N.Yたいむず

N.Yたいむず

好きなことを、好きって言って生きたい今日この頃

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親友から世界にひとつだけの曲を作ってもらった。

彼は今、作曲家になるベく、ニューヨークで奮闘している。
曲名は”Message" アーティストはTaichi Yamada. 

みんなに聞かせてあげたいくらい、素敵な曲。
既に今日だけでリピート30回は超してるw
自分たちの為だけに作ってくれたという想いが、メロディを通じてジンジンと伝わってくる。嬉しくて泣けてくる。

大学が一緒で、彼は音楽学科。僕は放送学科。
2人ともバスケと酒と映画・ドラマ好きということで、何てことない大学生活を過ごしていたわけだけど、今、こうやってお互い目標に向って走っている光景が、なんか面白い。あの頃は全く想像つかなかったな。

「近い将来、一緒に作品を作ろう」とここ数年話している。
そんな彼も、今、勝負どころのようだ。俺も負けないように頑張るよう。
たぶん、彼と一緒に作品を作れる日は必ず来ると思う。
確実なことなんて何一つないんだけど、この感覚は外れた試しがない。たぶん、間違いない。

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「舟を編む」を観た。
原作は発売してすぐ読んでいたけど、今回の映画はあまり観る欲が湧かなかった。
ただ近く、石井裕也監督の話を聞きに行くので、これは観ずして話など聞けんと映画館へ。

結論から言うと、原作より面白かった。
基本的に思い入れのある原作というのは、たいてい自分が抱いていたイメージと異なるので(そりゃ当たり前だ)原作を超えることはないのだけれど、今回は超えていた。
原作では曖昧にされていた時間軸を映画では丁寧に描いていて、作品の重みが増していた。一緒に辞書を作っていた先生が死んでしまった後、ソバをすすり、「間に合わなかったよ」と怒りが滲んだ一言にやられた。原作ではそこまで「泣く」感情というのは沸き上がってこなかったけれど、そういう点でもこの作品は映像になって、より辞書を作る過程における、人間の成長が心地よく伝わってきた。

そんな中、何気にパンフレットの充実具合がここ最近で一番だ!
シナリオも載ってるし(シナリオ付きはこれからもっともっと増えてほしい!!と切に願う)、様々な観点から「舟を編む」を味わうことが出来る。ページをめくるたびに違う味がする。そう、まるでスルメのようだ。あぁ、食べたくなってきたぞ・・・。
その中で気になったインタビューがあった。撮影の藤沢さんの記事だ。

(フィルムとデジタルの違いの話で~)
「映画って現場で作られるものだと僕は思ってるし、それを貫き通したいと思っています。デジタルになると監督もモニターしか見てないし、極端に言えば何でもベタな光で撮っておいて後で直せばいいと考える人たちもいて、お互いの信頼関係がどんどん薄れてきてる気がするんですよ。新しいものを使うのもいいんだけど、そこにはちゃんと映画を作りたいって思いをスタッフひとりひとり、現場で悩んで作っていくことがね、僕は映画作りの醍醐味だと思ってるんですけどね。辞書作りと同じですよ」

なんか僕は、不意打ちをくらったように背筋が伸びる思いがした。
一番気になったのは「お互いの信頼関係がどんどん薄れてきてる」という点。直感的に「あぁ、なるほど」と思ってしまった。別にモニターを見ることは悪いことじゃないと僕は思うし、色んなタイプの監督がいるから一概に何が良いか悪いかなんて言えない。
現に僕自身も、やはりモニターに頼ってしまう部分が多かった。

けど、確かに、確かに、そうかもしれない。
本来、昔からフィルムでやってきた人たちは、モニターがないから必然的にカメラの脇から芝居を見る事になる。よって画のサイズ感など、カメラマンに任せる事が多かった。勿論ファインダー越しに確認する事は多々あっただろうけど、藤沢さんの言う様に「任せる」という信頼関係は希薄になっているのかもしれない。特に、今の僕らの時代、そしてこれからの時代はより、機材に頼って依存してしまうかもしれない。

「自分にとって大事な物事を任せる」ということは、僕からするととても勇気のいる事であり、それは信頼関係がなければ決して生まれないと思う。
だからこそ、意識してチャレンジしてみたい(そのレベルになったら)。
やはり、そこには「編集で何とかなるんじゃなくて、現場が全てだ」と思うしね。

だからこそ、ひとりひとりが悩まなきゃね。
うんうん、そんなチームでやりたいね。
いやいや、自分がそんなチームを作れるようにしないとね。

まだまだ、理想に現実が追いつかないけどね。

これはもはや、人生論か。何にでも言えるかもしれない。

そんな事をパンフ片手にビールを飲みながら考えていた。

とにかく、もっと撮りたいっす。

なんかわかんないけど悔しい。クソッ。

石井監督の話が楽しみじゃ!クソッ!クワッ!!

