- 正見
自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること。 - 正思
自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。 - 正語
恒に真理に合った言葉使いをする事。社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。 - 正行
本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です。 - 正命
衣食住その他の生活財を正しく求める事。人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないこと。 - 正精進
自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道にそれたりしない事で、とらわれ過ぎたり偏った精進はかえって逆効果になる場合があります。 - 正念
仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。 - 正定
心の状態が真理に照らし正しい状態に定まる事。腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。
お釈迦様は、「苦」を滅する方法として八つの正しい道を解き明かしました。これが、上記にある正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の方法です。 このうち私は一番目の自己中心的な見方や、偏見をせず中道の見方をすること。さえできれば、他の7つはおおかた、気をつければ、自然と身についてくる。 三つ子の魂百までもといわれるくらい、人にはそれぞれ、もって生まれた業が備わっていて、ちょっとしたことで、出てきて、それが相手の人を傷つけたり、それが因になり縁となって、逆に仲間外れにされたり、病に陥ったり、苦のスパイラルに落ちてしまう。
特に現代人の多くは、欧米化していて、自己主張が激しい。 ネットでも誹謗中傷が後を絶たない。 自我が強く、自分が感情的になると、業がそのまま表れて、絶対に自分は正しいと思うと、相手をぶちのめすほど、追いやってしまう。 中道とは、真ん中という意味ではなく、その時々の真理の条件・立場に合った最善の方法の見方や考え方という事で法華経では妙の教えとされます。
熱中症の危険があるのに、道を歩くのにもマスクぐらいつけろと、喧嘩腰に言う人もいる。 病気でマスクがつけられない、人もいるかもしれない。 上司が大して仕事もしないのに、威張り散らし自分の数倍の給料をもらっている。 自分はこんなに働いているのにと、愚痴や嫉妬をして文句ばかりいう。 もしかしたら、上司は自分が知らないところで、お客様から、多くの受注を頂いて、会社全体に貢献しているかもしれない。
残念ながら、今の自分には、、お客様の信用がまだ足りないかもしれないと思えば、早く信用を取りたいと思って、努力することになる。
その努力がみのれば、あの時、威張り散らした上司がいたからこそ、自分は乗り越え、今幸せになっている。 威張り散らした上司さんのお陰、有難うとなれば、成仏が近い。 先の事は、わからないから、今をしっかり生きる。
命に合掌
