人の喋り言葉は日々微妙に変わっていくものだなあ、としみじみ感じている。前にArtist spokenでは、「ほぼほぼ」について話したりしたけど、
思った以上に周りから影響を受けて、我々の根底を支えるこの言葉の選び方は変わっていくようだ。


買った洋服のタグを切りたい時、棚の中の道具入れにハサミはしまってあるのだけど、目の前、机の上に爪切りがあるから代用しちゃえ、みたいに、言葉を借りていくのだ。



最近では、お笑い芸人千鳥の活躍によって、「〜なんよ」という語尾が散見されるようになった。なのよ、ではなく、なんよ。
千鳥以前はそんなに耳にすることもなく、目にすることはほとんどなかった。いまや岡山や広島の人でなくとも「なんよ」と言う不思議。きっとちょうど良い爪切りみたいに、必要な機能が必要な場所にあったのだ。けれど「〜じゃけん」とは言わない。そういえば千鳥もそんなに言わない。
「なんよ」はもう、ツッコミをする時の語尾として、「〜やんけ」「〜やないかい」「〜じゃねえか」を越えたのだと思う。たぶん時代に合っていて、一番優しい響きなのだ。

もうひとつ気になる言葉がある。
「それこそ」だ。おそらく前から使われていたし、僕もすぐに言ってしまうのだけど、意識した途端、誰もがそれこそそれこそ言っていて気になる。無意識に「そ」まで言ってしまって口をつぐむこともある。最近になって増えたように思うのは錯覚だと思うけど、とにかくこんなに便利な言葉はない。
人の会話は話題が飛び飛びになるが、少し前に話していたようなことを蒸し返す時、あるいは例え話として、「それこそさっき話した友達もチケット取れなかったって」などど、会話に重しを乗せることができるのだと思う。また、ちゃんと聞いていたよ、と言うメッセージにもなるのだろう。それこそ君がさっき言っていたような因果応報だよね。など。そしていつのまにか、何にもかかっていなくてもそれこそが通じている時もある。

僕も口癖はたくさんあって、たまに真似されたりして気づくけど、その人の人となりを表していて面白いなと思う。
先日はだいたいの発言に「一応」とつく仕事の担当者が気になったし、させていただきすぎる人もやはり気になる。


半田はすぐ仮説立てがち。と、妻から言われて笑った。
そしたら、「あとすぐ思う」「思いがち」と言われてさらに笑った。

そうかも。

日々何かに出会い、感性に応じて何かを思い続け、考えも喋り言葉も変わっていき、いつの間にか自分の自分らしさを獲得していくのだ。
選んで何かになるのではなく、いつのまにか特徴のある自分になっていく。
それこそ成長なんよ。