MA(音調整)が終了。
これにて自分の演出した回は全て終了。
あぁ、寂しい。。。

編集は何回やっても面白い。編集を言い換えるのであれば「料理」。
もちろん撮影現場が楽しい事は言うまでもないが、編集の面白さといったら。
編集の時、いつも「あぁ、ああいう芝居にしておけばよかった」「このアングルにカメラをかまえればよかった」「こんな小道具使ってたらどうなってたんだろ」などと、思い返すことは多々。まだまだ甘い。うるせー。
もっと撮影段階から計算していれば面白くなる事もある。

が、しかしそれだけが全てではない。
考えに考え抜いた末に臨んだ戦いの現場。そこには予期せぬ出来事も多い。
天候。役者のコンディション。美術品の善し悪し。
色んな条件の中から、その時のベストを切り抜いていくのが現場。いわば「狩り」。
だから、計算しつくされたもの以上が出て来ると、心が震える。

そんな事を思い返しながら編集に臨むのだけれど、本当にいつも思うのは一つの作品に一体どれだけの人数が関っているかということ。細かいことを言うと100人は余裕で超えている。
メインは30人くらいだとしても、本当に色んな人の力が結集されて一つの作品へと磨き上げられる。

いつもそんなことを編集の時に思ってしまう。
大の大人が、傍目から見ればくだらないことをあーだこーだ言い合っている瞬間。
僕は凄く「生きている」実感を得る事が出来る。

だから、それが終わる瞬間が切ない。編集の終わりは切ない。作品が誕生する喜びと、もう手を触れることができない切なさ。

早く、次の作品を監督したい。
もっと芝居を撮りたい。
もっと編集をしたい。

もっと、もっと、もっと。

撮り続けなければわからないことが、必ずあるはずだから。

「青春とはその期間のことを言うのではなく、その様相を言う」というのは、本当だと思う、今日この頃。


最近、やっと撮影が落ち着いて編集作業の日々。
今回、連続ドラマの2本を演出させてもらって、あるワードが頭から離れない。

「選択」と「時間」

この二つが今回でビッチリとコベリついた気がする。対ドラマだけという訳ではなく、全般的な意味で。
特に「選択」という事に関して、非常に敏感になった。「何かを選ぶ」ということは「何かを捨てる」という事であって、そこには時間もつきまとう。何かを得れば、何かを失う、そんなサイクルで世の中回っているのだと、当たり前のような事を考え出した。

そんな中、最近、映画館にあまり行かなくなった。
今までは映画館をはしごして、多い時では一日3、4本観ていたのに。
ただ別に映画が嫌いになった訳じゃない。むしろ逆で。
というのも今まで好きな監督、脚本、役者、という感覚で映画を観てきて、
ふと去年くらいからいわゆる「名作」と言われる映画をあまり観ていない事に気付いた。映画が好きなのに、いつか映画を作るのに、その古典という歴史を知らないというのはどうなんだろうと。

そこで、まずは洋画からということでグリフィスから始まり、映画の創世記から順々に観ている。これがまた面白い。昔からやられている事が、今に脈々とつながっている事も目から鱗だし、何より今観ても全然古くない(作品によってだけど)。
今まで漠然と観てきた映画たちが、少しずつ一本の道になっていく。

つまり新しく公開する映画を観ないかわりに(どうしても観たいのは観る!)「過去の名作」を観ることを選択している。
何故なら僕には時間がないからだ。死ぬまでに一体、あと何本の映画を観る事ができるんだろう。恐らくそんなに多くない。全てを観ることは間違いなく不可能。だったら、一本でも多く、良い作品を観たいと思う。

それは映画だけじゃない。
食べ物だって、本だって、旅だって、飲み会だって、舞台だって、音楽だって、恋愛だって、何かを選択したら、何かをしないことになるんだから。選択の連続。限りある時間の中で思いっきり楽しみたい。時間があるからこそ、選択しなくちゃいけない。

だから選択することは楽しい。でも実は選択はあまり重要じゃなくて、むしろ選択した後にどう動くかが重要な気がする。だから、保留はしたくない。

トリュフォーの「アメリカの夜」じゃないけど、監督という職業はまさに「選択の連続」なので、そんな事をふと考えてしまった。また演出できるように頑張ろう。

ということで、今週からビリーワイルダー週間なのだ!先は長い!

