本屋に入った。
あてどなく。



フルカワはこういうボケーッとしたテンションの時、目に飛び込んできた文字を頭の中で好き勝手に改変するという、いささか可哀想な遊びに興じる事がある。


この時も、店頭に並んでるちょいときらびやかな本の題名を、本能に任せて片っ端からイジってみた。





「茶翁(ちゃお)」

「なかよくない」

「花とゆめと虫の死骸」

「返り血に染まったマーガレット」





‥‥‥何か思いの外ショッキングな響きになった。


途中からブランキージェットシティの曲名みたくなった。


その後、どこに向けて謝ったらいいのかわからず途方に暮れた。
今回のオハナシ、もしかしたら声優として非常に勇気のいる告白になるかもしれんのですが。





声優さんのみならず、我々くらいの世代の芸能人の中には、マンガやアニメを少年期の友とし、その時に感じたエモーションが表現活動の根幹になっているとおぼしき方が少なくありません。



が、フルカワは幼少の折より、こういった物を買い与えて貰えない家庭で育ちました。



どーもウチの親にとってマンガは「短絡的で安直な表現技法のカタマリ」であり、アニメは「ただただやかましいだけの物」であり、いずれも唾棄すべき物でしかなかった様です。ついでに言うとバラエティ番組は「下品だから」、テレビゲームは「テレビの故障の原因になるから」と、これまた微妙に飲み込み辛い理由でフルカワ家の暮らしから排除されました。





こうなるとある程度エエ年になって困るのが、知人とのマンガ話・アニメ話に全く付いて行けない事。どんなコミュニティに於いても「昔読んでたマンガやアニメのあるあるネタ」というのは鉄板のトークテーマになるのですが、フルカワはこのテの話の引き出しが全く以てエンプティなので、「何それ?」というアメトークのガンダム芸人に於ける蛍原さんの様なスタンスでしか話題に切り込めないのです。



例えば、僕らはジャンプのマンガで言うならば、ドラゴンボールやスラムダンク、幽遊白書の世代になるんだそうで。詳しい奴になると、もう少し遡って聖闘士星矢やキン肉マン、魁!男塾までフォローしてたりしまさぁね。



コレが、ワタクシゃそれらの作品の内容の殆どを知らないと来た。エピソードや作品内に出て来る固有名詞は断片的には知っているのだけれど、ドコソコのシーンのナニガシというセリフが、という次元の話になるともうお手上げ。ガンダムに出てくるメカの型番をスラスラ言っちゃう人などに対しては最早羨望すら感じます。





ある程度大人になった段階で格闘技・プロレス観戦やら美術鑑賞やらといった趣味も増えては来ましたけど、それでも自分にはアニメやマンガに定期的に目を通すという習慣が未だ無いのです。ただ職業柄そうとばかりも言っとれんので、まぁハマり方を間違えない様にボチボチ勉強はさせて頂いておりますけんどもね。



こないだは、大須賀純氏に借りた「機動戦士ガンダム」劇場版三部作のDVDをゴンヌズバーと観ました。いやー見入った見入った。これが日本人のアドレナリンを分泌させてやまぬ白い奴かとお腹いっぱいになりました。今度違う作品も観てみたいなっと。






どうでもイイ話ですが、「純氏」を変換しようとするといつも「殉死」と変換されてほんのちょっぴりブルーになります。ホンマどうでもイイ事で恐縮ですが。



嗚呼殉死、否、純氏よ。
君、死に給うことなかれ。
「今まで読んだ本の中で

一番印象に残っている一節は何ですか。」



学生の頃、こんな質問をされた事がある。


ココで有名な哲学書やらオサレカシコイ作家さんの著書からの引用やらをスラスラッと口に出来ればカッケーのだけれど、悲しいかなフルカワはお世辞にも行儀がいいとは言えないノワール小説をこよなく愛する一円野郎。ウチの本棚には「エロス本とはまた別の意味で好きな娘に読んでる事がバレたくない種の本」がドタタタターッと並ぶ。





本を読んでいて初めて鳥肌が立った経験となると、小学校低学年の頃になるのかなぁ。子供向けの豊臣秀吉の伝記の中の一節だったと思う。





貧乏な農家の子に生まれ、蜂須賀小六という野武士にスカウトされて‥‥‥という成り上がりの過程を、半ばファンタジー小説を読むかの様な心持ちで見守るフルカワ6才。


やがて彼は信長という「おわりのやんちゃなとのさまのけらい(平仮名表記がまたイイ味を出していた)」になり、持ち前の頭脳を生かしてたちまち出世していく。破竹の快進撃を続ける信長に付き従う木下藤吉郎が、次はどんな活躍を見せてくれるのか‥‥‥という期待がクライマックスに達した処で現れたのが次のくだりだった。




『おそろしい しらせが とびこんで きました。

「信長さまが ころされました。」』




この起承転結の「転」の急転っぷりたるや。
アレから20年余。本やら映画やら演劇やらの、色んな物語の色んなスペクタクルを目にしてきたが、衝撃という点では今もコレを越える物は無い。


子ども心に「ヒーロー然とした何か」の様に思っていた「サムライ」と呼ばれる人たちが、実は「只の人間」であり、さらにその中にも貧乏な人とセレブな人とがいる事もちょっとしたショックであった。彼らはヒロイックサーガの主人公などではなく、ただの雇われ軍人であったのだ。


ただ、そんな自分にとって等身大の存在である人達が、これだけドラマチックな人生を送ったのだという事実は、自分に新たな別の高揚感と「俺だって頑張ればスゴい人になれるかも知れないじゃん」という自意識(勘違い?)をもたらしてもくれた。
そういった事でこの本のこの一節、今も強烈に印象に残っておるのです。





ちなみにマンガで一番印象に残っているセリフは、G—ヒコロウ氏のマンガにあった「お前が幸せだと俺が可哀想だ!!」という一文。


ドタバタギャグの中にサラッと織り交ぜられていたセリフなんだけど、これ程までに「嫉妬」って感情のメカニズムを簡潔かつストレートに言い表した表現って他になかなか無いんじゃないでしょうか。


「名言」めいた洗練性は無いかもしれないけれど、たまにこういう妙に画期的なフレーズが発明されて来たりするから目が離せないんですよね、ギャグマンガの言語センスっちゅうヤツは。