いまでは160を超える国と地域から数千名のアスリートが参加するパラリンピックで
すが、最初は病院の小さな小さなスポーツ大会だったんです。
イギリスのストーク・マンデビル病院では第二次世界大戦で負傷した兵士たちに向け
てスポーツを取り入れたリハビリを行っていました。
いまでは当たり前のリハビリも当じはあまり行われておらず、脊髄損傷者の社会復帰
率は高くなかったそうです。
脊髄損傷科の責任者となったグットマン医師がリハビリにスポーツを取り入れ劇的に
社会復帰率が高まったのです。
そして1948年7月28日、ロンドンオリンピックの開会式の日に入院患者によるアーチ
ェリー大会が行われました。
参加者は男子14名、女子2名の16名だったようです。
そこから出場者は増え続け、国際大会となり、今ではオリンピックと一緒に行われる
までになりました。
グットマン医師が始めた小さな小さな院内のアーチェリー大会が世界中の障害のある
アスリートの夢と目標になるパラリンピックになったのです。
誰かが一歩踏み出すとそれが世界を変えることがあるということをパラリンピックの
始まりからも知ることができます。
もしかしたら誰の役にも立たないかもしれないけど、今日も明日も一歩踏み出してみ
よう!
パラリンピックの始まりのストーリーはいつも私にそう思わせてくれます。