そして仕事もしたい、本も読みたい、飲み会にも行きたい!

演出した回の編集も楽しみだし、早くお茶の間に届けたいZ!!

やっと観れたぜ映画「その夜の侍」。
シャンプーハットの舞台は好きでよく見に行っていたので楽しみにしてた一作。
面白す。非日常と思いきや、ふと考えると誰にでも起こりうる危うさをみんな持っている。ドロドロの格闘シーンの「みっともなさ」って、きっと誰しもが持ち合わせている。しかし安藤サクラ、もってってたな~。あの孤独感。
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非日常シリーズとしてルイス・ブニュエル週間。
やっとこヒッチコック卒業~
ルイス・ブニュエル
「アンダルシアの犬」「忘れられた人々」「昼顔」「自由の幻想」。
忘れられた人々のような社会派な映画も面白い。今観ても、時代の違いを超えてすんなりと入ってくる。古典を観ていて面白いのは、やはり普遍的な感覚というのは今観ても全く色あせていないということ。むしろ新鮮な感覚すらある。
自由の幻想、何の変哲もない風景写真を見て「ヒワイだ!」と言う夫婦。癌を宣告された患者にタバコを吸うかと勧め平手うちされる医者。死刑判決が出て何故か裁判所を出てくると国民的スターになる殺人者。どれも非日常で違和感があるのに、その違和感が心地よくなってしまうシュールな麻薬的感覚。クソ、なんなんだ!もっと狂わしてくれ!
頭の中を撹乱され続けることの楽しさを味わえる。ごちそう様でした。

そんなこんなでもう年の瀬。やばい!
まだシメのモツ鍋食べてない!このままじゃ締まらない!

なんて事を思ってたら地震発生。東北大丈夫か・・・。
テレビ局各社、一斉に地震速報。慌ただしくなる社内。
しかしテレ東は唯一コロッケ(ものまね)特集を続行。
揺るがない信念。
課外活動週間。

映画
「アルゴ」「黄金を抱いて翔べ」「終の信託」「北のカナリアたち」
舞台
「行方不明(劇団ブラジル)」「上海ローズ(SET)」

アルゴ面白かったな。アメリカはいちいちスケールが大きい。歴史を振り返るだけで、なぜあんなスケールの国が出来たのか明白。
北のカナリアたちが予想以上にヒット。自分が書きたいテーマのヒントも得られた気がして収穫があった。しかし、みんないい芝居してたなぁ。森山君も、あおいちゃんも、そして石橋さんもw
石橋さんの人情を表現する小さな演出、芝居とてもよかった。あの限られた少ないシーンで、石橋さん演じる刑事がクライマックスへと導くための伏線。うまいなぁ。
子役も、相当オーディションを重ねたのだろう。子供時代からの成長が、大人時代へと堅実に繋がっている。ただ、松田龍平だけは、どうなんだw?あんなスマートになっちゃうもん?と思いつつも、回想が物語の軸なだけに、とても興味深かった。

舞台もいいもん観れたな。ブラジルは前回公演があまりにもよかっただけに、今回はなかなか込み入った内容。相変わらず音の演出がうまい。
ご招待頂いてから、何気に常連客となりつつあるSET。公演終了後、楽屋に挨拶。
昔、まだ僕がドラマの現場に入りたての頃、SETに入団し撮影現場で一緒に仕事をした俳優さんと再会。あんなにひょろっとしてたのに、なんかすごい見違えたな。アクションガンガンやっててさ、体も大きくなって。
時が経っているな、と改めて痛感。切磋琢磨やな。
今週は映画「その夜の侍」を観れれば、MANZOKUだぜ!

美穂さん、ありがとうございました!
最近、観たい映画が目白押し。
「北のカナリアたち」「黄金を抱いて翔べ」「のぼうの城」「終の信託」「アルゴ」。
本編で集中するために、マックのてりやきセットとコーラで予告を楽しむ至福の時。
早く観ないとおわってまう・・・。

といいつつ日々、クラシック週間。
ヒッチコックに突入。

一発目として「三十九夜」。車の中からそのまま外へカメラが出て車が去るカットが印象的。
ルノワールの「ゲームの規則」もそうだが、さりげない長まわしの1カットの巧みさは、今みても健在やなぁ。理想的なのは、本当に何も気にせずに芝居だけを見れてしまうもの。
「裏窓」をもう一度見直してみよう。

