yusurameさんのブログ
Amebaでブログを始めよう!

武家屋敷に特攻記念館と、少し時間を取り過ぎた為、

昼食はコンビニのパンかおにぎりでさっと済ませようということになった。

 

早速コンビニを見つけたので入る。

さすが地方のコンビニは駐車場が広い。

 

乗用車なら何十台も停められるような、

広い敷地を持ったコンビニだった。

 

お昼ご飯を購入後にバイクに戻ると、

私たちのバイクのすぐ隣に原付が2台停まっていた。

 

広い敷地の駐車場で他に駐車している車はほとんどなく、

且つ私たちが駐車している場所は少し店から離れた場所だった。

 

なんでわざわざ、私らの隣に停める必要があるのか、

そこにしか停める場所が無かったというわけでもないのに何故?

とは思ったが構わず私たちはバイクを机代わりに昼食を始めた。

 

しばらくすると、コンビニに行っていたらしい、その原付の主が戻ってきた。

 

その主とは制服を着た女子高生2人組だった。

 

制服で原付を乗り回している、

と聞くといわゆる『ヤンキー』を想像しがちだが、

ヤンキーではなかった。

 

どこにでもいるようなごく普通の、

こういう言い回しをすると語弊があるかもしれないが、

純朴な『田舎の高校生』という感じだった。

 

地方では公共交通機関での通学が困難な場合がある。

利用できる路線が無かったり、例えあったとしても一日に数本しかなかったり、

などの理由で原付での通学を認めている高校がある。

 

なので、平日の夕方頃に地方都市をバイクで走ると、

学校帰りらしき制服を着た高校生の原付とすれ違うことがたまにある。

 

彼女らはその類の高校生らしかった。

 

てっきりコンビニで様を済ませた女子高生らは直ぐに立ち去るかと思いきや、

その原付の場所で何やらだべり始めたのである。

 

私らがモグモグタイムをしている傍で、お構いなしにだべり続ける。

学校のたわい無い話をしていたように記憶している。

 

広い駐車場の中で仲良く並ぶ4台のバイク。

 

その光景をもし遠くから見た人がいたとしたら、

まるで私らとその原付女子高生らが仲間のように見え、

尚且つ談笑している様に見えたかもしれない。

 

その時の私は「なんだこの子らは」と思いながらも、

さっさと昼食を済ませ、その場を後にしたのだが、

後日ふとその時のことを思い返すに、

 

女子高生にしてみれば、普段学校帰りに毎日寄るコンビニに、

見知らぬ京都ナンバーの中型バイクが、しかも旅の大荷物を載せて2台も停まっている、

それは興味深いことであり、故に傍に停めて、そしてできることなら話をしてみたい、

そんな思いだったのかもしれない。

 

用もない感じだったのにいつまでも立ち去らなかったのは、

自分らから話しかけるのは恥ずかしく、

私らから話かけてくれるのを待っていたのかもなぁ、

などと想像してみたりもするが、今となっては分からない。

 

中型バイクを乗るようになって21年以上になり、色々想い出がある中で、

会話こそ無かったが、この鹿児島で出会った女子高生のことを、

今でも印象深く覚えている。

 

さて、話を旅に戻そう。

 

 

バイクは間もなく薩摩富士とも言われる、開聞岳の側を通る。

 

 

手短に記念撮影なども済ませ、私たちは先へと進んだ。

 

武家屋敷を出発してからほどなくして、知覧特攻平和会館に到着する。

 

ここ知覧は先の太平洋戦争末期において、

特攻隊の基地があったところである。

 

記録のある陸軍からの総出撃者1036名の内、

全体の4割ほどにあたる439名もの未来ある若者が、

不帰不還の使命を帯びてこの知覧より飛び立った。

 

平和会館には、写真、遺書など約4500点が展示されていて、

そして彼らの遺影などが展示されている。

 

先を急いでいた為にさっと見学する予定だったが、

じっくりと見てしまった。

 

悲しい、そして辛い。

 

遺書にしたためられた内容を読むに至り、

表向きには「お国の為」とあっても、

その行間には、故郷への思い、

家族への思い、そして母への思いが滲み出ていて、

見ていていたたまれなくなった。

 

話で伝え知っていたりテレビの映像で見たことがあったものだとしても、

やはり本物の遺書を目の当たりにすると、

そこから受ける衝撃は計り知れない。

 

今はすっかり平和になったこの日本だが、

昔一体何があったのか、どのような経緯の元に今の平和があるのか、

それを知り、そして理解するきっかけとして、

一生に一度は是非訪れて欲しい場所である。

 

 

館の前の植木は、よく見ると戦闘機の形に剪定されていました。

 

 

最後に復元された三角兵舎を見学して、

私たち一行は平和会館をあとにした。

 

知覧の武家屋敷に立ち寄る。

全国各地には小京都呼ばれるところが多々あるが、

ここも鹿児島の小京都と呼ばれているらしい。

 

 

 

270余年前からの姿を今に留めている武家屋敷跡。

 

昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され

地区内の7つの庭園が国の名勝に指定されているそう。

 

庭園のことはあまり詳しくはありませんが、

そんな素人目にみても見事な庭園だと思います。

通りも良いですね、

道の向こうからお武家様が歩いてやって来そうです。

 

反り立つ緑の壁w

剪定も大変そうです。

 

総じて良いところでした、鹿児島観光の際は候補の一つに。

薩摩半島の内陸部にあります。

 

さて、今日の目的地はまだまだ先、

武家屋敷の見学を早々に済ませて、出発します。

 

バイク旅は車の旅とは違い、

シートに荷物を積載しなければならない。

 

なので、船から下船して直ぐに出発、

という訳にはいかず、まずは下船後停車し、

乗船中に船内に持ち込んでいたリュックなどの荷物を、

シートの上へと、伸びる素材のネットなどを用い積載する。

 

さて、話が前後したが、

船は予定通り、宮崎港へと到着し、

荷物の積載を終えた私たち一行は、

今日最初の目的地、鹿児島の知覧へと向けて出発した。

 

時刻は9時過ぎ。

写真からも分かるように、天気は上々。

9月9日のこの時期故に、今日は暑くなりそうである。

 

 

順調に走り始めて2時間あまり、

鹿児島の国分インターチェンジから高速道路に入ろうかというところで、

前方に桜島の姿を確認。

 

思わず、バイクを止めて記念撮影。

車旅なら、路肩に停めるのをためらうような場所でも、

バイクなら気軽に停めることができる、これもバイク旅の醍醐味。

 

九州自動車道に入り、鹿児島湾を左回りに走行。

 

 

途中、桜島サービスエリアで休憩後、

その後は一路、知覧を目指し我々一行は先を急いだ。

 

ブログを読み返していて、

2013年の2月17日のブログ、

「あけまして?あけてまして?」から、

ずっと止まっていたある連載記事を思い出しました。

 

旅の予感。 

旅1日目 京田辺~大阪南港 

I'm On It! 

~ 二章 船 ~

あけまして? あけてまして? 

 

 

でも、これがやるんだなぁ、これがw