当たり前で切ない話だけれど
忘れたくなかったものを忘れてしまったときは、
後になってからしか気づけない。
思い出す、という形でしか。
忘れたくないという感情すら忘れてしまっていて、
すると必ず誰かが傷ついてしまう。
そんな簡単なことも、はっと気づくまでは覚えていない。
まあ、そんなに全てを覚えていられない。
何があったかというと、
僕は今日iPhoneを車に轢かれました。
粉々だった。
もっと言えば、
今日一番の風が吹いて雨が降った時間帯、
たまたまトラックに乗っていて、
たまたまトラックがシートを挟んでドアを閉めてしまっていて、
雨が車内に滴っていた。
僕は助手席で、
お世話になった人から電話をもらい、すこしショックを受ける内容で、
電話が切れた後がちょうど信号待ちだった。
気持ちの整理も込めて、なんとなく、ドアを開けて挟んでしまっていたシートを外した。
その時、iPhoneは道路に転がって行ったのだった。
膝の上に置いていたことを、一瞬のうちに忘れてしまっていた。
昼過ぎに撮った上野公園の寒桜の写真もブログにあげることは出来ず、
満開のヒビが入ったiPhoneの写真に代わった。
前に使っていたiPhone7のディスプレイも割れていたのだけど、新品のディスプレイが取ってあったので急いで変えて、今は電話ができるように回復したけど、すごく切ない。
電源も入らず完全に復元できないレベルの粉々だったので、僕の力ではデータの復旧は難しかった。
SIMが無事で良かった。
LINEってセキュリティ厳しいから、全然、線で繋がってくれない。いつも何かと履歴は消えてしまう。
方法はあるのだろうけど、いいタイミングかとも思う。
昔のケータイに入ってる写真を見返して、懐かしむのも悪くなかったけど、
履歴よりこの先を考える。
履歴は消えてもいい気がしている。
自分の存在意義は他人を見つめることでしか得られない。
仮にケータイなんか無くなっても、そのことだけは忘れたくない。