北野武原作の「教祖誕生」のシュールさ、毒っ気に感動。
レオ・マッケリーの「めぐり逢い」ラストに涙。


クラシック週間。

近頃は新作を我慢?しつつ、もっぱらクラシックを見直している。
やっと、マッケリーまできた。
まだまだ先は長い。ん~なんて幸せ。
「我が道を往く」の老神父と新任神父の芝居の掛け合い、とても心くすぐられる。
なんつっても七面鳥を食べるシーン最高。
絶妙な空気感といい、くすくす笑っちゃう間がたまらない。
あのシーンは二人の性格を非常に効果的に表している。うまいなぁ。
最後にパンをとるあたりの、可愛らしさと見え隠れする本能がたまらない。

ラストシーン、45年ぶりに母と再会した時、老神父は子供になっていた。
背中が丸まってしまい、よぼよぼの母の胸に飛び込んで行く。
まさに、人はいつまでも子供なのだ。
どんなに歳を重ねようと、人は誰かの子なのである。

最後に見終わった時、いつもどこかほっこり温かくしてくれるマッケリー。
一つ一つの台詞、芝居の積み重ねが、結果として作品になっていく。
こういう派手さのない映画ほど、演出の力が問われるというもんだ。
芝居がよけりゃ、カットなんて割る必要なんてねー!と、声を大にして言いたい。
でも、ほんとに見れちゃうんだよね。テレビになると、ちょっと話は別だけど。

「真に伝えたい事は別れの後に気付くものだ」

こんな台詞、いつか書けるような人間になりたいもんです。


これは俺にしか作れない映画だ、俺にしか出来ないんだという思いが大事。今の日本映画はTV局が大きな予算組んでCMバンバン流してね。それで癌で死ぬ人なんかを主人公にして、悲しい音楽を流してお涙頂戴をやっている。そんな作品ばかり。志がないですよ。癌になったら死ぬんだよ 笑 (若松孝二)

俳優・大滝秀治さんが亡くなられた。衝撃。
また一人、逝かれてしまった。
会社で先輩の監督に言われて初めて気づき、PCの陰に隠れながら心の底でテンパりまくっていた。

大滝さんの芝居はいつも映画で観ていた。いつかお仕事をさせてもらいたいと思っていたが、叶わなかった。
「あにいもうと」「マルサの女」の大滝さん好きだったな。クセのある台詞まわし、好きだったなぁ。あの空気は大滝さんしか出せない。この前見たプロフェッショナルの高倉健さんの回で、映画「あなたに」の撮影現場が映ってて、大滝さんとのからみが、もうなんかもの凄い張りつめた空気バリバリっす!という雰囲気。ケツの穴にビンビン伝わってきた。あの現場に心から行きたいと思った。あの現場にいけるなら弁当係でも何でもいい。何でもやる。そんな想いが駆け巡るという程、素敵な現場だったんじゃないか。遺作となってしまったこの映画を絶対にスクリーンで観なきゃいけない衝動にかられる。

そんなん言ったら、緒方拳さんの現場だってそうだったと思い出す。
亡くなられる前にやっていた倉本聰ドラマ「風のガーデン」。その頃僕は入社したてのぺーぺー。でも何としてでも緒方さんに会いたかったかったから、スタッフでもないのに本読みに強引に潜り込んだ。運よくドア開け係の仕事をゲットし、何食わぬ顔で来る俳優に挨拶をしていた。そこへ颯爽とやってきたのは、緒方さんだった。しかし肝心な時に、あまりにも感動しすぎて「おふぁよござまっす」(「おはようございます」と言いたかった)のような、挨拶なんだか奇声なんだかよくわからない言葉を発していた。オージーザス!!シット!!がんばれ俺!!
本読みでも衝撃。緒方さんはボソボソっとしか台詞を発さない。声のトーンも平坦。なのに、なのに、なのに感情が痛いほど伝わってくる。何故なんだ、すごすぎるよ・・・。4年経った今でも、その時の夢を見ている様な感覚は、はっきりと覚えている。
そして東京近辺で撮影している時は、仕事をごまかして見学しに行った。

大滝さんの訃報を知り、ふと、そんな事を思い出した。

そんな名優たちが、ひとり、またひとりといなくなっていく。
自分が演出を志し、いつかは仕事をさせてもらいたいと思っている名優が、また一人。焦る。早く勝負できるフィールドまでいかにゃ。ちくしょう。高望みだなんて思ってない。

また、悔しい思いをしないように、がんばろ。
早くそのフィールドまでいかなくっちゃ。