コロナ禍によって、長い間会社の仕事に携わり努力してきた人でさえ、会社が倒産したり、人員整理をされるような事が

当たり前のように、起きている昨今。 何のために生じて来たのか、今までの自分の努力が報われないとして、無駄だったと、人生に生きがいを感じられない人が増えている。   本当に今まで実直に勤め上げてきた努力は無駄なのか?

 

三世を説く、仏教ではそうした努力は決して無駄ではない「習気」として残るという。

今世で積み重ねた努力は「習気」として残り、来世に於いて習気は積み重ねられた努力を「思い出す」ことでスタートのハードルが低くなるそうです。

 

天才神童といわれるモーツァルトは3歳でチェンバロを弾き、5歳で作曲をしたといいいます。 前世からの積み重ねられた

前世今世の幾重も努力によってなされたのが、天才だといわれるゆえんです。  お釈迦様の前世の物語でも、命を大切にする相当の修行者の努力の話がたくさんあります。   生まれつき手先の器用な人もいる。


仏教では死んだら何もかもおしまいではありません。  


お金や財産を貯めこんでも、未来世には持ってゆけません。 物質主義になっていて、損得の得を求めすぎる社会構造に

なっている。  仏教では徳を重んじます。

 

お金は昔はお足といわれて、お金は追い求めると逃げてしまう。  得を求めすぎると、美味しい詐欺の話などに、巻き込まれ易くなる。  他の為に徳を積む、小さな努力でも良い、その努力が他からも信頼され、尊敬され、そのことが自身の生き方にも強く影響し、特別願わなくても自然と神仏の加護が受けられ、心は安らぎをもたらし、生きてきた意味を見出す力となる。 徳のある行為にお金は追いかける。  徳のある人は、お金に執着しない、お金を世に回す。

 

命に合掌