新しいことをしたい。

と、常に思う。


継続していくのも好きですが、まだやれていないことをしてみたい時、自分の心が輝いているのが分かる。


そんな私なので、

最近artistspokenなる音声コンテンツを始めました。ただボイスメモに向かって喋るだけなんだけどね、






この機会に、喋ることの「楽さ」を改めて体感しました。


同時に、文章として残すことの険しさも。



喋ったから出てくる言葉もあれば、文じゃないと出てこない思想もあったり。

それは一瞬不思議で、でも考えてみると当たり前で、頭を使うのは当然文章の方で、でも五官を使うのは喋る方で、動画なんてやっぱり一番難しいな、と改めて思う。

いや、誰かと話すのが一番頭を使うし、難しいか。



料理でも、煮るか焼くか、加熱の仕方で味が違うように、言葉にならない思いを言葉にするのは、経路によって違うのだ。



喋るからこその話に興味があれば、ぜひ聴いてみてください。べつにこのブログと同じで、意味のなさそうな話をのらりくらりとしていくだけなのだけど。


意味のなさを意味のあることに変えられるかどうかが肝だから。続けていくと思う。




近頃はより一層いろんなことを比喩として捉えている。


もともと物事は全部例え話でしかないという考えを持っているけど、


もっともっと、世の中は比喩だ。


そもそも経験を元にして例え話が成り立つのだから、

ともすると、多くの経験が豊かな人生を作るのだろうか。



やりたいことも経験してみたいことも尽きない。



でも全部は叶えられない。


読みたい本も全部は読めないし、映画も見れない。


一生ブラジルには行かないだろうし、クルーザーを買うこともないのだろう。


おそらく今抱えている抱負と展望だけで手一杯で、それ以上はきっと無理なのだ。運命の出会いでもない限り、想像を超えることに着手することは少なそうだ。


だけどもっといろんな経験をしたい。



いろんな経験をしたいのは、人生を豊かにしたいから、

人生の豊かさは、言葉では表しづらいあのワクワクと、愛おしさと、一種の哀しさでできている。


お金でも名誉でもなくて、豊かになりたい。


豪邸じゃなくていいから、風邪吹く木陰のウッドデッキでたむろして、人生と空間を肌で感じたい。

昼からビール飲みたい。

麦わら帽子にチョコモナカジャンボ、

釣りをしたあとはNETFLIX、執筆した後はCADをいじり、

SNSをたまに見ながら、

大好きな車で妻とイトーヨーカ堂に行って、帰りにミスドでチョコリングを買う。


そんな夢のありがたみを心から知れるほどの失敗と後悔を、

取り返しのつかない悔しさと、挑戦したときの動機と、分かり合えなさを、経験したい。



そして少しでも多く誰かの気持ちに共感できるように、力になれますように、

一度きりの人生だもん、手一杯で足りないのならリュックを背負うから、


まだやれていないことをやろうと思うのです