その場しのぎ | 平安寺ゆうすけのブログ

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日々日常の戯言をひとつ。

平安寺です。

その場しのぎで言葉を発するのはとても怖いことだなと再認識しました。

それは、ポジティブな事だとしても、ネガティヴな事だとしても。

そこから逃げたくて、その場しのぎで発する言葉。

目の前の人を喜ばせたくて、その場しのぎで発する言葉。

どちらも危険。

発した言葉は取り消せない。

発した瞬間から「責任」が生まれると思う。

自分から出た言葉は、心が入っていようが、入っていなかろうが、相手の耳に届き、心に届くともう戻ってはこない。

届いた瞬間から自分の手元は離れ、受け取った相手の解釈に委ねられる。

だから、言葉は「選」ばないといけないし、「伝える方法」をたくさん知っておかなきゃいけないと思う。




何度も何度もその「言葉」で人を傷つけて、反省し、学び、今でも失敗しながら少しずつ成長してる。

他人に何を言われようと、どんなアドバイスをもらおうと、やっぱり結局最後は自分で考え、自分で経験して、自分で傷つけて、反省して、学ばないと何も変わらない。

変われない。

いくら凄いトレーナーについてもらって練習しても、試合に出て、実際に戦うのは自分。

他人のせいにして逃げてちゃ、いつまでたっても辛いのは自分。




油断すればすぐ見失う自分。

情けない話だけど、、


「今おれは逃げていないか?」


そう確認しながら、そう向き合いながら、今日も誰かとコミュニケーションを取る。

だって、一人で生きてなんて行けないもん。

もっともっと自由に、もっともっと自分らしく生きるために努力する。

何もしないで何でもできる奴なんていないんだから、そんな架空のヒーローみたい奴羨んでも時間の無駄。

だから、時に「攻め」、時に「守り」時に「逃げ」る。

おれは残念ながら「逃げ」の中から何かを得たことはなかった。

人によっては得るものがあるんだろう。

でも、おれの逃げ方では得るものはない。

だからなるべく逃げたくないんだけど、攻める価値も守る価値もない場合、逃げる。

だから、何も得られない。

だから、なるべく逃げたくない。

でも、無駄に戦いたくもないから、必要ない時は逃げる。

ということは、おれの中での「逃げる」は「必要がないから」という事になる。

それが正解とかじゃなくて、今のおれはそこに行き着いて、それを信じてる。

でもそれって、おれが経験して、学んだこと。


そう、、「おれ」が。











お節介なんだよな、、そもそもおれは。笑

好きだから、大好きだから、辛そうなの見るの嫌なんだよね。

困ってたら「なんか助けられるかな?」って思うんだよね。

にしてもねぇ、、汗

でも、その気持ちが少しでも伝わってるといいな。(それ自体が傲慢か、、笑)

もうおれにこれ以上出来ることは無いんだろうなぁ。

本当、お節介野郎だわ、、笑笑

優越感に浸りたいわけでも、お説教したいわけでも、抑えつけたいわけでも無いんだよなぁ。

そう思ってても、どっかでそんな気持ちもあったりするのかなぁ、、?

いやぁ〜、ないない。

そんな感情のためにこんな面倒な事しない。笑

昔はそんな感情もあったかもしれないけど、今はできるだけ面倒な事は避けて通りたい。

だって、避けられない面倒な事だけでも結構あるぜ!?笑笑

余計な面倒ごとは避けたいよね。

だから、これはおれの中では愛なんだな。

でも、そこがお節介なんだよな!笑笑

別にやり方変えるつもりも、諦めるつもりもない。

これがおれだし。

そうそう。

お節介野郎、平安寺。

でも、これって一つの愛なんだぜ。

平安寺的には。笑



相手の気持ちを考えるってとても難しいことなんだけど、それを諦めたり、辞めてしまったら、傷つくの自分だと思うんだ。

相手の気持ちをどれだけ考えたって、それが正解でもないし、それで逆に傷つけることもあるかもしれない。

でも、自分なりに考えるって行動が大切なんじゃないかな。と思う。





「おれの気持ちなんてわからないだろ?」

それをいっちゃあおしまいよ。笑

「なら、君は俺の気持ちわかるの?」

それをいってもおしまいよ。泣



「世の中には色んな人がいる。」

そんな当たり前な事を時に忘れちゃうんだよね、、

世の中には色んな人しかいないんだよ。

違う人間の集まりなんだから。

そこでこれからも生きて行くんだから。


まず、自分を見つけて、自分らしく。



また一つ勉強をさせてもらったのでした。泣










つらたん。泣







(最後のは冗談です。笑)
平安寺