2018春の旅 宇治 醍醐 黄檗 坂本(3/26~30)その1
数年前、実に20年ぶりに台湾を訪れて以来、台湾のお茶を飲む習慣が、我が家ではすっかり定着した。半発酵の烏龍茶であるが、発酵の度合いは低く、緑茶に近いと言えなくもない。そこで、日本のお茶はどうだろうという興味がわいてくるのは自然なことだ。
前の年、台湾で寄ったお茶屋さんの図
当然ながら狭山茶の産地であるこの地に育った俺だが、お茶は日常の飲み物。大体100グラム700円前後の茎茶を買ってくるというのが、かつての自分の家での習慣で、それ以上にいいお茶を楽しもう、という考えはこれまでなかった。
我が街、入間市の茶畑(狭山茶 池乃屋園HPより転載)
一時期、ちょっといい煎茶を買って来て、冷ましたお湯で入れる、なんてことも試みたが、長続きしなかった。狭山のいいお茶というものに巡り会っていないのか、それほどいいお茶というもの自体がないのかも実はよく分からない。静岡に行ってみると、本山、天竜や川根だのと、茶葉の産地別に特徴を説明しつつ飲ませるカフェがあるなど、狭山茶では体験したことのないものがあった。
本文中のカフェとはこの店のこと
最近、最寄りの駅近くに出来た茶のカフェで喫茶をしたが、狭山茶とともにメニューに載る「玉露」が、実は狭山茶ではなく、宇治のものだったというのがやはり残念、狭山ではそれに匹敵するお茶が作れないのか、はたまた気候その他の条件が合わないのか。
さて、そんな中、本場宇治に行き、お茶を体験するというBSの番組を見た。若い女性が宇治へ行って利き茶をし、茶の生産者に直接会って話を聞いて、どのような製法によってよいお茶が生まれてくるのかを紹介する、というものだ。しかし、出演した女性が一体誰だったかが思い出せず、単に若い女優かアナウンサー、あるいはスポーツ選手かも、という程度の記憶しかないのが情けない。
一方、春の旅といえば、どうしても琵琶湖周辺の景色が思い起こされる。初めて行ったのはもう十数年も昔になるだろうが、西の湖のほとりにテントを張って泊まった時のことが脳裏から離れない。その後に見つけた、長浜の姉川河口に広がる公園、あそこも実に快適なテン場である。
西の湖畔での写真を探ったらこの2枚が出てきた。当時はまだフィルムカメラ。2002年のことだ
そんなこんなで、春の旅行は3月末しか日程がとれないという中、桜前線が異常に早く北上している今年だから、ともかくも西に向けて出発しようということになった。
3/26(月)
仕事の都合で初日は昼過ぎからしか時間がとれず、とりあえず、昨年夏に見つけた、浜北の天竜川畔の公園にテン場を取って中継点にしよう、と出発した。週間天気予報では、晴れが続くというわけにはいかないようだが、桜前線は既に関東北部まで上がっていて、この分なら行く先々で満開の桜に出会えるだろうとの期待は膨らむ。
東名、駒門のPAでいつものように旅の生活用水を汲んでいこうと走って行くと、PAはわずかながら名古屋方面へ移動し、リニューアルされているらしい。もしや、と思ったが新しくなったPAでも、富士山の湧水は健在だった。
移設されたのは2017年のこと
昨年暮れ、初めての車検を迎える、レガシィアウトバックの車検前診断にディーラーを訪れた我々は、ひょんなことからマイナーチェンジした新車の中身を知るところとなり、あくまで参考に、と見積もりなど出してもらっているうちに、だんだん乗り換える気持ちが膨らんでいく。
この車を買うまで中古車で乗り継いできた自分たちが、まさか最初の車検前に車を買い換えるなど思ってもいなかったのだが、その気になると、車検の費用や各種オイルの交換も不要、タイヤもそろそろ交換時期になるからそれも浮く、車両の残存価値も当然上昇するしなどと、いつの間にかメリットばかりを数え上げるようになっているではないか。結局、支払総額180万円でD型のアウトバックに乗り換えることになった。
D型アウトバック。A型と格好はほとんど変わらないが、中身は大違い(写真の出典不明)
しかし、同じ車種とはいえ、さすがに3度ものマイナーチェンジを経ていると様々な違いを実感する。まず、サスペンションが以前と比べしなやかになっている。そして章湖がしきりと訴えていた、寒い時のハンドルの冷たさもヒーターがついたことで解決。静粛性も明らかに向上、何よりアイサイトに車線間中央をキープする機能が追加されたのは大きく、高速走行時の安心感はさらに向上した。加えてバック時のセンサーや、フロントや車体左側を見切るモニター、左右後ろからの車の接近を知らせる機能など、今時の車にはこんなものまでついているんだ、と驚くような変化だ。
そんなわけで、納車間もない新車での遠出は、大変気分がよろしい。
いつも旅に携行している、10Lのウォータータンクは満タン、これで当面の不安はない。新東名の森・掛川ICで降りると、ナビに現れた長福寺に行ってみることにした。
長福寺の石段を行く。まったく知らないお寺だったが、かなりの名刹
緩い坂道に付けられた参道の石段を上っていくと、道の端に石仏がいくつか佇んでいるのに出会う。それぞれなかなかにいい表情をしている。さらにいくと地蔵堂と石塔が現れた。傍らの標示には「曾我兄弟の塔」とある。どんなゆかりがこの寺にあるのか知らないが、してみるとこの塔に向き合うように建てられた地蔵堂も、曾我兄弟を供養したものと考えられる。
曾我兄弟の関係する遺跡には、旅先のあちこちで出会っている。大磯にある虎御前の寺に、さらに下に3番目の弟がいたという新潟の国上寺、今すぐに思い出せるのはその二つばかりだが、この仇討ちの逸話が、相当程度人々の共感を呼んだ様子が感じ取れる。
地蔵堂の中のお地蔵さんは優れた彫刻だったように思い出される。
寺の本堂から、さらに裏山へ上る長い石段を行くと遠州役行者堂、これが丹塗りの板壁ですっかり周囲を囲った大きなお堂だが、あるいは鞘堂の役割を果たしてでもいるのだろうか。
遠州役行者堂
境内の桜は満開、辛夷の花もまことに美しく、この季節の日本はどこへ行ってもいい。
この季節は花がいっぱい
単に中継点のテン場を目指すだけではもったいないとの思いで、とりあえず寄ってみただけの話だが、案外に楽しめる旅のスタートになった。
※この旅の2ヶ月ばかり後、伊豆半島の付け根で、曾我兄弟の仇討ちの原因となった、その父親の墓にたまたま行きあった。工藤祐経に謀殺された「河津三郎」その人の墓である。この時は、呼ばれたな、と思ったほど、本当に偶然だった。弓ヶ浜の宿と、稲取のホテルとで2泊した帰りのことだ。
これがそれ(血塚という名がつけられていたので、「墓」ということではなかったか)
2018春の旅 宇治2につづく