夢ハピ☆ブログ♪

夢ハピ☆ブログ♪

家族、学び、自己成長の日々・・息子2人と娘1人、只今子育て真っ最中の3人の子持ちママです。子育てに励みながらも、両立しながら、キャリアアップ実現の夢を叶えるべく、日々邁進していくことを目標にしています。

Amebaでブログを始めよう!
3日、3ヶ月、3年。

キャリアの上で、節目となる時期。

今、ちょうど3ヶ月目になる。

先日、職場でパワハラにさらされることになる。

以外にも40代女性社員って、一番、パワハラが多いんだとか。

4月に何も内部事情を知らずに入ったので、仕方がないのだが。

一番の根幹は、自分のポジションは採算上、不要だということ。

つまり、与えられないのか、仕事がない。

同じ業界の現場で慣れた人でも、一人前になるには3年はかかるというから、簡単に仕事を任されないのは分かるが。

忙しいといいながら、私が仕事が出来ないのをいいことに、上司は、私に仕事を与えようとはしない。

私は今まで、貧乏症なことに、忙しい現場で働いてきた。

ぼーっとしている状況に耐えられないのだ。

というより、私が現役で働いて、色んな人をみて、色んなキャリアを積んで、って出来る時間はあとどのくらい?って考えると、とても時間が無駄なのだ。

社員で、今の場所で仕事がなければ、他の関連の場所で人が足りなければ、応援にいけるが、その手配を自分勝手にする訳にはいかない。

所属、配属というのが、決まっている限り。

こういう職場は辞めるべきなのか、考えてしまうが。

暇を上手に見繕い、いとも思わず、上司のパワハラも、知らぬが仏で迎えうち、雑草魂と心臓に毛を生やすことができる人ならば、居れるのだろう。

しかし、自分には年齢的に限界がやってきた。

こういうことを覚悟で、契約社員として現場をかえて、キャリアを積んでいくのも、1つの方法かもしれない。

なにも社員でいるだけが、待遇良しの全てではないような気がしている。

特に、就学前から小学校の子どもがいる母は余計にだ。

特に小学校までは、習い事の件やPTA役員の件。

中学、高校では、進路の件など、親子で取り組まなければならないこともある。

そんな時にキャリアと両立することも考えていかなければならないし。

社員で、有休や特別休暇の充実と、ボーナスなど月給の安定など、お金をとるのか、

自宅に近い非常勤(契約社員やパート)で、1日の子どもとの時間や自分の(通院するなど)健康と、(遅番夜勤がない現場などで)転勤なし、(非常勤で現場を選んで積むなど)自由度の高い前向きなキャリアをとるのか、

共働きの妻が働くにあたり、何がよくて、何が不利なのか、考えさせられてしまう今日この頃である。
もうすぐ夏休み。

早いものです。

今年は、中学入学と小学入学が重なり、どうなるかと思いきや。

子どもたちは、子どもたちのペースで、のびのびと日々を過ごしています。

中学の息子は、陸上部に入り、週末ごとに記録会や練習が。平日は、ゲームが止まりません。これは、イカンのですが。

小学入学した娘は、働いている私の都合で、夜7時まで学童に延長でいるのがほとんど。
でも、市内で1、2位を争う治安と環境の良さのおかげで、思いのほか、学童に行くのを嫌がらずに行っています。

娘は、土曜日、隔週で、バレエとピアノを続けています。
学校も近所の一年生と仲よく並んで3人、通学していくところを陰から目撃。
安心しました。

上の息子は、指定校推薦入試狙いで、大学受験の予定。
水曜と土曜か日曜に個別指導塾に通い、夏休みも学校で数学の補講があるようです。

進学組が夏休みで、部活を終える中、今更、軟式野球部に入部届。

クジ運悪く、あたった強豪校対戦に備えるためだとか。
小学校で少しやっていた少年野球が、こんなところで買われるとは、頑張ってきた甲斐があったものだ。頑張ってほしい。

今年度は、PTA役員の割り当てはなし。
小学校は嫌でも何かしら回ってくるが。

いつやろうか?
働いていると、考えてしまう。
父が亡くなり、母が1人になったので、父の三回忌が終わり、関西の私か妹一家の近くに、引越してきました。

3月に引越してきましたが、当初は、家を売るのと、引越すのと、寒がりで病気持ち(肝臓がん)なのとで、大変でした。

こちらに来てまもない頃は、母に認知症のような症状が出て、戸建てから、アパート暮らしになったので、自分の家に帰れない状況になり、4月から働きに出れるのだろうか、不安でした。

田舎に長らく戸建てに住み、親しい友人もいたからか、こちらに来たのが一年早かった、しまった向こうやったら、こんな私ではなかった、とボヤく母。

肝臓がんで、開腹手術を2回経て、年齢として、後期高齢者一歩手前。

カテーテル手術治療を経て、余命を生きています。

人は気を遣って心配をしてくれますが、私は、親族の誰より母が先にあの世に逝くものと覚悟していましたから、ここまで生き延びてくれて、感謝しています。

おかげさまで、元の母が戻り、今は元気に、私が遅い時は、娘の学童のお迎えにも行ってくれたりして、助かっています。