言うまでもなく、世の中はどんどん便利になってきました。

Uberとか本当に便利だと思うし、ホームページのWIXもすごい。その他多数。
こうやってどんどん便利になっていく風潮だから、今不便に感じるものを解決するアイディアやプログラムを思いついただけで大きなビジネスチャンスと言えます。

でも楽に向かっている一方で、生活は楽ではなくなっています。
たとえばサブスクの台頭や、スマートフォン、インターネットやジムなど、かつては必要なかったものが、便利というだけでお金がかかる時代になりました。今更言うまでもないですが。

論理的でシンプルでわかりやすいものが好まれ、
時間はあまりかけたくない、無駄なことはしたくない

それが今の時代の流行のように思うし、それを求める人が多い印象を受けます。

でも不思議です。便利なはずなのに、忙しい人ばかりな印象です。

こんなことを考えてると
ふと、鷲田清一さんのこの本を思い出します。


待つ時間に人が想いを馳せることは、とても尊い行為ではないでしょうか。

僕は何をしても遠回りだし、時間がかかってしまうタイプなので、すごくしっくりくるというか、ああやっぱり心に沁みるのは鷲田さんだよなあ、と思います。

今自分に求められていることに疑問を感じている方は是非読んでみてください。鷲田清一さんの著書はどれも名著です。読みやすさでいうと、「噛みきれない想い」かな?エッセイですし。


自分がそうだからこそ、できない人に寄り添いたい。
できる人同士で高め合うのも羨ましいけど、どうしてもそれができない。

どこかダサくいたいし、抜けていたいし、失敗したい。仮に自分が脳ある鷹だったとしても、爪は隠していたい。
それは自己防御ではなく、その状態が理想と思います。

それこそ、鷲田さんが柳宗悦を引用することがありますが、「足らざるに足るを知る」ことが、僕の理想なのだと思います。
ミロのヴィーナスも、月もおんなじです。


ぼくが作りたいものは不完全なものだし、
不便だったり、意味のないものだったりしますが、僕は意味のなさが好きです。
無駄な部分が好きです。非効率な感じも尊いと思います。

なぜなら、無駄なことをしてしまう裏には、夢や、好きという気持ちや、集中力や、情熱が隠れている気がするからです。

「意味が無い」という語は突き詰めて考えれば文字通りの意味の無さでなく、有用性が無いということを示すかと思います。
ですが、
役に立つかどうかでなく、綺麗かどうか、心が動くかどうかが、大事な瞬間もあります。

それを後からどうゆう意味があるのかと、意味づけをしていくのも必要な作業です。

例えばそれは、失敗したと思う過去があっても、捉え方はいくらでも変えられるというのと同じです。
無駄という余白、これを忘れずにいたいものです。


だから、もしもスピードを求められて生きづらさを感じている人がいるならば、

ゆっくりでいいと思うし、全部完璧にこなすつもりで肩に力入れなくていいし、
物事を正解/不正解の判断でなく、
主体的な自分軸のアリ/ナシの判断
と思うといいと思います。

誰かの正解を押し付けられても、それが自分にとってはナシなら、ナシなりの考えをまとめていけばいいと思う。
でも、他者のことはけなさないルールです。その人にとってはアリですから。認める。とにかく認めます。そのあと理解へと自分を導きます。


そして、それでも行動はするべきです。
ゆっくりでもいいので、自分のアリをやり続けるべきです。
これは僕の正解ですが、宝くじは買わない限り当たりません。


天命を待つというのは、主体的に行動することなのかと思っています。
遠回りで無駄が多かったとしても、スピードは気にせず自分を見つめて、少しずつやっていきましょう。
僕も仲間として、一緒に頑張ります。
何にせよ1番大事なのは、楽しくやっていくことですし、どうすれば楽しめるかを設計していくことと思います。
一緒に楽しいこと考えましょう。