仏教には生き物を殺してはならないという在家の者でも守らなければならない戒律がありましたが、生き物を食することで、私たちの生命は維持されています。 お釈迦様は托鉢でいただいた肉や魚でも食べていました。 植物だって生き物です。
漁師さんが、生活の為に魚を捕り売りさばく、直接殺さなくても、魚や肉を購入すれば、同罪でしょう。 生き物は食物連鎖の中で精進されています。 百獣の王ライオンだって、逃げ遅れた年取ったシマウマを仕留めれば、仲間で食べ、お腹がいっぱいになれば、それ以上狩りをしない。残したものは、ハイエナや鳥、最後はバクテリヤに食われ、大地の肥料になる、ライオンもやがて大地に倒れ、他の為に生かす身になる。 肥料によって、草原ができ、シマウマなどの草食動物は恩恵を受ける。 要はそれぞれの動植物は皆精いっぱい生き、精進をしている。 天台宗最澄さんは大乗菩薩戒の戒壇を比叡山に許可されることを願い人力されました。 最澄さんの死後に法華経を中心にした、大乗菩薩戒の戒壇が比叡山延暦寺に置かれ天台法華宗の戒壇が出来る。 法華経からはむやみに生き物を殺すなという、小欲知足の教えです。 私たちの肉体や骨だってやがて死によって字の如く 大地に葬られる。 釣りをしても、食する分まで釣れば、それ以上要らない。 鎌倉時代に仏教の学問を求めて比叡山に上られた僧の多くは、貴族や豪族武士でしたが、一人日蓮は安房の国の漁民の子で卑しいとされる身分でしたが、学問の道に入った。
奈良の東大寺に作られた戒壇の戒は厳しく250戒とあって、帝から認められたという権力をかさに、鎌倉幕府においても、外護され、権力の利を裏でたくさん得ていた。 日蓮はこうした僧を国賊とされた。 寒い身延山にあって、体調を悪くした日蓮は体を暖める為、お酒を飲まれた飲む妙法蓮華経と唱えながら感謝していただいた。 ♪ お酒に飲まれるから、薬物と同じように、心の清浄が壊れやすい、何でも、執着をしないで、ちょっとだけよ、字の如く 女も少しだけという教えが私在家の妙法、不倫はダメよ、異性の友達は妙の教えによって、OK 禁止するから、法を破りたくなる。 他に迷惑をかけないで、明るく楽しく遊ぶ日々を過ごしましょう。 娑婆即寂光土の世界は釈迦牟尼仏そして菩薩様、そして神々たちと私たちがそのまま遊楽するところ。
寿量品 娑婆即寂光土 経典から
「私(お釈迦様)は常にこの世界にあり、不滅ですが、人々を導く手段として死んでみせたのです」と。他の国土の人々も、私を信じ敬うならば、その人々のためにも、「私は最高の教えを説くでしょう」。あなたたちはこれを信ぜず、私が死んだと思っています。私がみるところ、人々は苦しみの中にあえいでいます。だから姿を現わさず、すがる心を起こさせたのですが、今私を仰ぐ心が起こったので、こうして姿を現し教えを説くのです。
私の神通力はこのようにすばらしく、永遠の昔から、常にここ霊鷲山や、またこの世界の場所にいます。人々がこの世が終わりを迎え、種々の災害が起こると思っているときでも、私の国土は安らかで天人や人々で一杯です。その世界の花園や宮殿は、種々な宝石で飾られ、木々には多くの花や実がなり、人々はそれらを楽しんでいます。天人たちは天の楽器をならし、常に多くの音楽を演奏し、マンダラの花が、仏や人々の上に降り注いでいます。私の国土は不滅であるのに、人々はこの国土の終わりが迫って、あらゆる苦しみや悩みに溢れていると錯覚しています。
日蓮が言われる戒は法華経で書かれている通り妙法蓮華経の受持という受持成仏の一乗戒です。 それでも、戒・定・慧の涅槃経にある、教えをしっかり守っています。
命に合掌
