https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E7%94%B0%E5%9F%8E%E8%81%96

 

終戦後、戸田は日本正学館の通信教育と出版事業に取り組む傍ら、創価教育学会を「創価学会」に改め、組織整備を開始する。前身の創価教育学会は牧口の創価教育学を中心とした教職員による集まりであったのに対し、創価学会は日蓮正宗の信仰を中心に据え広く一般人を受け入れたため、会員数は増大した。

しかし、事業経営における戦前の主力だった算術書が学習指導要領の全面改正で無意味なものになり、事態打開のために参入した雑誌も売れ行きが低迷するなど、経営は悪化。1949年(昭和24年)10月、日本正学館は倒産する。戸田は東京建設信用組合を設立し営業を始めるが、多額の負債があるために今度は大蔵省から営業停止の命令を受け、破綻。1950年(昭和25年)8月24日、戸田は、創価学会理事長を辞任する。同年10月、大蔵商事(現:日章)を設立し、顧問に就任。

1951年(昭和26年)5月3日、東京・向島常泉寺で式典を開き、後の大石寺65世法主堀米日淳臨席の下、第2代創価学会会長に就任する。

 

なるほど、大蔵商事の時に池田大作が取り立て屋のような仕事をしていたのだろう。  その資金でさらに日蓮正宗信者にすることで、さらに儲かる。  それで、軍隊まがいの出陣式を行った。 自分は天皇陛下のように白馬にまたがり、空には元加藤隼戦闘隊のパイロットがセスナで舞う、女子隊は長刀を持った者もいると言われる。  軍隊方式が効率的に洗脳しやすかったのだろう。  正宗の坊さんは、布施をしてくれるスポンサーには、一目置かざるを得なかったのか?

 

 

 

 

 

学会員同士のお金の貸し借りは禁じたようです。  裏では♪

 

いずれにしても、創価学会の幹部は、基本的に財務と言って、会員から資金集め。 気の毒に。

正宗の寺とは絶縁状態だから、会員が士気を高める場は選挙しかないという事かな?

 

それでも、聖教新聞の売り上げを伸ばす事に費やされる。 新聞を読まなくなる人が多い中、新聞社は空いた輪転機

を補うため、聖教新聞や雑誌などの印刷を受ける。  当然、新聞社にとっては、お得意様。

 

お金優先主義だから、アメリカがイラクの核疑惑の為戦争をしたが、当時の公明党幹部は、喜んでで出かけてた。

中国がチベットを蹂躙したとき、日本の仏教宗派は皆反対した。  とても、仏教とは言えない。

 

南無妙法蓮華経  学会は、ナンミョウ と発音しなければ、ダメだと教える様です。 

 

ソフトバンクの宣伝のお母さん役、樋口可南子  カナンコ ♪

 

会員の皆さん。 立正安国論です。

 

汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり

 

実乗の一善とは、法華一乗です。 法華経は一乗の教えです。   お釈迦様から離れたら、日蓮聖人の教えから外れる。

 

命に合掌