第一条、和を以って貴しと爲し忤ふこと無きを宗と爲す……。

「やわらぎをもってたうとしとなしさがふことなきをむねとなす……。」

訳文「和を大切にし人といさかいをせぬようにせよ。人にはそれぞれつきあいというものがあるが、この世に理想的な人格者というのは少ないものだ。それゆえ、とかく君主や父に従わなかったり、身近の人々と仲たがいを起こしたりする。しかし、上司と下僚がにこやかに仲むつまじく論じ合えれば、おのずから事は筋道にかない、どんな事でも成就するであろう。」

第二条、篤く三寶を敬へ、三寶とは佛と法と僧となり……。

「あつくさんぽうをうやまへ、さんぽうとはぶつとほうとそうとなり……。」

訳文「篤く仏教を信仰せよ。仏教はあらゆる生きものの最後に帰するところ、すべての国々の仰ぐ究極のよりどころである。どのような時代のどのような人々でも、この法をあがめないことがあろうか。心底からの悪人はまれであり、よく教え諭せば必ず従わせることができる。仏教に帰依しないで、どうしてよこしまな心を正すことができよう。」

 

日本は元々和という文化を大切にしてきた世界にあまりない国民です。  和の心とは何にでも馴染むという事ではないのか?  

和紙は火にも水にも馴染む。 

 

コロナ禍でゆとりがなくなり、子供から大人まで、差別心が蔓延している。  子供が学校に行っても、お父さんやお母さんが亡くなったり、いない家庭も多い。 そういう子供がいじめられる事が多いようだ。  子供のころからいじめはあったが、必ず正義感の強い子が、弱い者いじめをするなという間に入る大将みたいなのがいたように感じる。

 

今は見てもシカトの見ないふり。 穢れというのは、本来仏教にはなく神道の昔の考え方で特に女性の月の血を嫌ったりすることが始まりのようです。 疫病などもあり嫌う事は理解できるが、 消毒した遺体ならば、故意に嫌み嫌う事はない。  皆女性から生じて来たのです。  お母さんありがとう。

 

誰にもできる事、お金もかからない六波羅蜜の修行の中で 和顔施 がある。  今こそ苦しんでいる方に笑顔で支える。