかるから、子孫の内で余裕が出来るまで、日蓮聖人が書かれた文字曼荼羅を掲げなさいと教示されている。  仏像がダメだという事ではない。  

 

 

日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候を捨てて、阿弥陀を憑み奉るによつて五逆罪の人と成りて、無間地獄に堕すべきなりと申す法門にて候わずや、何を以つて聖人を信仰し進らせたりとは知るべく

 

大石系信徒さんは、悪僧、悪師に騙され、日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師を捨てている。

 

命に合掌