思いきって、思いっきり髪を切った。


毛先には苛立ちや不安や悩みをあらかじめ集めておいたから、髪を切ってスッキリした。


時間をおくとキャベツの切り口が茶色くなるみたいに、人も端部からやれていく。そう思うことにしている。


だからその端部に思いを込めて、同時に捨て去る。


髪を切られ、体の一部だったものがすぐそこにゴミとしてあることを不思議に思う。


懐かしさなんてない。あれはもう不要なものだ。

切られた髪の毛に対して冷酷でいられるので、同時に切られた悪い感情とも簡単にバイバイできる。


馬鹿げてると思うかもしれないけど、僕はいつも本気で考える。


サウナでも、汗と一緒に悪い感情を出す。言えなかった文句や、わだかまりも全部。

嫉妬とか恨みとか、誰かを貶してしまいそうな、そういう、いつの間にか飛んできた種を、熱気でデトックスする。


それ以上種が来ないように、水風呂で毛穴を引き締める。


誰も憎まずにいたい。

誰とも比べない自分でいたい。

他人を誰かと比べず、自分も誰かと比べない。


そう願って水風呂に入り、髪を切り、髭を剃る。垢を落とし、爪を切り、綺麗な自分にリセットする。



でも我々はそんな、何とも比べないような絶対的な尺度はそう持っていない。

相対的に何かと何かを比べないとよく分かんない。


前のより良いとか、

誰かよりすごい、

日本一高いタワー

売れてるとか売れてないとか


相対的であるということは、多数決や為替や株に見られる通り、民主主義で資本主義な、社会的であるということでもあるから、


この社会にいる以上、何かと比べて酷い何かをまた憎んだり否定したり、必要もなく褒めたり、すごいねって思うのだろう。まぁ、他者を褒めるのは良いことだ。けれどけなすのは良くない。つまらない、くらいで良い。


けれど今は当分大丈夫。

デザートも買ってあるし、ビールも妻が買ってきてくれていた。なんとかなる。大丈夫。