おはようございます。

yuma otsukiです。

今日は前回に続いて学級経営の教科書②のレビューを投稿したいと思います。

前回の分がチェックできていない人はこれを読んでください。

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今日は前回話した「学級経営」の三領域のなかの必然的領域について話します。

必然的領域とは、どの先生も必ず行わないといけない指導です。

たとえばどんなものがあるか。

それは、自分と他者の心と体を傷つける行為です。

これは必ず見過ごしてはいけません。

たとえば、中高生とかで「~死ねや」とか「きっしょ」とかいう言葉がよく使われていますよね。「いじりだから」、「友だち同士の関係だから」とか言いますけど、必ず指導すべきです。

色んな勉強会でも「褒める教育」「自己肯定感」がテーマになっていますが、じゃあ叱らなくていいのかとなるとそういうことではありません。

僕自身も褒めることが大事だとは思っていますが、そのような場面を指導できなければ、子どもたちが安心して学習できる環境を作ることはできないと思います。

第一、怒ったって嫌われませんよ(笑)

たまに言う人いますけど、怒らない=好かれる、怒る=嫌われるは浅い理論です。

距離感もよく議論されますが、規律を重視しすぎて服従させる関係だとその人の前だけきっちりとする人間になってしまうので、僕個人的に言わせてもらうと、自分と他者の心と体を傷つける行為を指導できるなら、距離は近くても良いと考えています。

距離感を気にする先生に大事な話をする生徒は今のところ出会ったことがないです。(ただ、近い先生に自分と他者の心と体を傷つける行為を見過ごす先生が多いのも事実です)

少し話がそれましたが、この必然的領域の目的は学級をあたたかい空間にすることです。

そこで必要なのが、子ども一人ひとりの人格を尊重する気持ちを持つことです。こうすることで前回から話している管理の関係ではなくなるし、またこうすることによって、子ども同士でも互いの人格を尊重できるようになると思います。

まとめ

自分と他者の心と体を傷つける行為を指導すること。これがどの先生もしなければいけないことです。

学級のあたたかさを求めるのには根拠があります。

昔問題児とかいわゆるヤンキーとか言われていた人は「困り感」を抱えていました。

その「困り感」に寄り添い、排除ではなく包括という姿勢が大事になります。

不登校や困り感など、色んな事情を抱えている現代だからこそ、安心して学習に取り組むことのできる環境づくりが必要だと思いました。